抱え過ぎた悩み
「私のお母さんね、実はあのリミーミュージックの社長なの」
「リミーってあのヘッドホンとか出してる有名な?」
俺は驚きの余り、彼女の言った言葉をもう一度確認してしまう。
「うん、それで合ってるわ。だから、私小さい頃から音楽と隣合わせって感じで、気づいた時には音楽そのものを好きになってた。
それからは、いろんな楽器を弾いてみたり、作曲したりしてさ、毎日がめちゃくちゃ楽しかったんだ……」
そうやって語る彼女は懐かしそうに、目を細めた。
ただし、その言葉は過去形だ……
「でもね、私が音楽にのめり込むようになった頃から少しずつお母さんが変わっちゃってさ。
最初は音楽に触れて楽しむ私を見て、笑ってくれてた気がしたんだけど、だんだんと私のやること全てに口を出すようになってきたの。それに凄く厳しかったわ」
「それは、音葉がやることを強要させられてたってこと?」
「うん、だいたいはそんな感じ。
私がアレしたいって言ったら、そんなことよりコレしなさいって、大切にしてた楽器も取り上げられちゃったりと、いろいろとね。
でも、その代わりに『貴方は絶対にプロになるのよ、私がそうしてあげなきゃいけないの』って言って私にいろいろと指導してくれたりもしたから嬉しかったわ」
貴方は?
俺は彼女のそんな一言から、ある事が脳裏をよぎった。
「なぁ、音葉。一つ聞いてもいいか?」
「えっ、うん、いいけど?」
首を傾げる音葉は、俺が何を聞くつもりなのかと見当もついていないようだ。
「もしかして、音葉のお母さんって昔、音楽のプロを目指してたんじゃないのか?」
「そうだけど、途中で辞めちゃったみたい。
……それにしても、良くわかったわね」
「話の流れ的にそうなのかな、って思っただけだ」
なるほどな、これでよく分かった。
音葉のお母さんは自分の叶えられなかった夢を娘である音葉に叶えて欲しかったのだろう。
そして、それを実際に成し遂げた。それだけを聞けばテレビで見るような感動ものになる。
だが、この話をただの良き物語だと、終わらせることなど出来るはずもない。
捉え方を変えると、不思議なことに今回の物語の雰囲気がガラッと一変する。
娘の人生、幸せ、またそれら全てを奪って夢を叶えた悪魔的な母親、最後には娘の命まで奪う。
と言うと、なんとも酷く残酷なストーリーだ。
だが、残念なことにそれは既に実際に起こりかけたこと。
「話の途中で悪かった、続けてくれ」
俺は軽く頭を下げると音葉の話の続きを促した。
「それでね、最初はそのお母さんの厳しい指導も私のためを思ってくれてのことだし、頑張ろうって意気込んでいたの。
それに基本的には、お母さんの言ってる通りにしたら間違いないって思ってたし、美里さんも良くそう言ってたわ。
私も音楽を学ぶこと自体は嫌いじゃなかったんだけど、ある時気づいてしまったの。鏡に映る私の顔が全く笑っていなかったことに。
どうしてかな………わ、私、あんなに好きだった音楽を、いつのまにか心の底から楽しめなくなっていたの」
音葉の目から涙がドッと溢れ出す。
音楽のことが大好きだった彼女だからこそ、その事実を知ってしまった時は相当なショックを受けたことだろう。
ところで、美里さんって誰だ?
かなり親密そうな感じだけど彼女のマネージャーとかなのかもしれない。
「それでも私は今まで、音楽しかしてこなかったし、ここまで頑張ってくれてるお母さんの願いを叶えてあげたいって、そう思うと音楽を辞める選択肢なんて存在しなかった。
多少辛くても私が我慢するだけで、全部上手くいくってそう思ってた。
けどね……私そこまで強くなれなかったわ。
プロになった後も、失恋ソング作りなさいとか、楽しい曲作りなさいって言われて、その通りに作った。
作った後もここの部分の歌詞を変えなさいとか、テンポが少し悪いわ、とか指摘された上で修正の繰り返し。
そして、完成した音楽は私が作ったものではあるけど、そうじゃない。
確かにお母さんの言う通りにすると、嘘みたいに売れたけど、そうじゃない。
私は有名になりたくて、売れたくて音楽を作ってたわけじゃないのに……
別に有名になれなくても良かった、ただ、自分の好きなように音楽と向き合う、それだけで良かった……
でもやっぱり、お母さんの言う通りにしていれば間違いないし、私がそう思っちゃうこと自体がダメなんだってことは分かってたんだけど、私には無理だった」
それで耐えられずに、滝の中に身を投げ出した、か。
自分のしたかったことを否定されて、訂正され続ける毎日。
彼女は母親の願う理想の姿だけを目指して走り続けてきたのだろう。
だが、そんなこと無謀過ぎる。
ましてや自分の理想ではなく、他人の理想なのだから。人間が心を持ってしまっている以上、またその心をなくさない以上、どこかでズレが生じるはずだ。
無理矢理矯正していた部分が壊れて、それを修理をするために努力を重ねる。
モチベーションもない中、そんなことを繰り返していたら、きっとその精神は深く削りとられることは違いない。
音葉はそれからも幼い子供のように泣きじゃくりながら、心の中に溜まっていたものを次々に全てぶちまけた。
幸いにも隣の席には誰もいなかったが、それでも少しばかり注目されてしまっているのは仕方のないことだ。
会話の内容までは聞かれてないといいんだがな……
その一方で、それらを聞き終えた俺は、少し疑問を持っていた。
彼女は既に自分の本当の気持ちに気づいており、少し背中を押してあげるだけで、それに対しての想いをここまで強く言葉で表現することが出来た。
それは他人に操られているだけの操り人形ではなく、自分の意思を持った人間であることを証明している。
しかし、何故だか彼女の話からは母親に抗議したというワードは一度も出て来なかった。それどころか母親の意思とは違った考えを持ってしまう自分が可笑しいのだとそう言ったのだ。
もしかして母親が怖いのか?
それにしても、少しばかり不自然だと感じる。
俺が思うに、彼女は母親に対して怖いという感情よりも尊敬しているといった方がしっくりきた。
寧ろ少し尊敬し過ぎている?
それは、まるで逆らうという思考が誰かの意図的に取り除かれたようなそんな雰囲気とでも言うべきか。
俺は音葉が落ち着くまでの間、黙って先ほどの彼女の言葉を思い返していた。