胡蝶、皇后陛下のお茶会に招待される 弐
「最近、一段と寒くなりましたわねぇ」
「ええ、本当に。家を出るのが億劫になりますわ」
「新しく冬用の着物を仕立てなくては」
「どうせなら流行りの洋装ものもいいですわねぇ」
「どこか良いお店がありまして?」
「あら、ご存知ない? 銀街に新しいお店ができましたのよ」
「しかも店主は見目麗しい影国人だとか……」
「まあ、それは是非とも行かなくては」
和やかな雰囲気でスタートした皇后主催のお茶会で、胡蝶は緊張しながらも末席に座っていた。皇后からは事前に隣に座ってもよいという許可は得ているものの、プライドが高く負けず嫌いが多い上流階級の社交の場では、できるだけ目立たないほうがいいと考え、隅のほうに身を寄せる。
「そういえば娘の結婚相手がようやく決まりましたのよ」
「それはようございましたわねぇ」
「お相手は確か侯爵家の……」
「あの方、そういえば気になる噂がありましたわねぇ」
「市井に愛人を囲っているという話でしょう? 知ってるわよ」
「だったらもう身辺調査はされたのね」
「当然でしょ。これから家族になる相手なんですから」
「相手が平民なら、手切れ金でも渡して別れさせれば済む話ですものね」
「それも考えましたけど、あえて放っておくことにしましたわ」
「まあ、どうして」
「そのほうが娘も好きに動けるでしょうし。旦那の言いなりにならずに済むでしょう?」
「それもそうね」
「無理やり別れさせたことで、かえって燃え上がってしまう恐れもありますし」
「またどうせ、よそで愛人を作るでしょうしねぇ」
おほほと上品な笑い声を上げながら、奥様方は楽しげに会話していた。
「どこかに身奇麗な殿方はいないのかしら」
「花ノ宮侯爵の新しいご当主様とか?」
唇を切った夫人は、胡蝶のいる方をちらりと見やり、それからおもむろに皇后の顔色を伺う。皇后が軽く頷いてみせると、奥様方は再び会話を続けた。
「当主となってまだ日が浅いですし、仕事が忙しくてそんな暇はないでしょう」
「人脈作りも熱心にこなしてらしてよ。あちこちの社交界に顔を出しておられるとか」
「歳の割に落ち着いていると、主人も感心していましたわ」
「あの方が今一番の注目株なのは間違いありませんわね」
「まだ独身だなんて、信じられない」
「仕方ないわよ。厄介な姑と小姑がついていますもの」
「誰も魔物の巣窟に自慢の娘を嫁がせたいとは思わないでしょう?」
「麗子夫人は仕方がないとしても、楔形夫人はねぇ」
「夫と子どもの面倒も見ないで、実家に入り浸っているんでしょう?」
「まだ独身気分が抜けないのかしら」
「あんな娘が息子の嫁だなんて、お姑さんが可哀想」
「現にあちこちで愚痴をこぼしていらしてよ」
「不満はたくさんおありだけど、男児を生んでいるから強く言えないんですって」
「そんなの関係ないわよ」
「そうよそうよ」
「単純に楔形夫人の生家が格上だから引け目を感じているだけでしょ」
どうして彼女達はこれほど他家の事情に詳しいのかと、ぞっとしてしまう。直接話をしたことがない夫人までも、熱心な様子で会話に加わっていて、胡蝶は気が遠くなるのを感じた。
「でもそれをいうなら龍堂院家の御子息様も……」
「あれは引け目を感じているのではなくて、心から胡蝶様のことを崇拝なさっているのですわ」
「それほどまでに殿方に好かれるなんて、女冥利に尽きますわねぇ」
「あら、それはひとえに胡蝶様のお人柄によるものよ」
「龍堂院家の御子息はとても真面目で厳しくていらっしゃるから……「
「外見によらず、女性にも容赦ないそうよ」
「ではどうやってあの方の心を掴まれたのかしら」
「本当、実は私も知りたいと思っていたところなの」
束の間、沈黙が流れる。
奥様方の視線が突き刺さるのを感じて、胡蝶はおずおずと顔を上げた。
「私は特に何もしていませんが……」
すると間髪入れず、
「嘘」
「絶対に嘘ですわ」
「隠さずにおっしゃって」
「ここだけの秘密にしますから」
口調は優しいのに、有無を言わせぬ力があった。
それになんだか、皆の目が怖い。
どう答えるべきか胡蝶が悩んでいると、
「貴女達、私の可愛い姪っ子を怖がらせないでちょうだい」
その一言ではっと我に返った奥様方は、再び顔色を伺うように皇后を見る。
「申し訳ありません、陛下」
「怖がらせるつもりはなかったのですけど……」
「わたくしたちもつい必死になってしまって」
「お見苦しいところをお見せしました」
皇后はにっこり笑って手を振り、
「そんなの今更でしょ」
とくすくす笑う。
「そんなことより、今日のお茶菓子を見て気づいたことはない?」
意味深な皇后の言葉に、皆、あらためて茶菓子を手に取った。
「主菓子が栗きんとんで、干菓子は落雁ですのね」
「もう食べた人はいる?」
「はい、皇后陛下、落雁はまだですが、栗きんとんを頂きました」
「お味はいかが?」
「大変おいしゅうございましたわ。素朴なお味で、けれどしっかり甘味もあって」
皇后に感想を求められ、他の奥様方も競って茶菓子を口に入れる。
「まあ、本当」
「しっとりとしていて重みもあるのに、口の中入れた途端、瞬く間に溶けてしまいました」
「どこのお店のものですの?」
「わたくしもぜひ注文したいわ」
彼女達の反応を見て、大変気を良くした皇后は、
「好評みたいで良かったわね、胡蝶」
ずっとこのことで緊張していた胡蝶は、ようやく息をつくことができた。
不思議そうな顔をする奥様方に皇后が訳を説明する。
「干菓子はいつもの店のものですが、主菓子は胡蝶が作ったのよ」
衝撃のあまりはっと息を呑む奥様方の顔をゆっくり見回すと、皇后は微笑んで言った。
「これが先ほどの答えよ。進歩的な考えを持つ貴女方なら、理解できるのではないかしら」
その後、茶会を開く際に手作りの菓子を振舞うのが上流階級の奥様方や独身女性の間でブームとなるのだが、胡蝶にとっては嬉しい誤算だった。




