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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
続き

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89/98

胡蝶、次兄を連れて帰る




「お嬢様、しっかりしてください、お嬢様」


 軽く揺り起こされて、胡蝶は目を覚ました。

 火照った体でぼんやりしていると、心配そうな顔をした水連が覗き込んでくる。


「私……どうして……」

「お風呂でのぼせて、倒れてしまったようです。私と長話しすぎたせいですね、すみません」


 いつの間にか部屋に運ばれ、布団の上に寝かされていた。

 きちんと浴衣も身に着けており、ほっとする。


「お風呂で、蛇に噛まれたような気がしたのだけれど……」

「長く温泉に浸かり過ぎて、幻を見たのですわ」

 

 幻、という部分を強調されて、「そうかしら」と首を傾げる。


「もしくは、私の髪の毛を蛇と見間違えたのかもしれません。私の髪は長く、緑がかって見えますから」


 言われてみれば確かに。

 試しに上体を起こすと、すかさず水連が手を貸してくれる。


「まだ横になっていたほうが……」

「平気よ。それより水連さんと、話の続きがしたいわ」


 水連は苦笑いを浮かべると、


「これ以上、何もお話しすることはありません。私は虎太郎さんには不釣り合いの女ですから」


 意味が分からない。

 もしかして兄は、遠回しに振られたということになるのだろうか?


「私のことをひどい女だとお思いでしょう?」

「いいえ、そんなこと……でも、残念だわ」


 理由を知りたがる胡蝶に、水連は言った。


「私には兄が一人いるのですが、家を出てからは人が変わってしまって……そんな兄に助けを求めたのが間違いだったんです。まっとうに生きていると思っていたのに、そうじゃなかった。兄は長年、悪事に手を染めていたんです。そして先刻、逮捕されました。ですから私もここを去らなければなりません。これからは兄と二人、犯した罪の償いをしていくつもりです」


「まあ、そんな……私、兄に何て説明すれば……」

「その必要はありませんよ、お嬢様。私のことなど、すぐに忘れてしまいます」


 水連のことを語る虎太郎の顔を思い出して、そんなことはありえないと思ったが、彼女があまりにも悲しそうな顔をするので、何も言えなかった。黙り込む胡蝶を見、話は終わったと思ったのか、水連は立ち上がると、おもむろに戸口の方へ向かう。


「それではこれで失礼します。どうぞ虎太郎さんに、今までありがとうございましたとお伝えください」





 ***





「いけがみすいれん? お客様、申し訳ありませんが、この旅館には、そういった名の女中はおりません」


 ぽかんとした女将の顔を見て、胡蝶は戸惑ってしまう。


「そんなはずありませんわ。だって……」

「お客様、失礼ですがどなたかと勘違いされているのではありませんか?」


 女将は困ったように答えると、人に呼ばれてどこかへ行ってしまった。

 他の女中に訊ねても皆口を揃えて、そんな名前の女中はいないという。


 ただ、もう一度水連に会って、話がしたかっただけなのに。


 ――誰も水連さんのことを覚えていないなんて……おかしいわ。


 胡蝶は混乱しながらも、虎太郎を探した。

 すると、



「虎太郎さんなら、駅のベンチで寝そべっていますよ」




 後ろから近づいてくる気配に驚いて振り返れば、そこに一眞がいて、息が止まりそうになる。


「到着が遅くなって申し訳ありません、ご無事でなによりです」

「一眞さん、私、何が何だか……」


 混乱する胡蝶を近くにある休憩所へ連れていき、座らせると、


「話してください、胡蝶。何があったんですか?」


 胡蝶は一眞に全てを話した。

 すると彼は考え込むように顔を伏せると、


「おそらく催眠術か何かで、皆の記憶を消したのでしょう」

「そんなこと、できますの?」

「混ざり者であれば、そのような能力を持つ人間も中にはいるでしょう」

「でも、だったらなぜ私だけ、彼女のことを覚えているのかしら」

「貴女にだけは、忘れられたくなかったのかもしれません」


 喜ぶべきか悲しむべきか分からず黙っていると、


「その女に、何かひどいことはされませんでしたか?」

「まあ、とんでもない。良い方でしたわ、とても。私は好きです。不器用で、人を寄せ付けない雰囲気が、一眞さんに似ていましたもの」


 それに打ち解けてみれば、彼女はとても親切で優しかった。温泉内でウミヘビに噛まれたと思い込み、倒れた自分を部屋まで運んで介抱してくれたのは、他ならぬ水連である。そのことを話すと、「そうか、それで……」と一眞は困ったような顔をして胡蝶を見ていた。


「頭痛や吐き気はありませんか?」

「いいえ、まったく。よく眠ったからとても気分がいいの」


 一眞は頬を掻くと、「これは……殿下に報告しなければ」と弱り切った声を出す。


「ともかく、ご無事で良かった。虎太郎さんを連れて、家へ帰りましょう」


 ――そうだわ、兄さんに水連さんのことを話さないと。


 そう思い、荷物をまとめて駅へ向かった胡蝶だったが、


「なぁ、胡蝶、俺、何だってあの旅館で番頭なんかやってたんだろう?」


 虎太郎もまた、彼女のことを忘れていた。

 最初こそは、こんな残酷な別れがあるだろうかと水連のことを恨んだものだが、


 

「さっさと家に帰ろうぜ、胡蝶。やっぱり住み慣れた場所が一番だ」



 晴れ晴れとした兄の顔を見て、次第にこれで良かったのだと思うようになった。

 けれど、


「兄さん、またいつか、水連さんに会えるといいわね」

「なんだぁ、胡蝶、弁当ならやらねぇぞ。食いたかったら自分で買え」


 帰りの汽車の中で、夢中になって駅弁を頬張る虎太郎に、胡蝶は唇を尖らせる。


「兄さんっていつもそう。結局最後は花より団子なのよ」

「冗談だって、食いたきゃ好きなだけ食えよ。今日は兄ちゃんの奢りだ」


 一眞が見ている前でそんなはしたないことはできないと、最初は箸をつけなかった胡蝶だったが、次第に我慢できなくなり、


「……胡蝶、それで何個目だ?」

「三つ、兄さんこそ人のこと言えないでしょ」

「狐の兄さん、あとで金貸してくれないか? 胡蝶がよく食べるせいで、汽車賃が足りなくなるかもしれない」

「もちろん構いませんよ」

「やめてよっ、兄さんったら」


 穏やかな午後だった。

 口の端にご飯粒をつけて言い合う兄妹を、一眞は微笑ましげに眺めていた。


 



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