あの時の赤
長かったようで短い夏休みが終わると、平凡な俺の日常が戻ってくるはずだった……
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「おっ、碧、久しぶり!
やっぱり来るとしたらこの時間だよな。元気にしてたか?」
「まぁな……いろいろあったが、こっちはそれなりに楽しめたぞ。斗真はどうせ部活ざんまいだったんだろ?」
「そうだね、夏休みは結構忙しかったよ。碧とも遊べる時間取れたらよかったんだけど……」
そういう斗真は少し疲れた表情を覗かせていた。
きっと、僅かな休みでさえも周りの人間が彼を放って置かなかったのだろう。
「ううん、大丈夫だって。斗真の代わりに東雲とかが相手してくれたから」
「へぇ、風花が……
まさかそこまで進展してるとはなぁ」
「進展?、何がだ?」
「ああ、いや、何でもない。二人が仲良くしてそうで良かったって話だよ」
「まぁな……」
実際には5人で遊んでたわけだが、そこまで説明する必要はないだろう。
それにバレたらいろいろと揶揄われそうだ。
⌘
「碧、おはよ!」
学校に着くと俺の席まで来た東雲がかなり控えめな声量で挨拶をしてくれた。
てっきりすぐに斗真のところに行くのだと思ってただけにほんの少しだけ驚かされる。
まぁ、関係が改善されてきたとはいえ、まだ輪の中に入ることに抵抗があるのかもしれない。
「おはよう東雲、今日も元気そうで何よりだな。
それと、恥ずかしいなら名前呼び辞めたらどうだ?」
「うっさいわね、別にいいじゃん。
それに天音さんも、あの女も名前呼びしてるんだから、私だけ仲間外れみたいでなんかヤダし。
……それより、アンタこそ私のこと名前で呼んだら?
ほら、風花って言ってみ!」
「よくも恥ずかしげもなく、そんなこと言えるよな。そーゆとこだけは本当に尊敬できるぞ」
「そーゆとこだけ?」
声色を低くしてそう聞き返してきた東雲はコチラを人をも殺しそうな表情で睨んでいた。
うおっ、威圧感が凄いって……
目力よ目力。
「いえ、他にも良いとこ沢山あったかもしれないです」
「なによ、その曖昧な返答は!?
まぁ、いいわ。それより今日からも宜しく!」
何故かずいぶんとご機嫌なことだな……
よく分からんが、良いことでもあったのだろうか?
「おはよう碧君、ついでに東雲さんも」
「おい、ついでってどーゆことよ!?」
天音さんも相変わらずだな……
真顔で言ってるから冗談なのかどうかも分からん。
「冗談よ。それより東雲さん今日も元気そうで何よりね」
「……おはよう天音さん、どうかしたか?」
意外だな。
天音さんが朝のこの時間帯に俺たちの方に寄ってくるのは初めてのことだった。
東雲もそのことが気になっていたのか、天音さんの方を凝視している。
「別に特に理由なんてないけど……もしかして私が来ちゃダメだった?」
予想外にも俺たちの会話に混ざりに来ただけだったようだ。
そして、自分の影響力を理解してのことか、天音さんは『迷惑だったかしら?』と、少し寂しそうな表情を浮かべる。
俺はそんな天音さんを見て慌てて首を横に振った。
「いや、違う違う。ホントに迷惑だなんて思ってないから。寧ろ来てくれて嬉しいと思ってる」
これは俺の本心だった。
正直、いつもよりかなり多くの視線が突き刺さって落ち着かないが、天音さんが居ることに不満があるはずもない。
それに天音さんが悪い訳じゃないからな。
多分、東雲だって同じことを考えてるはず……そう思って彼女の様子をチラリと伺うとかなり険しい表情をしていた。
おい、なんつー表情してんだよ。そんなに嫌なのか?急な出来事だったとはいえ、一応一緒に遊んだ仲じゃねぇーか。
「碧君、ありがとう。それとも……」
「それともってなんなのよ?」
「なんでもないわ東雲さん」
天音さんはそう言いつつ、コチラを見つめてくる。
もしかして今、葵さんとでも呼ぼうとした?
これはバレてるとまではいかなくても、かなり疑われているよな。
自らの額に冷たい汗が噴き出て来るのを感じていた。
大丈夫、まだバレてない。
顔は見られたけど一瞬だったし、赤の他人とでも誤魔化しておけば大丈夫なはずだ。
俺は動揺を隠すためにさりげなくポケットから携帯を取り出して時間を確認する。
画面が割れていて少しだけ見にくい。
やっぱり新しいの買わなきゃだよなぁ……
「ごめんちょっとトイレ行ってくるわ」
「違う違う、そーゆーときはお花を摘みに行くって言わなきゃ」
「勝手に言ってろ」
東雲のアホな発言を適当に受け流すと俺は静かに席をたった。
そして、ほんの少し急ぎ足でトイレの方に向かう。
まだ時間の方には余裕があったが、そのくらいが丁度良いのである。
なんたって大きい方だからな。是非ともゆっくりと時間をかけたいところだ。
去り際には天音さんの「東雲さん、貴方の発言は幼稚ね」なんていう辛辣な言葉が聞こえてきたので、きっと今頃は東雲が騒いでいることだろう。
ホント仲が良いのか悪いのかって感じだな……
でも、まぁ天音さんが東雲に対して気を許している証拠でもあると思う。
とりあえずトイレ、トイレ……っておい、満室かよ。
非常に不味いことに、俺たち2年のいる3階のトイレは綺麗に埋まってしまっていた。
4つも個室があってオールレッドとは実に付いてない。
一瞬、誰かが出てくるのを待つ考えが頭の中をよぎったのだが、直ぐにでも落ち着きたかった俺は一つ下の階、1年の男子トイレの中に駆け込んだのだった。
⌘
ふぅ、何とか助かった。
それにしても朝の時間帯ってかなり混むもんなんだな。普段はこの時間帯に利用しないから全く知らなかった。
驚いたことに一年のトイレも4つのうち3つは既に使用中になってしまっていたのだ。
うん、普通にいろいろと焦ったわ。
手を洗い終わった後に携帯を確認すると、それなりにいい時間帯になっていた。
やっぱり早めに動いていて正解だった。
トイレから出て3階に向かおうとしていたそんな時、一人の女子生徒が慌ただしく俺の方に近づいてくる。
「それじゃあ、よっちゃんまた後で!!」
他クラスの友達であろう女性に手を振りながら廊下を走っている為、前を全く見ていない。
にしても、この赤茶色の髪の生徒何処かで見たことがあるような……
それも割と最近のことだと思う。
んー、何処でだっけ?
「ちょっと、舞、前見なって!」
あっ、やべ……完全に避けるの忘れてた。反射に頼って身体を動かすも、タイミング的に間に合う訳がなかった。
次の瞬間、強い衝撃が身体に加わる。
「うおぉっ!!」
後ろに押し倒された俺は、背中と腰を強打した。
「痛っ!」
対する彼女も俺とぶつかってその場で尻餅をついている。
「イテテテテ……」
「す、すみません、大丈夫ですか!?」
「ああ、なんとか……あっ—— 」
衝撃でブレていた目の焦点が合うと、俺は思わず声を上げてしまった。
「えっ、あの、どうかしましたか?」
そんな俺の言葉に不安そうな表情をする彼女……やっぱり見たことがあった。
そう、不良に絡まれていた、あの時の女性。確か名前は
「咲乃 舞……」
赤茶色の髪の彼女と俺の視線が交わった。




