相変わらずな日常
「まあ、お嬢様、またラタ何とかをお作りになっているのなら、あたくしは結構ですわ」
「昨日作ったラタトゥイユ……そんなに美味しくなかった?」
「だっておかしいじゃありませんか。きゅうりを油で炒めて煮るなんて……」
「きゅうりじゃなくてズッキーニだと何度も説明したはずよ」
「似たようなものですわ」
「けれどあれはカボチャの仲間で……」
胡蝶が必死に説明しているにも関わらず、お佳代は呆れたようにため息をつくと、
「ようやく影国から帰国なさったと思ったら、相変わらずお料理ばかり。お佳代はこれでも期待して――心配しておりましたのよ。これほど長く、龍堂院様と過ごされたのは初めてでございましょう?」
「そうね、移動に七日間もかかるとは思わなかったわ」
「お嬢様ったら、あたくしが聞きたいのはそんなことではありませんわ」
「影国は素晴らしい国だったけれど、三日間の滞在で全てを知るのは無理よ」
それでも一眞は、できる限りのことをしてくれた。何かにつけてレシピを知りたがる胡蝶のために、高級料理よりも家庭料理が食べられる宿を探して、お忍びで連れて行ってくれたり、料理を得意とする貴族女性に会わせてくれたりと、彼には感謝してもしきれない。
「向こうで教わった料理を、忘れないうちに作っておきたいの」
お喋りしながら、そば粉に卵を割り入れて混ぜていると、
「まあ、影国でもお蕎麦を食べるんですのねぇ」
「違うわ、かあさん。今作っているのはガレットよ」
「はあ、がれっとですか」
「これならきっと、かあさんも気に入るはずよ」
そば粉、水、塩等を混ぜて寝かせた生地を薄く広げて焼き、目玉焼きや野菜をのせて正方形に折りたたんだものだが、火加減が難しく、何度か焦がしたり、焼き過ぎて生地が割れたりしてしまった。
「かあさん、やったわ。成功よ」
せっかく美味しそうにできたにも関わらず、お佳代はつまらなそうな顔をしている。
「どうしたの? 口に合わない?」
「いいえ、パリっとした生地に半熟卵が絡んで、美味しゅうございますわ」
「だったらなぜ、残念なものを見るような目で私を見るの?」
「お気になさらず。お嬢様の成長を喜んでいるだけですので」
「本当かしら」
「まるで淑女の鑑ですもの、乳母として誇らしいですわ」
そう言って涙ぐみながらも、小声で「龍堂院様の意気地なし」と罵るお佳代だった。
***
「残念ながら影国に蛇の痕跡はありませんでした」
「では、蛇ノ目は未だ和国に留まっていると?」
頷く一眞を見、紫苑は考えこむように腕組みする。
「黒須七穂の情報が嘘だったということか」
「というより、蛇ノ目に嘘の情報を吹き込まれていたようです。百目鬼さんの能力を使って確かめたので間違いありません。敵を騙すにはまず味方から、と申しますし」
「軍の精鋭部隊は何をやっているんだ」
「彼らなりに精一杯やっていますよ。蛇ノ目も追い詰められているからこそ、黒須を始末しようとしたのでしょうし」
「百目鬼たちのほうは無事なのか?」
「何度か刺客を差し向けられましたが、問題ありません。本人たちも警戒していますし、私も分身を送って対処しています」」
紫苑は席を立つと、落ち着かないとばかりに室内を歩き始める。
「たった蛇一匹始末するのに、なぜこうも時間がかかる?」
「彼の客層は広いですから」
苛立たしげな一眞の声を聞いて、紫苑は足を止める。
「軍にも内通者がいると?」
「それ以外に説明がつきません」
はあ、とため息がこぼれる。
「道理で寸前で逃げられてしまうわけだ」
「もうすでに内部調査が入っていますが、内通者の特定には時間がかかるかと」
「だったら急がせろ。こっちは姉さんの命がかかってるんだ」
「百目鬼さんの能力を使ったほうが早いかもしれません」
「そうだな、お前に任せる。ところで……」
ごほんごほんとわざとらしい咳払いをすると、
「姉さんとの旅行はどうだった?」
紫苑は思い出したように話題を変えた。
「……普段ノロケ話はやめろとおっしゃるくせに、そういうことは訊くんですね」
「いいから答えろ」
「とても喜んでおられましたよ」
「それはお前がわざわざ自分のために休暇をとってくれたと勘違いしているからさ」
ネチネチと嫌味を言っても、一眞はまるで顔色を変えない。それどころか憐れむような視線を向けてくるから余計に腹が立つ。
「影国に行った本当の目的が蛇ノ目の捕獲だと知ったら、さぞかしがっかりするだろうな」
「まさか胡蝶様に話すおつもりですか?」
「当然だろ。『私より仕事を取るなんて最低よ』と罵られるお前の姿が今にも目に浮かぶ」
そう言って高笑いする紫苑を見、一眞はやれやれと肩をすくめる。
「なるほど、それで影国行きを快く勧めてくださったわけか」
その上、蛇ノ目の件はくれぐれも胡蝶に言うなと口止めしたのも紫苑本人だった。このままやられっぱなしも癪なので、というより、本人のためにはならないと思い、
「よし、早速姉さんのところへ行ってお前の秘密を暴露しよう」
「やめたほうがいいと思います。今会えば、気まずい思いをするのは殿下のほうですよ」
一眞も反撃に出る。
「ふん、負け惜しみを」
「胡蝶様に会われる前に皇后陛下に謁見すべきです」
「なぜ母上に会う必要があるんだ?」
「以前、皇后陛下主催のお茶会に胡蝶様が招かれたのはご存知で?」
「もちろん知っている」
そこで紫苑はハッとしたように一眞の顔を見る。
「まさか……」
「そのまさかです。陛下は殿下のお気持ちに気付いておられたのですね。うちの息子は貴女のことが昔から好きだったのよと、はっきりおっしゃられたそうですよ。加えて、ご自分のことをお母様と呼ぶよう、胡蝶様に強要……懇願されたとか。さすがの胡蝶様も動揺しておられました。このことは紫苑には内緒よと口止めされていたのですが……すみません、うっかり口が滑ってしまいました」
沈黙は長かった。
紫苑の顔色が青ざめたものから真っ赤なものへと変化すると、
「あンのクソババアっ」
涙目で悪態を付きまくる皇子を、この時ばかりは叱責しない教育係だった。




