「せいしゅんのあるべきすがた」と最悪の出会いをした
教室がオレンジ色だ。
パン屋の風見鶏の向こうには、1個150円くらいする特別に高級な卵の黄身みたいな、濃いオレンジ色の太陽が、ちょっとつぶれた楕円形になっている。
まっすぐ見ても、まぶしくないオレンジ色は、もうすぐ沈む証拠。私は、この季節の、この時間の教室が大好きだ。
ここで撮ったチェキは、全部、まっすぐな青春に見える。光がエモいからね。
一瞬だけ、そんな、どうでもいいことが頭をよぎった。
だけど、今はそれどころじゃないんだよ。
イノチの次に大事なスケッチブック、いや、ひょっとしたら、イノチより大事なスケッチブックがない。この教室で、いつもあたしが座る指定席の机の中に
「ない・・・」。
じゃばらになったプリント
端の折れた教科書
ページをひらいたことのない参考書
ぉぉぉ提出したまま返却されてないと思ってた問題集じゃないか
あれっ、無くしたと思ってた課題プリントが見つかったよ!
ラッキー!・・・じゃないよ
ない、ない、ない。
机ひっくり返してぇ・・とぉりゃぁぁぁ・・・振った、振りましたぁ。
カッ、カーン。
椅子がころげて、思いがけず、大きな音をたてた。
「何、探してんですか。」
「スケッチブックっ!」
思わず答えた。しかし、息がとまった。
誰に答えてるんだ、私。
教室の入り口には、オレンジ色に染まった人影が柱にもたれて立っていた。
これは・・・「せいしゅんのあるべきすがた」しかも、最上級バージョンだ。
「あ、あ、だい、じょうぶ、です。」
机を元通りに並べて、ガタガタと椅子を入れる。
机の中身は全部持つ。とりあえず全部持っていって、もう一度探そう。
落ち着いて、落ち着いて・・・とりあえずは撤収。
両手いっぱいに荷物をかかえて、教室の入り口へ走った。
腰骨が、がんがん机に当たる。これって、後から見たら、「なんでこんなところに青あざ」案件だ。
あ、入り口には、「せいしゅんのあるべきすがた」が立っている。
急いで方向転換・・ガッ、いたい・・・もぉ・・・今の私は、昭和の町を破壊するゴジラだ。
「ねぇ、探しているものって、これでしょ。」
「せいしゅんのあるべきすがた」が、よく響く低くて深い声で言った。
どんなイケボだよ!と脳の右半分が叫んでいる。
しかし、それに惑わされることなく、私も大きな声がでた。
「なんで勝手に持ってんだよ!」
「せいしゅんのあるべきすがた」は、ひょいと眉をあげて
「中は、見てないですよ。」
見たらコロスよ・・・。
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140cmで成長が止まった。小5だった。
それから高2の今まで変化がない。小柄にもほどがある。毎日しょってるバッグが身長の半分ぐらいの大きさで歩きにくい。
ちなみに足は大きい、25cmだ。
成長が止まったころからか、ふと気づくと、机の中に、給食のパンの食べ残しやら、紙くずやら、ビリビリにされたプリントやらが、入っているようになった。
クラスの子達が、最高にイイ!って言っているテレビアニメは、子供っぽくてアホみたいだと思ったし、韓国のアイドルグループの女の子にキャーキャーいう趣味はないし・・・って思っていたら、どうも悟られたらしく、いろんなモノを机に入れるサービスで、コンタクトをとられるようになってしまった。
担任が「食べ物を大切にしましょう。」って言ったら机の中にパンが入ることはなくなった。ついでに、一日中、誰とも話さなくなった。誰にも話しかけられないし、こちらから話しかける用事もないし、最も重要なことは「別にそれでも困らない」こと。
あれから6年、クラスが変わっても学校が変わっても、最初の3日間ほどは、話かけられるし答える。しかし、気づけば、周囲は静けさに満ちている。
ときどき、おせっかいな先生がいて、「みんなで話し合いましょう」っていう無理難題をふっかける事もあったけれど、そんな先生に、私は声を大にして言いたい。
困ってないんだってば。
小5の夏休み。牛乳浸しになったノートのかわりに、近所のドラッグストアで、5冊298円の特売ノートを買った。ついでにノートの隣にあったスケッチブックも、買い物かごにつっこんだ。普通にしていたら、大概のものは「自分の小遣いで買いなさい。」って言われてしまうのだから、買ってもらえるときを逃してはいけない。
夏休みがあけた最初の日、スケッチブックに、いつも机にパンをいれてくる女子がブタになる絵を描いた。
たしか名前はシマコ。痩せたシマコだから胴体はシマウマにしようって思ったから間違いなく名前はシマコって子。けど、すぐに、ひらめいた。
「シマウマじゃない、ブタだ!」
なにしろ、目がすごく小さくてブタ鼻だったから。で、いい感じのそっくり感の顔ができあがり、と、コロコロ胴体にちゅるんとしっぽがかわいいブタ。
翌日、シマコは「私、最近太ったかも。」とか言い出して・・そのうち、学校に来なくなって・、引っ越していった。そんなの、もちろん偶然に決まってる。
でも、偶然はそれから何度も起きたのだ。
いや、気持ちイイったらない。
描いたら何かが起きるスケッチブックって、デス・スケッチブック?それって無敵じゃん。
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教室の入り口で、夕焼けにそまった「せいしゅんのあるべきすがた」は、背が高く、顔が小さく、しかも、まっすぐに育った人特有の空気をダダ漏れにしていた。
こんな人には、これまでの人生で一度も接点がなかった。
いや、人間かどうかも怪しいかも。
ほら、柔らかそうな髪、ふわっとしてるよ。くしゃっと笑った顔、私に向けてる?
「ちょっと借りたんです。」
「せいしゅんのあるべきすがた」は、そう言いながら右手に持ったスケッチブックを持ち上げた。
おぉぉぉぉ、それは私のモノだ。
誰かに見られたら完全に終わるヤツ。
だって・・・だって・・・
その中には私の怨念と邪悪と軽く見積もってもイジメに近いレベルの悪戯心が詰まっているんだから。
「先輩、絵、描くとき、ニヤニヤ笑ってるの、気づいてました?」
「・・・・・」
「僕、水曜6限、この教室使うんですよ。先輩と一緒、その席、僕の席なんです。5限の数学の先生、必ず延長しますよね。だから廊下で待ってる時、いつも先輩がニヤニヤしながら描いてるのが見えてて。」
それは微笑みながら言うことか。いいじゃないか、ニヤニヤしながらノートとってるヤツだっているかもしれないじゃないか。私はニヤニヤしちゃうくらい数学が好きな高校生かもしれないじゃないか。しかも、その無駄話は、今、必要か、必要なのか。
「この似顔絵・・・」
「!!!!!」
「画力、高いなぁ。いや、よく似てるわ。すごいなぁ。」
画力って、高いって、褒めてる?褒めてる!・・・。
喜んでいる場合じゃないけれど、褒められ慣れていない人間というものは恐ろしい。一瞬、頬が緩みそうになる。
ん?中は見てないんじゃなかったのか。こんな時、私の脳はマッハの速度で回転する。
「見てないのに、どうしてわかるんですか。」できるだけ冷ややかに、目力は強めに。
その時、ふわっ、と風が吹いたかと思ったよ。ふわっと笑った彼は、もうオレンジ色に染まっていない。いつの間にか日は落ちて、暗い教室の中で、その笑顔はちょっと怖いくらいに整って見えた。
「意外に鋭いですね・・・。」ちょっと目を眇めた。
え、ずるい顔もあるんだ。
「せいしゅんのあるべきすがた」は、アニメでしか見たことのない、フッと息を吐きながら前髪を掻き上げるという仕草とため息を同時にこなしながら、さらに続けた。
「本当は見ました、っていうか、見たくて借りたんです。なんで似顔絵なんか描くのかなぁ、呪いでもかけてるのかなぁって。呪いかけられるんだったら、ちょっと、力借りたいなって思ったし。」
呪いをかける・・呪いをかける・・しっかりしろ、私。深呼吸だ。
「なに言ってるか、わからないんですけど。それ、返してもらえます?」
ひと息に言い終えて一気に距離を詰めたら、よけられて転んじゃったよ。薄暗い廊下いっぱいに、両手に抱えたものが、ドサドサと散らばる。
「あ~ぁ、何やってんですか。」
彼は、驚く様子もうろたえる様子もなく、教科書やらプリントやらを拾い始めた。私は立ち上がると、何も言わずに廊下を駆け出した。血は出てないと思うけど、膝が熱い。背中に視線を感じるような気もした。
そうだろ、絶対、こっち見てるだろ。でも、振り返らない。いや、振り返ることができなかった。
生徒玄関を出ても、まだ走った、走った、走った。何から逃げているんだ・・・、これでは歩いている人が不審に思う。
上がった息を収めながら、フツーの顔、フツーの顔と言い聞かせて歩く。うつむくな、うつむくと鼻水が出る。涙も出そうだが我慢だ。
よくよく考えれば、逃げた時点で、呪いかけてますって認めたも同然だ。
「え~、そんなことないです~、わ~ありがとうございますぅ、え~いやだぁ、すごぉい、知らなかったぁ~、え~そんなこと~ちがいますよぉ~」
どうして、ヘラヘラと切り返さなかったのだろう。今更イメージトレーニングしても遅いって。
何度もシーンを反芻するけれど、もう手遅れだ。あの後、彼はどうしただろう。
『最近、暗くなるの早くない?』すれ違う人達のおしゃべりが聞こえる。
居酒屋の前で、仕事帰りっぽい人が群れている。
コンビニの前で、スマホ見ながらしゃがんでいる人がいる。
歩いているうちに、画塾が入っている雑居ビルの入り口を、なんとなく通り過ぎてしまった。
今日は、そんな気分じゃない。
明日からどうするんだ、私。




