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元夫とポークカツレツ



 土間続きの台所でいつものように料理をしていると、お佳代が様子を見に顔をのぞかせる。


「あら、今日のお夕飯はポークカツレツですのね」

「辰兄さん、好きでしょ、これ」

「安い豚肉ですから、少し硬いかもしれませんわ」

「ええ、だから今、柔らかくするための下処理をしているの」


 まず、均一に火を通すため、できる限り脂部分を取り除く。麺棒で叩いて筋繊維をほぐし、細かく切り目を入れたら、塩胡椒でしっかり下味をつける。それに小麦粉をまぶし、溶き卵に浸して、パン粉を付けたら、低温でじっくり揚げる。けれど胡蝶は、この手順を少し変えた。


「まあ、あらかじめ小麦粉と溶き卵を混ぜてしまうんですの?」

「そのほうが簡単だし、パン粉も付きやすくなるから。バッター液というのよ」

「はあ、ばったーえき、ですか」


 首を傾げながらお佳代は不思議そうにつぶやく。


「お夕食の前に少し歩いてきますわ。最近、太ってしまったようなので運動しないと」

「そう?」

「お嬢様の手料理が美味しすぎるせいですよ」


 そう苦情を漏らしつつお佳代が出て行くと、胡蝶も少し休もうと思い、立ち上がった。どうせなら出来立てを食べてもらいたいので、揚げるのは辰之助が来るまで待つ事にする。


「お仕事はいつ頃終わるのかしら」


 すると引き戸を開ける音がして、玄関から誰かが入ってくる気配がした。

 どうやら辰之助が来たようだ。

 

 黙って入ってくるなんて彼らしくないと思いながら出迎えに向かうと、


「ひ、久しぶりだな、胡蝶」

「……清春様」


 今日まで思い出すことすらなかったのに。できることならもう二度と会いたくないと思っていた元夫の姿を見、顔から笑みがすーと引いていくのを感じた。すると清春はハッと息を飲み、決まり悪そうな顔をする。


「どうしてここへ?」

「別に……ただ、お前が元気にやっているか、心配でな」

「心配、ですか」


 てっきり彼には嫌われているとばかり思っていたが、そうではないのだろうか。


「いけないか? これでも一年間、夫婦だった仲だろう」

「清春様は私のことを疎んじておられると思っていました」

「そ、そんなことは……」

「ないと言い切れますか?」


 清春は言葉に詰まって俯くと、居心地悪そうに黙っていた。

 ややして、「来るんじゃなかった」とぽつりとつぶやく。


「邪魔をして悪かったな」

「もうお帰りに?」


 一体この人は何をしに来たのだろうと首を傾げてしまう。けれど、このまま追い返すより、元気にやっている自分の姿を見せたほうが、少しはこれまでの行いを反省してくれるかもしれない。と思い直し、


「お待ちください、清春様」


 帰りかけた彼を呼び止めて、にっこり微笑む。


「よろしければ、上がってお夕飯を食べていかれませんか?」



 

  ***




「……これを、胡蝶が作ったのか?」

「ええ、もちろん」

「信じられないな」

「ご心配なく。毒など入れておりませんから」


 毒と聞いて、ひっと怯えた清春だったが、


 ――そうか、当然恨んでいるだろうな、俺のことを。


 白い結婚だったとはいえ、本妻と手を組んで彼女を陥れた――キズモノにしたのだ。

 それ以前に、格下の家柄で、愛人のいる男の元になど、嫁ぎたくはなかっただろう。


 ――だったらなぜ、俺を家に上げてくれたんだ?


 会えば絶対、どの面下げて……と罵られると思っていた。

 二度と顔を見せるなと言われ、最後には逃げられてしまうだろうと。


 ――まだ俺に未練があるとか?


 つい先刻も、笑いかけてくれたし。

 微かな望みを抱いた清春だったが、


「それを食べたら、どうぞお帰りください。そしてどうか、もう二度とここへはお越しくださらないよう、お願いいたします。誰が貴方に私の居場所を教えたのかは存じませんが、迷惑です」


 木っ端微塵に打ち砕かれてしまう。 


 女性にここまで手ひどく嫌われたのは初めてで、思わず泣きそうになってしまった。けれどそんなみっともない姿は彼女には見せられないと、顔をしかめて涙をこらえる。いつまでも料理に手をつけない自分に焦れたのか、


「お料理が気に入らないのであればお下げしますが……」

「いや、頂こう」


 いっそこれが毒入りで、人生最期の食事になっても構わない。

 それだけのことを、自分はしたのだ。


「ナイフとフォークはないのか?」

「ええ、あらかじめ切り分けておりますので、お箸でお召し上がりください」


 普段から和食ばかり口にしているので、洋食料理は久しぶりだった。ほんのり湯気が立ち上るカツレツは揚げたてで、衣がサクっとしている。中のお肉は柔らかくしっとりとしていて、脂加減もちょうどいい。すっきりとした味わいの、ウスターソースとの相性も抜群だ。


「私はソースより、お醤油をかけるほうが好きなのですけど」

「そうなのか?」

「ええ。お味はいかがです?」

「……まあまあだ」


 正直、あの胡蝶が料理をしているだけでも驚きなのに、出された料理の美味しさに、清春は目を剥いていた。これでも舌は肥えているほうだと自負している。胡蝶の手料理を一口一口噛み締めながら、どういうわけか敗北感を覚えた。


「よほどお腹がすいてらしたんですね。完食なさるなんて」


 空っぽになった器を見下ろして、更に敗北感を強める清春だった。


「まあ、清春様ったら……」


 何かに気づいて、胡蝶が笑い声をあげた。その、子どものような、軽やかな笑い声に驚いて、ぽかんとして眺めていると、着物の袖からほっそりとした腕が伸びて、口の辺りを指さされる。


「口の端にご飯粒が付いていますよ」


 慌てて口元を拭い、立ち上がる。

 これ以上、彼女の前で醜態を晒すまいと、いそいで玄関へ向かった。






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