胡蝶、異母兄を説得する
胡蝶は自室で、紫苑から聞いた話を頭の中で整理していた。
一つ、この屋敷で蛇ノ目が匿われていること。
一つ、花ノ宮家の誰かがその件に関わっていること。
その誰かはまだ突き止めていないと紫苑は言ったものの、
「紫苑、私に遠慮しているのなら怒るわよ」
しつこく問い詰めると、最後は決まり悪そうに白状する。
「伊久磨ですよ」
「……どうして、お兄様が……」
「さあ。それは本人に聞いてみないと」
それもそうだと思い、胡蝶は立ち上がる。
「姉さん、待って。どこへ行くつもりですか」
「ご不浄へ。お茶を飲みすぎてしまったみたい」
なんだ、と立ち上がりかけた紫苑が再び椅子に座るのを確認して、部屋を出る。当然、向かった先は厠ではなく、父の書斎室だった。そこに彼がいると踏んだのだが、予想通り、彼はいた。
「お兄様、胡蝶です」
「入るな。今は誰とも会いたくない」
いつもならそこで諦めるものの、胡蝶は意を決して中に足を踏み入れる。
「入るなと言ったはずだ」
素早く辺りを見回して、「彼はどこにいますか?」と訊ねる。
「誰のことを言っている? ここには僕しかいないぞ」
「お兄様、どうしてですか? あの男を使って、お兄様は何がしたかったのですか?」
伊久磨は伏せていた顔を上げると、まっすぐ胡蝶を見つめた。
「やはりそうか……殿下はもう、ご存知なんだな。だから父上を……」
疲れたように呟きながら、引き出しから何かを取り出す。
「僕はずっと、自分のことを特別だと思っていた。僕にできないことはないと自惚れていたんだ。けれど、どうやら違ったようだ」
それが護身用の銃だと気づいた瞬間、胡蝶は背筋が冷たくなるのを感じた。
「やめてください、お兄様」
「なぜ止める? 僕は昔から、お前のことを無視してきた。僕のことを恨んでいるだろう?」
「恨んでなどおりません」
「嘘だ。母上や摩璃子がお前に辛く当たるのを知っていながら、見て見ぬふりをした。それどころか、無力な赤ん坊だったお前を、この家から追い出したのも僕だ。お前を里子に出すよう、父上に強く進言した」
そうだったのか、と胡蝶は驚く。
「でしたら、私のことを恨んでいるのはお兄様のほうでは?」
「ありえない。お前が僕に何をした? 恨むどころか、ずっと申し訳なく思っていたよ。お前は犠牲者だ。生まれた時から、父上への鬱憤を晴らすための吐け口にされていた。そしてそれは今も続いている」
異母兄が自分のことをそんな風に思っていなんて、意外だった。
好かれていたわけではないが、嫌われてもいなかったらしい。
「だから今度はお前ではなく、父上をどうにかしようとした。そのために蛇ノ目の力を利用するつもりだったんだ。だがそれも無駄に終わったな。奴なら逃げたよ。殿下がここへ来る少し前に」
言いながら銃を弄ぶ伊久磨を見、胡蝶は慎重に口を開く。
「私が犠牲者なら、お兄様も同じです。ですからその銃をおしまいになって」
それでも銃から手を離さない彼に、胡蝶の焦りは募っていく。
「私に対して少しでも罪悪感をお持ちなら、私の言葉に耳を傾けて――私の言うことを聞いてください。もう、私を無視しないでっ」
たまらず声を大にすると、伊久磨はハッとしたようにこちらを向いた。
「お兄様は先ほど、赤ん坊の私を屋敷から追い出したと言いましたが、そのおかげで、私は幸せな子ども時代を送ることができました。ですから、そのことでお兄様を恨んではいません。それに、お父様に対しては、私もお兄様と同じくらい……もしかしたらそれ以上に、憤りを感じています」
納得したように頷く伊久磨に、胡蝶は続ける。
「お父様とは今度こそ話をしなければと思い、こうして戻って参りました。もし、お兄様が私の味方になってくださったら、これほど心強いことはありませんわ」
「……僕に何をしろと?」
ようやく伊久磨が銃から手を離した。
そのことに深い安堵感を覚えながら答える。
「お兄様のしたいようになさればいいわ。私もそうしますから」




