試される時
近所の野良猫に化けて胡蝶とお佳代のやりとりを盗み聞きしていた七穂は、人気のない場所に水連を呼び出すと、
「思いっきし失敗してんじゃねぇか」
あきれ顔の七穂を前にして、水連は慌てて言い訳する。
「私の能力は、私の言葉に真剣に耳を傾けて、正しく内容を理解してくださる方にしか効果がないんです。ですがお佳代さんは……」
水連はその時のことを思い出して、顔をしかめた。
「私の着ている物や顔をじろじろと見るばかりで、真面目に話を聞いているようには見えませんでした」
「……具体的にはどんな話をしたんだ?」
「お天気の話や、虎太郎さんの話を少し……」
ふーん、と相づちを打ちながら確認する。
「いきなり姫さんの話をふったわけじゃないのか」
「最後のほうで触れました、虎太郎さんから妹さんがいらっしゃると伺ったのですが、と前置きして」
虎太郎さんの話だと、お料理上手な妹さんで、大変勝気な性格だとか。
兄妹仲が良くて羨ましい、普段どんなお話をされているんですか? などなど……。
「で? 相手の反応は?」
『あら、いやだ。お世辞を言っても何もでませんよ。それでは食事の支度がありますので、ごめんあそばせ。おほほほ』
と言って足早に去ってしまったらしい。
「結局は逃げられたわけだ」
「……そうですね、申し訳ありません」
素直に失敗を認め、水連は落ち込んで肩を落とす。
「ですが次こそは――」
「やめとけよ、どこぞの商売人じゃないんだから。このご時世、しつこくすり寄ると余計に警戒されて、しまいにゃ通報されるぞ」
そうですね、といっそう落ち込む水連に、
「あんまり気にするな、今回は聞く相手を間違えた。次からは柳原家の次男に集中するといい」
美女には甘い七穂だった。
***
七穂と別れ、松林にある小道を歩きながら、水連は悩んでいた。
祖母の言いつけを守り、これまで混ざり者であることを隠して生きてきた。けれど今はそのおかげで利用価値があると見なされ、兄の罪を償うチャンスを得た。そのことに感謝して努力しなければならない、強くならなければならないと頭では分かっているのだが、
――また虎太郎さんを騙す……利用することになるのかしら。
考えると憂鬱だった。
彼のことは好きだ、心から。
鷹揚な人柄も、話し上手で聞き上手なところも。
久しぶりに会っても変わらず、楽しいお話で自分を笑顔にしてくれる。
――いいえ、ダメよ。人の良い虎太郎さんを利用するなんて……。
それに七穂は、村に馴染んで胡蝶に関する情報を集めろと言っただけで、具体的な指示はしなかった。
先ほどの言葉……次男に集中しろというのも、命令というよりはアドバイスに近い。
――たぶんあの人は、私の能力がどれくらい使えるか、試したいだけなのよ。
ともあれ、一番手っ取り早いのは胡蝶本人に近づいて催眠術を使い、知りたいことを訊ねればいいのだが、
――お嬢様にはとても近づけない。彼女の近くにはいつも恐ろしい混ざり者がいて、彼女を守っているから。
温泉街で初めて出会った時、彼女のそばには誰もいなかった。
だからこそ話をすることもできたが、今はそれすら難しいと、水連は苦笑いを浮かべる。
――きっと彼が黒須さんの言っていた上司で、お嬢様の婚約者なのね。
直に会って話をしたのは一度だけ……恐ろしさのあまり正面から顔を合わせることもできなかった。
会話の内容もろくに覚えておらず、ただただ彼の気配に怯え、縮こまっていた。
今だって、彼に出くわさないよう、慎重に行動しているというのに。
――他に手を考えないと。
「ねぇ……ちょっと、そこの貴女」
――黒須さんが調べろと言ったのは、お嬢様に関する事柄……彼女の人柄が分かるお話やこの村で過ごした子供時代の話。
他にも、胡蝶の好きな色、好きな花、最近の関心ごとなどなど。
――もしかして黒須さんって、お嬢様のことが好きなのかしら。
「ちょっとっ。無視しないでよっ」
考えごとに夢中になっていたせいで気づかなかった。
背後からガシッと肩を掴まれて、水連はハッと顔を上げる。
「濡れたような髪に寂しそうな目……貴女が例の未亡人ね。池上水連さん、当たってるでしょ?」
そこにいたのは見知らぬ若い女性――背の高い、気の強そうな美人だった。
いきなり名前を言い当てられ、触れられて、不躾だと感じた水連はその手を払いのけると、反射的に距離をとる。
「どなたですか? 村の方ではありませんよね?」
それどころか、彼女からは自分と似た気配を感じた。
――混ざり者? けれど私なんかより、とても強い……。
警戒して後じさりすると、彼女は可笑しそうにクスクス笑う。
「名乗るほどの者じゃないわ。ただ貴女が困っているようだから、助けてあげようと思って声をかけただけ」
「……困ってなどいません」
「嘘おっしゃい。貴女、花ノ宮胡蝶のことを調べているのでしょう? 私、あの女のことが大嫌いなの。だから協力してあげるわ」
その言い方に悪意を感じて、水連はいっそう警戒を強める。
「貴女の協力などいりません」
「そんなにつんけんしないで。同じ混ざり者同士でしょう? 助け合わないと」
頑なな態度を崩さない水連に、女は優しい声で続ける。
「本当にいいの? このままじゃ貴女、お兄さんを助けるどころか、牢獄いきよ」
「……貴女の狙いはなんですか? 私に協力して、なんの得があるんです?」
女は答えず肩を竦めると、
「別にぃ? ただ貴女、見ていてイラつくのよ。使える武器を使わないなんて、バカみたい」
「武器?」
「そのいかにも寂しそうで可愛らしい見た目よ。ちょっと肩でも出して、男にすり寄ればいちころでしょ」
いやらしい言い方をされて、水連は怒りを感じて震える。
「この外見のせいで私がどれほど苦労したか、知らないでしょう」
「知ってるわよ。いやしい混ざり者の女、男に媚びる汚い女、ただ男と話しただけで体を押し付けて誘惑してる、なんて言われたこともあるわ」
水連はハッとして彼女を見ると、
「そんなことを言われて、貴女は平気なんですか?」
「平気じゃないわ。もちろん傷ついたわよ。だから開き直ってやめることにした、女友達を作ることも、好かれる努力もね」
女は腰に手を当て、強気な視線を水連に向ける。
「おかげで今の私がある。男に頼らず、自分で自分を養っていける仕事もね」
「貴女の言動は、なんだか矛盾しているように思えるのですが……」
「細かいことはいちいち気にしないっ。それで、どうするの? 私に手伝って欲しいでしょ?」
「仮にお願いしたとして、どうするつもりですか?」
あくまで警戒心を解かない水連に、
「柳原家の乳兄弟を落として、胡蝶に関する情報を洗いざらい喋らせる」
女性はあけすけに答えた。
「私の魅力をもってすれば可能でしょ」
確かに、目の前の女性は若く、魅力的な姿をしている。
張りのある肌に気の強そうな大きな瞳、真珠のように白い歯に薔薇色の頬、猫を思わせるしなやかな体つき。
「そうですね、ですがお断りします」
きっぱりと言えば、
「大した自信ね。本当にいいの?」
怪訝そうに返される。
「はい。自分の力でやらないと、意味がありませんから」
「……ふん、だったらお手並み拝見といこうじゃない」
不機嫌そうに言って、女はすぐさま姿を消してしまった。
気配が完全に消えたことを確認すると、水連は再び歩き出した。
彼女が一体何者で、なぜ自分に接触してきたのかは不明だが、嫌な胸騒ぎを覚える。
――黒須さんに知らせるべきかしら。でももし、彼女が海吉兄さんの知り合いだったら……?
お嬢様の身が危ない。
無意識のうちに水連は走り出していた。




