龍堂院一眞の懸念
紫苑が花ノ宮家を訪れる数日前のこと、
「お前が僕に頼みごとをするなんて珍しいな」
恐縮して頭を下げる一眞を前に、紫苑は椅子に座ってふんぞり返っていた。
「……お願いできますか?」
「むろん、僕にしかできないことだからな」
偉そうに言って、おもむろに立ち上がる。
「姉さんの援護は任せておけ。それより、例の件はどうなっている?」
「百目鬼さんの協力のおかげで裏切り者は排除しましたし、今度は逃がしません」
「ということは、奴の居場所はもう掴んでいるんだな?」
一眞は頷き、ゆっくりと顔を上げる。
その表情は暗く、沈んでいた。
「だったらなぜ早く捕らえに行かない?」
「高位貴族が関わっているので、動くに動けない状況です」
「誰だ? 許可なら僕が出してやる」
「いえ、さすがにこの件は皇帝陛下にお伺いをたてないと……」
普通の貴族が相手なら、一眞がこんな顔をするわけがない。
まさか、と紫苑は頬を引きつらせる。
「あの花ノ宮侯爵が混ざり者を匿うわけないだろ」
「侯爵ではなく、その御子息が関わっている可能性が高いのです」
「従兄殿が?」
なるほど、だからこれほど慎重になっているのかと、紫苑は天井を見上げる。
「もしそれが事実なら、姉さんが傷つくだろうな」
「……はい」
「だが、ああ見えて従兄殿は臆病だ。蛇ノ目に人質をとられて脅されている可能性もある。例えば麗子夫人とか」
内心ではありえないと思いつつも、他の可能性を示すと、「私も同意見です」と一眞はほっとしたように便乗してきた。
「ともかく、姉さんのフォローは僕がする。お前はお前のやりたいようにやればいいさ」
「ありがとうございます、殿下」
今一度深く頭を下げると、一眞は迷いのない足取りで執務室を出て行く。
***
――あー、超こえー。少しでも気配に気づかれたら、蛇ノ目様に殺される。
ひと月ほど前から庭師に化けて花ノ宮家に潜入していた七穂だったが、蛇ノ目の気配を感じた瞬間、その場から離脱。事の次第を一眞に報告した上で、屋敷近くで待機するよう命じられていた。それで現在、蛇ノ目が花ノ宮家の敷地内から逃げないよう、また逃げた場合はすぐに追跡できるよう、張り込みをしているのだが、
――つーか、無生物に化けるのって滅茶苦茶しんどいんだけど。
できれば猫かカラスのほうが監視しやすかったのだが、蛇ノ目の使い魔に見つかる可能性が高いので、同じ混ざり者同士でも、もっとも気配が悟られにくい無生物――その辺の石ころに化けて、じっとしていた。
――路傍の石には誰も注意を払わない。
しかし、いくら化けるのが得意な狸の妖怪でも、限度というものがある。無生物に化けるのは通常よりも神経を使うし、体力も削られる。何より一切、飲み食いができない。既に飲まず食わずの状態で五日間が経っていた。このままでは脱水症状を起こして倒れるか、その前に術が解けて蛇ノ目に見つかり殺されるか――時間の問題である。
――龍堂院の野郎、俺を部下に勧誘しときながら、このまま餓死させるつもりじゃないよな。
鬼畜野郎だとは知っていたが、まさかここまで人使いが荒いとは。
上司の命令に従うのも命懸けである。
――いやいや、姫さんだって頑張ってんだ。ここで踏ん張らないと男じゃない。
そう自身を鼓舞し、七穂は待った。
待って、待って、待ち続けた。
そしてその時が訪れると、七穂は術を解いて、すぐさま標的を追いかけた。




