摩璃子伯爵夫人の憂鬱 弐
優しさは弱さと見なされ、いじめの標的にされる。
身体が大きくて頑強な子でも、まぬけであれば利用される。
そんな環境で摩璃子は育った。
生まれた時から、摩璃子は何もかもが平凡だった。
特出した才能もなければ、目を引くような美しさもない。
そんな摩璃子に、母は言った。
「摩璃子、お前には何の期待もしていないから。伊久磨の足を引っ張ることだけはしないでね」
弟には優しく、自分には冷たい母だった。
結婚をして男児を生んでも、母は喜ぶどころか、
「女が結婚して子どもを産むのは当たり前のことでしょ。それより頼んだ物は持ってきてくれた? あら、また忘れたの? お前は本当に気の利かない子ねぇ。そんなんでよくこれまで生きてこられたものだわ」
摩璃子の母は世間でいうところの毒親だった。
当然、摩璃子は母のことを嫌い、憎んでいた。
男には分からなくとも、女には女のいやらしさが分かる。
子どもの頃は、たくさんの洋服やぬいぐるみを与えられ、それなりに可愛がってもらえた。お前は私に似て平凡だから、せめて身なりくらいは着飾りなさいと、同情すらしてもらえた。
母の態度が変わったのは摩璃子が女学校を卒業し、縁談を受けられる歳になってからだ。
「そんなに濃い化粧をして、みっともない。売春婦じゃないんだから」
おしゃれをすれば売春婦のようだと説教され、年の近い、異性の使用人と話をしただけで、
「お前はいつから自分を貶めるような振る舞いをするようになったの? これ以上、私に恥をかかさないでちょうだいっ」
ものすごい剣幕で怒鳴りつけられてしまう。
その時になって、摩璃子はようやく気付いたのだ。
――お母様は私に嫉妬しているんだわ。
自分に若い異性を惹き付けるだけの魅力がないから。
ただ醜く老いていくばかりで将来がないから。
親は無条件に我が子を愛するものだと思っていたが、母の麗子は違うのだと、身をもって知った瞬間だった。
――娘の幸せを望まない母親もいるんだわ。
現に、摩璃子は不幸だった。
母親に言われるがまま結婚したものの、夫は父に似た冷たい男で、子どもを産んでからは自分に見向きもしなくなった。不平不満を口にしたところで周囲は、「結婚とはそういうもの。我慢しなさい」の一点張り。
――でもお母様の悪口を言うと、伊久磨は怒るのよね。
『お前は一度でも母上に優しくしたことがあるのか?』と。
父に虐げられる母の姿を、見て見ぬふりをしていたお前が言うな、と。
――仕方がないじゃない。怖かったんだもの。
しかし伊久磨の言うことにも一理あるかもしれないと思い、その日、摩璃子は思い切って母に会いに行くことにした。どうやら伊久磨曰く、療養施設から一時帰宅しているらしい。父があんなことになってしまい、母にも少しくらい心境の変化が訪れただろうと期待したのだが、
「あら、またお前一人で帰ってきたの? 孫はどうしたのよ?」
喜ぶどころか、なぜ孫を連れてこないのかと責められて、出直す羽目に。
翌日、自分に懐かないふくれっ面の息子を連れて、母に会いに行くと、
「なぁに、この子、いつもブスっとして、まともに口も利けないの? もう五歳にもなるのに、脳に栄養が行き届いていないのかしら。顔もお前にそっくりで、将来有望とは言えないわね。伊久磨とは大違い。あの子は生まれた時から天使のようだったわ。それに比べて、お前の子は……」
母は母だった。少しも変ってなどいない。
摩璃子はげんなりして息子の両耳を手で塞ぐ。
「ちょっと、それ、何の真似よ」
「子どもにとって有害なものをシャットアウトしてるの」
逆上する母の説教から逃れるために、摩璃子は息子の手を引いて屋敷を飛び出す。
車に戻ると、ずっと黙り込んでいた息子がようやく口を開いた。
「……僕、あのおばあちゃん嫌い」
「気が合うわね、私もよ」




