心臓が刻む恋のビート
それから俺は間もなくしてMVの撮影に移ることとなった。
本当なら今日、1日で済ませる予定だったのだが、期間が約1ヶ月程度に変更になったらしい。
理由はストーリーが若干変更されたからとのことだった。
ちなみに俺が学生であるということを考慮して、土日を利用して撮影を進めていく流れになったようだ。
MVの流れを大まかに言うと、音葉の楽曲に合わせて映像が流れ、物語が進んでいくという結構ベタな構成になっている。
そして、俺が抜擢されたのはその物語の主人公役らしい。
正直、素人にそんな役割を任せてしまって大丈夫なのだろうかと不安に思うのだが、鈴菜さんは「大丈夫だから」の一点張り、随分とデカい役割を任せられた俺としてはプレッシャーが半端じゃなかった。
そもそもの話、演技なんてロクにしたことないんだけど……
「その、碧……緊張してる?」
隣に居た音葉が俺の様子を見て心配そうに聞いてきた。
「ああ、メチャクチャしてるよ」
さっきから変な汗が止まらない。それに少しお腹も痛くなってきている。
「だよね、実は私も結構緊張しちゃうタイプなんだ。それに今も少しドキドキしてる」
ドキドキしている……それは一体何にだろう?
俺は音葉のそんな些細なワードから先ほどの出来事を思い出していた。
両手で俺の顔を包み込み、妖艶な雰囲気を醸し出しながらこちらの顔を見つめてきた音葉。一瞬、時が止まったようなそんな感覚に陥った。それに香水を使っていたのか、甘く良い香りが俺の嗅覚を支配した。
決して嫌ではなかった。寧ろ逆の感情を抱いていた気がする。
音葉はどういうつもりであんなことをしてきたのだろうか……
俺は別のことを考えながらも、とりあえず返答をするためだけに口を動かした。
「音葉でも、まだ緊張する事あるんだな」
「うん、しょっちゅうね。
でも、今回だけは緊張よりも楽しみな気持ちの方が上かな……」
「それはまたどうしてだ?」
なんなら今回から完全に自分の曲になっているわけだから、普通は前より緊張するものだと思っていたのだが、違ったようだった。
「だって、碧と一緒に1つのものを作れるなんて最高でしょ!!」
音葉はそう言ってから俺に対してはにかんできた。
だからそれは可愛いからやめろって……
また心臓のリズムが僅かに乱れ始めた。
最近どうにも身体が可笑しい、彼女の行動や言動一つ一つに大きく反応するのだ。
「言っとくけど俺も同じだからな。音葉と一緒に出来て嬉しくない訳がないだろ」
ただ、俺を使うことによって成功するのかどうかは分からない。鈴菜さんは大丈夫だって言うけど、俺の頭の中には不安ばかりが残ってる。
でも、そんな中、確実に一つ言えることがあった。それは成功するのか、失敗するのかとかそんな話ではない。
「だから音葉、俺は今回のこの件に全力で取り組む。
絶対に最高の作品にしよう!」
目立ちたくない、不安があるとか様々な気持ちも混在しているが、俺のこの想いだけは本物だ。
「そんなの当然でしょ!
それとその顔、ホントずるい……」
音葉は俺と視線を一度交わしてから、明後日の方向に大きく晒した。彼女の頬がほんのり赤くなっている気がする。
ずるいってどんな顔だよ。
特に変な表情はしてないはずなんだが……普段は基本的に前髪で隠してるからあまり自信はない。
ああ、やっぱり視界が開すぎていると落ち着かないな。
⌘⌘⌘
初日の撮影を終えた俺はもうすでにクタクタだった。
時刻は17時を回っている。
上手く出来たかは正直自分では分からない。もちろん、全力では取り組んだ。
そして、次の俺の撮影は来週ということが決まった。
再びあのリムジンに乗せてもらって、家の近くまで送って貰ったこともあって、俺はとあることを完全に失念していた。
「ただいま、姉さん」
「お帰りなっ……碧、アンタどういうつもりよ」
姉さんの瞳がギラリと光った気がした。少し怒っているような鋭い視線を向けられる。
帰ってきただけで、なんでそんな視線を向けられなきゃ行けないんだ。
「別になんもな……」
あれ?、今日はいつもに増して、姉さんの顔がよく見えるな。もしかして視力があがったのか?
そんなわけがなかった。
「あっ……」
そこまで考えて俺はようやく気づいた。
「悪い姉さん、一回出直してくるわ」
「ちょっ、ちょっ、あんた待ちなさいよ」
玄関を閉めて、やり直しを試みるも飛び出てきた姉さんに取り押さえられる。
「違うんだ姉さん、これはちょっとした事故ってやつで、誰も悪くなんてないんだ」
「いや、別に責めてるわけじゃないし」
ありゃ?
「そ、そうか?」
姉さんは大きなため息をついた後、口を開いた。
「ただ、あんたがそこまで自分を曝け出すなんて、何事なのかと思ってね。
一応、理由聞かせて貰ってもいい?」
「ごめん、姉さん。今は説明出来ない」
俺としても説明してあげたいんだが、これに関しては一応極秘義務があった。
鈴菜さんからそう言われてるからこそ教えられない。
「そっか……危ないことには手を出してないんでしょうね?」
「うん、それは約束出来る。それに時期が来たら絶対に教えるから」
「ならヨシ!
碧の顔がいきいきとしてるうちは見逃したげるわ」
姉さんはそう言ってからリビングの方に戻っていった。
ふぅ、なんとかなったな。
でも、今度からは前髪下ろしてから帰ろう。
メイクは……もう知らん。




