偏った思考回路
音葉が喋れるまでに立ち直ったのはそれから数十分後のことだった。
「ゴメンなさい、少し取り乱し過ぎたわ」
「ああ、気にするな。それより気分はどうだ?」
先程まで泣いていた音葉の目元は赤く腫れ上がっていた。
それでも美人であることには変わりないのだから、不思議なものだ。
「んー、そうね。まだ現状は変わってないし、変えられないのかもしれないけど、なんだか頭の中はスッキリしてる……かな。悩み、聞いてくれてありがと」
そんな美女から素直に礼を言われると、やはり恥ずかしい。
「まぁ、流石にあれだけ泣いてればスッキリもするさ。幼稚園児でもあそこまで号泣しないっての」
「うっさいわね、私の感謝返してよ」
顔を赤らめた音葉が少し涙目で抗議してくる。
側から見るとなんだかイジメてるみたいに見えるかもしれないが、音葉の反応が良すぎるんだよなぁ……
いくら見てても飽きない。
「冗談だ、でも本当に明るくなってくれて何よりだ。
で、ここで一つ提案なんだが、音葉の話を聞いて俺が思ったことをそのまま言ってもいいか?
かなり不快に感じる内容かもしれないから、一応音葉にどうするかを選んで欲しい」
「……なんか聞くのが怖くなる言い回しね。
でも分かった、絶対に怒ったりしないから碧の思ってること聞いてみたい」
深く頷いた音葉はゴクリと唾を飲み込んだ。どうやら決意を固めたようだ。
俺はそれを確認すると、じゃあ、と前置きをした上で話を始める。
「初めに言っておくとこれまで音葉が感じていた苦しみや悲しみは立場も置かれている状況も全く違っている今の俺には到底理解出来ないことだと思う。
でも、それを踏まえて思ったことを言わせてもらうと、音葉からは抗う意思的なものが全く感じられなかった」
「抗う意思?」
「ああ、音葉の言ってた内容が全てだとすると、社長で指導者でもある母親に対して自分の意思を伝えたことがないように聞こえたんだが間違ってるか?」
「えっ、……確かにお母さんに直接何かを言ってないけど、そもそも正しいのはお母さんだし、かなり忙しそうにしてるし、私の我儘のために時間をとっちゃ悪いじゃない。それに美里さんだってその方がいいって……」
「それだよ音葉。お前のそこが可笑しいんだよ。
小さな頃は言われた通りで仕方ないのかもしれないが、今の音葉には自分のやりたいことまではっきりしてる。それなら自分の意見ぐらい述べられるはずだろ?」
「っでも、正しいのはお母さんで……」
まだ否定を続ける音葉だが、その様子から戸惑いの色が濃く感じられた。
もしかすると自分でも、疑問に思っていたのかもしれない。
「違うだろ。だから、これまでの流れでどうして母親が正しいって結論になるんだよって言ってんだ。自分の娘をこうなるまで追い込んで来た母親の何処が正しんだよ?」
どうしたら、彼女はここまで自分を無下に出来るのだろうか?
何処か常に自分の想いに蓋をしている。
「それはっ、弱い私がいけなかったからで……」
「アホかお前は!
弱いからいけなかった?
一体自分を何だと思ってやがる?
音葉は物じゃないしロボットでもない。ちゃんとした心を持った1人の人間だ。そんな人間が自分のやりたくないことだけを強要されて心が疲弊しないわけない。
それにな、人間は元々弱い生き物なんだ。一人じゃ無理で誰かを頼ってじゃないと生きていけない弱い生き物だ。だから人は群れるし助け合う。
音葉も一人で抱え込んで死ぬぐらいなら、全てをぶち撒けて砕ける方がまだいい」
俺が少し強めに言うと、少しハッとした表情になって「人間は弱い生き物……ね」
と音葉はそう小さく呟いてなにかを考え込むように黙り込んだ。
「……だったら碧も弱いの?」
「ああ、そうだ。
俺なんか滅茶苦茶弱えよ。ついこの間だって、自分に降りかかる面倒事を恐れて、逃げてきたところだ。
ホントは立ち向かうべきだって分かってる……ってこう言ってみるとブーメランじゃね、この説教!?」
たった一人の親友も助けられない自分の弱さには呆れてものも言えない。
それなのに他人に対してだけ抗えと言ってる……やっぱ俺もじゃん、綺麗なブーメランじゃん。
俺がワナワナと慌てていると、音葉が小さく噴き出した。
「ぷっ、フフフ、やっぱり碧は碧だね。肝心な所で抜けてるというか、ダサいというか。
……でも、ハッキリ言ってもらえて自分が逃げてただけなんだって少しだけ分かった気がするわ」
「……そうか、それなら良かった」
「だからね私、すぐには無理かもしれないけど、一度お母さんと話してみることにする」
力強くそう言った音葉の顔には翳りは既になくなっていた。
何となくだが、これなら大丈夫そうだな。
「よし、あんまり長居しても家族が心配するだろうし、そろそろ帰ろうか」
「うん、じゃあその前に連絡先とか教えといて貰ってもいい?
お金とか返さないといけないし」
「そうだな。ほい、コレ」
俺はメッセージアプリを開いてQRコードを表示させて、それを音葉が読み込んだ。
「それじゃ、私もう少し先の方だから行くね。
碧、今日は本当にありがとう」
今は俺の家の最寄り駅の近くで食事をしていた。
近くだとは言っていた音葉はどうやら、ここからもう少し先の所に住んでるらしい。
「ちょっと待て」
くるりと身を翻そうとした音葉の腕を掴んだ。
「ん?、どうしたの?」
「どうしたのじゃねーだろ。無一文でどうやって電車乗るつもりなんだよ」
「あっ……」
「ほらよっ、これで足りるか?」
俺は財布から千円札を一枚取り出すと音葉に渡した。
「ゴメンなさい。
うん、それで大丈夫。また今度絶対に返すから」
「はいよ、11093円だから宜しく!」
「えっ、キモっ
アンタ、一円単位で記憶してたの?」
反射的に出てきたであろう棘のある言葉が俺の心を抉った。
ちょっとした悪ふざけのつもりだったんだが、まさか本気にされてしまうとは。
やはり、俺の見た目がいけないのか?
「いや冗談だ……」
音葉はジト目でこちらを見てきた。
「……碧が言ってると、冗談に聞こえないところが怖いんだけどね」
「ホントにホントだ。流石に何円使ったかなんて覚えてねーよ。
まぁでも、返して貰うつもりではいるけどな。
おおよその金額でいいからちゃんと生きてお前の手で返しに来てくれ」
「分かったわ、本当に何から何までありがとね」
駅の中に消えていく音葉を横目に時刻を確認する。
すると、既に21時を過ぎていた。
かなり暗いとは思っていたがまさか、ここまでとはな。
それにしても、ずいぶん時間を使ったものだ。姉さんも心配してる頃だろうし早く家に帰らないと。
いろいろ大変だったが、
でも、まぁ、そうだな……悪くない一日だった。
⌘
その日帰ってからすぐに音葉からメッセージが届いた。
『今日は本当にありがとう、いろいろと迷惑かけちゃったお詫びにまた、ご飯でも奢らせて!』
改めて考えてみると、あの有名なRoeleと連絡先交換したんだよなぁ……
今をときめくアーティストだし、普通に考えてありえない。
ファンも大勢いるだろうから、バレた際に嫉妬とかで刺されたりしないよな?
でも、ありえないと断言出来ないのが今の世の中だ。
こりゃ、誰にも言えないな。言うつもりもなかったけど……
というか、今更だが俺って姉の玲奈と斗真以外とは殆どメッセージのやり取りをしたことないんだけど……
そう思うと少し緊張した。
ここは一つ失礼のないように返信……ーーピロンーー
俺がどうするべきかを思考していると音葉から追加でメッセージ届く。
『別に今まで通りでいいからね』
マジか、よくこちらの考えていることが分かったもんだ。もしかすると、彼女はエスパー属性をお持ちなのかもしれない。
そんな訳で気負いすぎるのもアホらしくなった俺は特に考えることなく指を走らせた。
『了解!! その時は是非、高級料理店で宜しくお願いします』
そんなおふざけ半分、期待半分のメッセージ遠慮なく送信するのだった。