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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
続き

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52/97

胡蝶、百目鬼と対峙する


 ここではなんだからと、場所を休憩室に移して事情を説明する。

 けれど卯京は顔色一つ変えることなく、


「あたしは帰らないわよ」


 と言った。


「そんな……兄さんっ」

「落ち着きな、胡蝶。人間って生き物は頑丈なんだ。転んだだけで死ぬもんかね」

「でもかあさんは……年が年だし」

「お前や兄さんたちがそばにいりゃあ十分だろ。仮にあたしが行ったって、何もできないしね」


 どこまでも冷静な卯京の態度に、胡蝶はもどかしさを感じる。


「兄さんの顔を見たら、かあさんは絶対に喜ぶわ。痩せた兄さんにたくさんご飯を食べさせなきゃって……そのために早く元気になろうって、そう思うはずよ」


「胡蝶……」


「兄さんは、父さんだけでなく、かあさんにも怒っているのね。そうなんでしょ? だからかあさんに会いたくないんだわ」


 黙り込む卯京に、「やっぱり」と確信する。


「ねぇ、卯京兄さん。父さんと何があったの? いい加減、話してよ」


 沈黙は長かったが、胡蝶は涙をこらえてじっと兄の返答を待った。

 やがて、卯京はため息をつきながら口を開く。


「お袋はなぁ、知ってんだよ」

「知ってるって、何を?」


「俺が親父と喧嘩した理由さ。なのにお前には知らないって答えたんだろ? 年のせいで耄碌したってんなら許せるけどな、お袋はまだそんな年じゃねぇし」


 そうだったのかと、胡蝶は息を呑む。


「私には言いずらかったのかも」

「だろうな。特にお前は親父に可愛がられてたし、お前も親父のことが好きだったろ?」

「それは兄さんだって同じでしょ?」


「そうだなぁ……好きだったさ。きっつい野良仕事でも文句言わず働いてさ。重いもんでも楽々担いで、子ども心にカッコイと思ったよ。近所の悪ガキみたいな人だったけど、俺はずっと親父のことを尊敬してたんだ、だから余計に――」


 そこで言葉を切って、ふうと息を吐く。


「酒は嗜む程度で、女もねぇ。胡蝶、お前は早くに家を出たから知らないだろうが、親父はなぁ、ああ見えてギャンブル狂いよ。農家はただでさえ、でっかい借金抱えてるっつうのに、自分の親だけなく、お袋の親父にまで金借りたりしてなぁ。しかも借りた金は返さねぇわ、反省するどころか、そのことを酒の席で自慢したりしてよぉ。俺は情けなくて涙が出てきたよ」


 自分の知らない父の一面を知って、胡蝶は強いショックを覚えた。


「貸した金返せって親戚がうちに乗り込んできたのも一度や二度じゃない。けど親父は、金貸し業者に金は返しても、親戚に借りた金はびた一文も返さねぇんだ。うちにそんな余裕はなねぇって言い訳ばっかして……そのくせ、家族は大事にしろと抜かしやがる。胡蝶、お前を里子として引き取ったのだって、最初から金が目当てだったんだぞ」


 胡蝶は何と答えればいいのか分からず、ただ黙って頷いた。

  

「いつも偉そうに説教垂れてたわりに、影でこそこそ借金作っては、侯爵から貰った金で精算してたってわけだ。だから俺はキレて、博打をやめるよう親父に言ったんだ。これ以上、お袋を泣かせないでくれ、家族に恥かかせんなってな。で、ぶん殴られて今に至るってわけだ」

 

 話が終わっても、胡蝶はまともに口をきくことができなかった。ただただショックで、兄が可哀想で、母のことが心配で、混乱してしまう。


「長い話になっちまって悪かったな。今、お茶でも淹れてくるから……」


 席を外した兄が戻ってくるまで、ほんのわずかな時間だったが、胡蝶にはひどく長いものに感じられた。温かなお茶を一口飲んで、ひどく喉が渇いていたことを思い出す。


 差し向かいでお茶を飲みつつ、長いこと二人は黙っていたが、


「でも兄さん、私は柳原家に引き取られて幸せだったわ。あの家で過ごした時間が、私にとって、とても大切なものだし、それはこれからも変わらないと思うの」


 兄は怒らなかった。

 それどころか笑いながら胡蝶を見る。


「なんか、お前に話したらスッキリしたよ」

「……そう」

「ああ、あの頃が懐かしいなぁ。お前がいて、兄貴たちがいて、お袋もよく笑ってた」


 その気持ちは分かると、胡蝶も微笑んで頷く。 


「昔、喧嘩して虎太郎兄さんの腕の骨を折ったというのは本当?」

「兄貴から聞いたのか? それは大げさに言ってるだけだよ、実際は――」


 ふと、卯京が何かに気づいたように言葉を切る。

 気づけば休憩室の入口に綺麗な女性が立っていて、


「ちょっと兎羅々ちゃん、いつまで休憩してるんだい。ご指名だよ」

「すみません、百目鬼姐さん」


 叱られているのになぜか嬉しそうな卯京を見、胡蝶はまじまじとその女性を眺めた。世間慣れした、婀娜っぽい女性で、思わず見蕩れてしまう。 


「胡蝶、もう帰んな。あたしはこれから仕事だから……」

「私、兄さんと一緒じゃないと帰らないわよ」

「胡蝶……これ以上、あたしを困らせないでおくれよ」


 二人のやりとりを見ていた百目鬼は、


「いいじゃないか、あんたの仕事が終わるまで、ここに置いてあげなよ」

「けど……」

「心配しなくても、この子を一人にしやしないよ。あたしが相手しとくから」


 そういうことならと卯京は頷き、


「いいか、胡蝶。くれぐれも姐さんに迷惑かけるんじゃないぞ」


 と何度も念押しして部屋を出て行く。

 すると卯京が座っていた場所に百目鬼がゆったりと座り、


「初めまして、だね。お嬢さん。あたしは百目鬼って名でここで働いているけど、本当の名はおことっていうんだ」


「お琴さん? 初めまして、私は……」

「胡蝶だろ。兎羅々ちゃんの妹さん。話はあの子から聞いてるよ」

「兄とはどういうご関係ですか?」


 臆面なく訊ねる胡蝶に、百目鬼は薄く笑う。


「あんたの想像通りだよ。あの子とはもう長い付き合いでね」

「そう……でしたの」


 兄も男だ、もちろん付き合っている女性の一人や二人、いてもおかしくはない。けれど何だか、兄がこの女性に騙されているような気がして――単なるヤキモチかもしれないが、密かに対抗心を燃やしてしまう。


「でしたら、兄に家へ帰るよう説得して頂けません?」

「それはあの子が決めることさ」

「ご自分には関係ないと?」

「あんたはお節介が過ぎるよ。自分でもそう思わないかい?」

「家族だったら、当然のことだわ」


 百目鬼はじっと胡蝶を見つめると、


「そうかい、本当の父親には捨てられたと思っているんだね。だから血のつながりのない家族に愛情を求める」


 胡蝶ははっとして百目鬼を見返すと、


「血の繋がりがないって……それも兄から聞いたんですの?」


 だったらショックだと、胡蝶は落ち込んで肩を落とす。

 卯京にとって、自分は赤の他人も同然なのだ。


 すると百目鬼は大きくため息をついて、


「ところで、今日はあの兄さんはいないのかい?」

「……一眞さんのことを言っているのなら、今はいません」


 そうだ、一眞は今、母の付き添いで病院にいる。

 こんな時に落ち込んではいられないと胡蝶は自身の頬をぺちぺち叩いた。

 

「卯京から聞いたよ、あんたはいいとこのお嬢さんで、付き添いがないと一人で外出もできないって。可哀想に。まるで監視されてるみたいじゃないか。あたしだったら我慢できないねぇ」


 ――兄さんったら、ひどいわ。いくら恋人だからって、私のことまで話すなんて。


 ショックを通り越して、次第に怒りがこみ上げてくる。


「あんただって息が詰まるだろうさ。そうだ、よかったらこれをあげるよ」

「これは……?」


 藁でできた手のひらサイズの人形を、胡蝶は反射的に受け取ってしまった。

 まるで呪いの藁人形のように見えるが……。


「一人になりたい時がきたら、この人形に息を吹きかけてごらん。良い事が起きるから」

「はあ……」

「信じる信じないはあんたの勝手さ。お守り代わりに持ってなよ」


 気味が悪いので突き返そうとしたものの、百目鬼は受け取らず、


「そうだ、ここでじっとしてるのも何だから、あんたも働いたらどうだい?」


 話を逸らされてしまった。


「……はたらく?」

「兄さんを助けると思ってさ。それとも貴族のお姫様には無理かい?」


 挑発されて、胡蝶は負けじと百目鬼を睨みつける。


「お仕事の内容を教えて頂ければ、今すぐにでも」

「お客さんとお酒を飲みながら楽しく会話するだけ。簡単だろ?」

 

 それなら自分にもできる気がすると胡蝶は立ち上がる。


「軽く流れを教えるから、付いてきな」



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