暗闇の果てに
連載小説を書いている傍ら、気分転換に執筆しました。
機会があれば、いずれ続きを書きたいです。
君を見つけたのは、格式張った式典を抜け出した日のことだった。
麗らかな春の陽射しが半球状の窓硝子に降り注ぐ。光は庭園の花々を照らし出し、鮮やかな色が視界一杯に広がった。
それはまことに美しい光景であったが、僕には酷く苛立たしく写った。
綺麗なものほど僕の神経を逆撫でし、みすぼらしいものほど僕を卑屈にさせるのだ。自分でも歪んでいるとわかっていた。それでも僕は、全てを呪わずにはいられなかった。
この浮遊大陸を統べる王の長子として、僕は大勢の者達から望まれてこの世界に生まれ落ちた。やがて五つの部族を束ねる偉大な王の誕生に人々は歓喜した。その筈であった。
だが産声を上げた瞬間から今日に至るまで、僕には幸福な記憶というものが存在しない。
母から僕を取り上げた助産婦は、その異様な姿に声を失ったそうだ。
何故なら僕の背には一族が持つ銀の翼ではなく、闇よりも深い黒い翼が生えていたからだ。
それだけではない。
僕が生まれた瞬間、それまで快晴だった空は曇天に変わり、地上にいくつもの雷が落ちた。街は燃え上がり、大勢の民が命を落としたという。
宮廷神官は僕を呪われた禍の子であると王に進言し、僕はこの広い城内の一角に隔離された。
なぜ、黒い翼は忌み嫌われるのか。それは原初の神である天空神と敵対し、破壊の神と畏れられたライガルドと同じ色だからだ。
ライガルドは天空神とこの浮遊大陸の覇権を争い、敗北した。そして最期は一族を呪う言葉を吐いて絶命したのだ。
何百年も昔のことだが、僕と同じように王家に黒い翼を持って生まれた子どもがいたという。だがライガルドの姿を彷彿とさせる醜い姿を目の当たりにした時の王は、その子の息の根を止めてしまった。
それから数十年に渡って天災がこの地を襲い、浮遊大陸は荒廃したという。
ライガルドの報復を恐れる父王は、呪われた子である僕を殺せず持て余している。
この世界に僕の味方は存在しない。
父は僕を憎み、母は僕の存在を無視し、他の者達もそれに倣った。この世の全てが敵だった。
僕は手近なところに咲いていた花を乱暴に引き抜くと、力の限り踏み付けた。
それまで美しく咲き誇っていた花が、一瞬にして見るに堪えない姿に変わる。
──ああ、いい気味だ。
僕が愉悦に浸っていると、近くで人の気配がした。誰かがこの庭園に入って来たようだった。
僕は舌打ちをして、庭園の中央に立つ大樹の陰に隠れる。今は誰にも会いたくなかった。
しかし、今日は年に一度の天空神の死を悼む式典の真最中のはず。他人に興味などなかったが、自分同様に式をすっぽかしている不信心者がどんな奴なのか気になった。
こっそり陰から覗いてみれば、そこにいたのは僕と同じ歳頃の少女だった。
色素の薄い亜麻色の髪に、澄んだ空を映したような瞳。この浮遊大陸では珍しい容姿だ。
物珍しそうに周囲を見回していた少女は、何かを見つけると一目散に走り出した。彼女は服が汚れるのも構わず地面に膝をつく。そこは先程まで僕が立っていた場所だった。
何をするつもりなのか。ここからでは少女の背中しか見えない。僕は注意深く彼女のことを観察した。
しばらくして少女が立ち上がる。何かを手に持っているようだが、少女は背中を向けているのでそれが何かはわからない。
もどかしく思っていると、半球状の窓硝子の上を鳥が二羽飛んで行った。大地を走るその影を追うように少女が僕の方を振り返る。
瞬間、心臓が嫌な音を立てた。僕の目は少女の手の中にあるものに釘付けになった。
それは、僕が踏み付けたことでボロボロになった花だった。苛立ちと、後ろめたさが胸を締め付ける。しかし苛立ちの方が優った僕は、姿を隠したまま声を掛けた。
「そんな汚い花など拾ってどうするつもりだ」
僕の声に少女は肩を揺らした。大きな瞳を瞬かせると辺りをきょろきょろと見回す。どうやら人がいるとは思ってもいなかったようだ。
少女は見当違いな方向を向いて答えた。
「持ち帰って花瓶に生けようかと。水に挿せば、また元気になるかと思うから」
くだらない、と僕は独り言ちた。また元気になる?そんなものは少女の勝手な思い込みだ。誰も頼んでもいないというのに、余計なことをして何になるというのか。
話を続ける気も失せて、僕は口を閉ざした。しかし、少女は構わず話し続けた。
「あの、もしかして天空神様ですか?」
──はぁ?
僕は少女が発した言葉に虚を突かれ、心の中で呟いた。再び少女を盗み見ると、やはり僕に背を向ける形で空に向かって話し掛けていた。
変な奴。そう思ったけれど、何故か無視することはできなかった。誰かと会話をするのは久しぶりだったから、ほんの少し気が向いたのだ。
「そんな訳ないだろ。馬鹿なのか?」
僕は吐き捨てるようにそう言った。少女からの返事はない。
冷たくあしらわれたことに気を悪くしたのだろうか。
僕が大樹から顔を覗かせようと後ろを振り向いた時だった。
「やっと見つけた!」
その言葉とともに大樹の陰から少女がひょっこりと顔を覗かせる。至近距離で少女と目が合い、僕は驚いて硬直してしまった。
だかそれは少女も同様で、目を見開いて僕を見ている。
無理もない。こんな醜い姿を目にしたら誰だって言葉を失って立ち尽くすだろう。
先に目を逸らしたのは僕の方だった。
侮蔑や恐怖を宿した目で見られるのは慣れている。だけどそれは決して気分のいいものではない。
さっさとどっかに行ってしまえ。
心の中で悪態をつく僕の願いとは裏腹に、少女はじっと僕の顔を眺めていた。
それから不意に僕の長い前髪を優しく払った。
「前髪、邪魔じゃないの?」
「……は?」
予想だにしない一言に、僕は素っ頓狂な声を上げた。
「せっかく綺麗な目をしているのに、勿体ないです」
「お前、なに言って……」
少女にも僕の背中に生えた黒い翼は見えている筈なのに、彼女は目元を覆い隠す長い前髪の方が気になったらしい。
「おい、前髪なんてどうでもいいだろ。そんなことよりこの翼が気味悪くねぇのかよ」
「別に、気味悪くなんてないよ」
少女は目を丸くして答えた。嘘を吐いているようにも、強がっているようにも見えない。
「でも知ってる筈だろ、僕は……」
「第一王子様ですよね?もちろん知ってます」
「そうじゃない!僕は禍をもたらす存在なんだよ」
「そうなんですか?でも、今こうして一緒にいても私にはちっとも怖い事なんてありません」
「そんなわけないだろ!僕が生まれた時、大勢の人が死んだんだ!僕が禍の子だからだ!お前だって恐ろしいだろう!!」
「それは王子様の意思で引き起こした事なのですか?」
少女の問いに僕は勢いを失った。誰一人としてそんな疑問を投げ掛けてくる者などいなかった。皆一様に僕を罵り、僕を憎んだ。だが仕方がない。僕の存在そのものが罪なのだから。
「どうして、人なんて殺したいと思うんだよ」
「それなら、それは王子様のせいじゃないです。たまたま王子様が生まれた日に雷が落ちて、人が大勢死んでしまったんです。あなたは悪くないです」
そう言って少女は僕の手を握った。触れた指先からじんわりと体温が移ってくる。
初めて、この世界に存在することを赦された気がした。
「お前、変な奴だな」
「お前じゃなくて、ミシェルです」
ミシェルはそう言って微笑んだ。
屈託のない彼女の笑みが僕には眩し過ぎて、けれどもずっと眺めていたいくらい愛おしくて。それは初めて知る感情だった。
僅かに開いた窓から風が吹き抜け、花びらが僕と彼女の間で舞う。この時の光景は僕の脳裏に焼き付いて、決して離れることはなかった。




