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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
続き

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池上水連の苦悩



「またお客さんと一緒に帰ったそうじゃないか、水連。ここは蕎麦屋で、娼館じゃないんだよ」


 ああ、またか、と水連はウンザリして口を開く。


「誤解です、女将さん。出待ちされて、家まで付いてこられただけです」

「けど、お前の方から誘ったんだろ? 他の女の子たちもそう言っていたよ」

「誘った覚えなんてありません。相手はお客様ですから、失礼のないように接しただけです」

「それでお客のほうが誤解したっていうのかい? 自分は一切悪くないって?」


 ねちっこい声で、女将は言う。


「お前にも問題があると、あたしは思うけどねぇ」

「どういう意味ですか?」


「男のお客さんがねぇ、以前、あたしに言ったんだよ。ずいぶんと色っぽい娘を働かせてるねぇって。ありゃ、男受けする娘だよってさ。もちろんあんたのことだよ、水連」


 怒りと屈辱のあまり口が利けない水連に女将は続ける。


「あんたは訳アリで、ちょっと影があるからねぇ。男はそういう女に弱いのさ」

「私はこれでも、真面目に働いてきたつもりです。それは評価されないんですか?」

「あんたはこの店じゃ、場違いなんだよ」


 なるほど、そういうことか。

 こみあげてくる不満や悲しみを押し殺して、水連は頭を下げる。


「わかりました、今日限りでこの店を辞めます。お世話になりました」


 生きていくためには働かなければならない。

 けれど真面目に働いたところで、結局長続きはしないのだ。


 

 ――それは私が混ざり者だから?



 昔からそうだった。


 村の女たちは水連を見下し、嫌っていた。

 反対に村の男たちは水連に優しく、それが余計に女たちの気に障るようだった。

 

 水連に親はなく、冷たい祖母の元で育てられた。



「鶏の餌やりはすんだかい? 水連。だったらさっさと家の掃除をおやり。それが終わったら、食事の支度をするんだよ」



 水連は孫というよりも赤の他人以下の存在だった。けれど当時、肉親の愛に飢えていた水連は、祖母の気を引こうと必死に努力した。下女のように彼女に尽くして、愛情を得ようとしたのだ。少しでも役に立つ子どもだと思われたかった。けれど記憶にある限り、祖母から優しい言葉をかけられたことは一度もない。学校にも通わず、どれほど祖母の世話をしようと、家事を手伝おうとも、最後には「穀潰し」と罵られてしまう。


 そんな時、同情した近所の人が、見合いをしないかと縁談話を持ってきてくれた。


「あんたも早く、あの家から出たいだろうと思ってね」


 水連は一も二もなく飛びついた。

 相手は元軍人で、両眼を患い、田舎の別宅で休養しているらしい。


 当時18歳だった水連よりも14歳も年上だったが、実際に会ってみるととても気さくで、実年齢よりも5歳は若く見えた。

 


「初めまして、池上水連さん」



 家を出るためなら、多少、難のある相手でも我慢しようという気持ちで見合いに挑んだ水連だったが、盲目とはいえ、相手の男性が裕福で、女性には困らないような外見をしていたので、むしろお断りされるのは自分のほうでは、と途中から危機感を抱いたほどだ。


 しかし仲人をしてくれた近所のご夫婦が、水連のことを働き者でとても優しい子だと褒めてくれたらしく、結果として、水連は結婚し、家を出ることができた。残された祖母は「厄介払いができた」と言って清々していたようだが、結婚相手の家が裕福だと分かると、たびたび「生活が苦しい」と言って、お金を無心するような手紙を送ってきた。


 結婚したら苦労するよと祖母に脅されていたが、夫との生活は思いがけず楽しいものだった。盲目とはいえ、彼は身の回りのことをほとんど自分でやってしまうので、あまり手がかからないし、彼の周りには彼の仕事をサポートしてくれる人たちもたくさんいるので、安心して仕事へ送り出すことができた。


 ――幸せって、こういうことなのね。


 夜中、祖母の介助のために起こされることなく、ぐっすり眠れたのは何年ぶりだろう。朝が来るのが待ち遠しいと思ったのはいつぶり? ついこの前、庭にある桜の花が満開になっていて、あまりにの美しさに時間を忘れて見入ってしまった。烏の鳴き声が聞こえる夕暮れ時は、なんだか物悲しい気持ちになって、玉ねぎを刻みながら涙をごまかしてしまう。


 ――ずっとこんな時間が続けばいいのに。


 しかし幸福な日々は長くは続かず、夫は二年後に病気で亡くなってしまった。彼との間に子どもがいなかったせいか、まだ若いのだからと、夫の親戚たちに強く再婚を勧められて、水連は喪が明けると同時に他の男と結婚した。けれど水連はまだ夫のことを愛していたので結婚生活はうまくいかず、二人の間に子どもができないまま、その男もまもなく病で亡くなってしまった。


 二度も結婚して、二度も夫に先立たれてしまったせいか、その後、水連に求婚する男は現れず、村の女たちはあることないことを噂した。



「あんなに可愛い顔をして……」

「よく表に顔が出せるもんだねぇ」

「ああ、恐ろしい。あの子に近づくとこっちまで早死にしちまうよ」

 

 ようするに彼女たちはこう言いたいのだ。

 あの子は卑しい混ざり者だから、夫を食い殺したに違いない、と。


 水連は夫殺しの嫌疑を晴らすために、夫が残してくれたわずかばかりの財産を放棄したが、それでも村の女たちから――勝手に家の中に入ってきて物を壊したり汚したりと――ひどい嫌がらせを受け、追い出されるようにして村を出たのだった。

 

 

 ――これからどこへ行けばいい? もう祖母の家には帰れないし……そうだわ。



 長いこと連絡を取っていなかった兄の存在を思い出して、水連は一塁の希望を抱く。

 兄も自分と同じく混ざり者で、この村を嫌って、早くから家を出ていたのだ。


 今では立派に商いで生計を立てていると噂で聞いた。

 彼ならば、この最悪の状況から自分を助けてくれるかもしれない。


 ――でも、どうすれば兄さんに会えるんだろう。


 物心ついた時から、混ざり者としての力は使うなと、祖母にきつく言い聞かせられてきたが、もう家を出たのだから祖母の言いつけに従う義理はない。水連の家系は元は漁師で、祖先の日記には濡れ女と交わって子をなしたという記録が残されている。最初は半信半疑だったが、思い当たる節がいくつもあり――例えば水連は、水の中で魚のように泳ぐことができたし、息も30分以上、止めることができた――それでいつも髪の毛が濡れたように湿っているのかと、最後は納得したのだった。


 ――そうだ、試しに海の中に潜ってみよう。


 何か困ったことがあったら、海の中に入って自分の名前を呼べ。

 幼い頃、兄にこっそり耳打ちされた言葉を思い出して、水連は実践した。


 海辺の宿をとって、夜中にこっそりと部屋を抜け出す。

 浜辺に誰もいないことを確認して、着物を脱いで海の中に入っていく。


 海の底は暗くどんよりとしていて、水も冷たい。

 けれど不思議と恐怖はなく、むしろ懐かしい気持ちがした。



海吉うみよし兄さん。聞こえる? 海吉兄さん』



 海中にいるにも関わらず、目を開けても痛みは感じない。

 まるで陸地にいるように自分の声がはっきりと耳に届くのが不思議だった。



『海吉兄さん、どこにいるの? 私よ、水連よ』


 

 それを何度も繰り返していると



『僕を呼んだかい? 水連』



 応える声があり、兄の声だとすぐに分かった。

 必死に目を凝らして、声が聞こえた方向へ顔を向ける。


 すると向こう側から、大きなウミヘビがゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見えた。




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