行方知れずの三男坊
「お父さん、胡蝶よ。長い間、顔を見せなくてごめんなさいね」
墓前で手を合わせる胡蝶を見、お佳代は涙ぐんで言った。
「お嬢様に会えて、あの人も墓の下で喜んでいますよ」
「そうかしら」
「そうですよ」
長いことしゃがんで手を合わせていたが、お佳代が膝が痛むというので、名残惜しいけれど家に帰ることにした。墓前に父が好きだったお酒とおはぎを供えて、立ち上がる。
「また近いうちに来るわね、父さん」
「その時は龍堂院様もご一緒ですわね」
浮き足立ったお佳代の言葉に、「そうね」と胡蝶も恥ずかしそうに頷く。
「兄さんたちも来ればよかったのに」
「辰は仕事があるから仕方がないとしても、虎太郎はねぇ。今のままじゃ親父に顔向けできないなんて、生意気なこと言って」
「それくらい許してあげて。兄さんなりに頑張っているんだから」
「まあ、いつもくたびれた顔して帰ってきますしねぇ」
後片付けを済ませると、二人でお寺の住職様に挨拶して、のんびり帰り道を歩く。
「それに夫が一番心配していたのは上の二人じゃありませんし」
「あら、もしかして私のこと?」
「いえいえ、うちの三男坊のことですよ」
なぁんだと、胡蝶は笑う。
「卯京兄さんのどこが心配なのよ」
胡蝶よりも三つ上の卯京は、女よりも綺麗な顔立ちをしていて、何でもそつなくこなす。他の兄弟たちと比べて物静かで、取っ組み合いの喧嘩もしない。一人でいるのが好きだが、内気で恥ずかしがり屋というわけではなく、言いたいことははっきりと言うタイプで、口喧嘩では妹が相手でも容赦ない。子どもの頃、胡蝶も何度泣かされたことか。
「夫が亡くなる一年前に、家出したきり帰ってこないんですよ」
「……そんな話、初めて聞いたわ」
「申し訳ありません、言いにくくて」
「連絡は全くないの?」
「いつだったか、無事であることは手紙で知らせてきたのですけど」
住所の記載がなかったため、返事を書けなかったらしい。
「今頃、どこで何をしているのやら」
「それは心配ね。でもどうして家出なんか……」
「夫と喧嘩をしましてね、事情はあたくしもよく知らないんですが、あの子は泣きながら家を飛び出してそれきり……夫も後悔していましたよ。最期の最期まで、あの子には悪いことをしたと言ってねぇ」
当時16歳だった卯京の身を案じて、胡蝶も胸を痛めた。
「悪い人間に騙されていないといいんですが」
おそらく卯京は、父が死んだことも知らないに違いない。すぐにでも会って伝えたかったが、居場所を知らないのではどうしようもないと、ため息をつく。
――こっそり一眞さんにお願いしてみようかしら。
それから数日後のこと、卯京が見つかったという知らせを聞いて、胡蝶は目に涙を浮かべた。入浴中のお佳代に気づかれないよう、庭に出て小声で一眞に話しかける。
「それで、卯京兄さんは今どこに?」
「……まさか会いに行くおつもりですか?」
当然とばかりに涙をぬぐいながら頷くと、
「それは賛成しかねます」
一眞の困ったような声を聞いて、びっくりして顔を上げる。
「あのような場所に貴女をお連れすることはできません」
「……あのような場所って?」
なかなか教えてくれない彼にじれて、腕を掴んで揺する。
「卯京兄さんはどこにいるの?」
「……『浅き夢見し』という名のカフェーで働いているようです」
カフェーと聞いて胡蝶は目を輝かせる。
「カフェーなら知っているわ。珈琲や西洋料理を出すお店でしょ?」
「厳密には違います。胡蝶様がおっしゃっているのは純喫茶のことで、『浅き夢見し』がウリにしているのは主に女給による過剰な接待……」
不思議そうな顔をしている胡蝶を見ると、一眞はバツが悪そうに言葉を切った。
「ともかく、俺は反対です」
「……卯京兄さんは元気にしてらして?」
「どうでしょう。濃い化粧をしていたので、顔色までは……」
化粧と聞いてきょとんとする胡蝶に、一眞は再び言葉を切る。
そんな彼にもどかしさを感じ、胡蝶は懇願した。
「お願いよ、一眞さん。ひと目でもいいから、卯京兄さんに会わせて。兄さんが無事だと分かったら、きっと母さんも安心すると思うから。ね、お願いよ」
いつもならすぐに折れてくれるはずの一眞が、珍しくだんまりを決め込んでいる。しかし何としてでも乳兄弟に会いたい――無事な姿を見たいと、胡蝶も必死だった。
「卯京兄さんは父さんが亡くなったことも知らないのよ。家族が身内の死を知らないなんて、あんまりじゃありません? 私も知った時、ものすごくショックだったわ」
涙ながらに訴えた結果、一眞は優しく胡蝶を抱き寄せて、
「まったく、貴女にはかなわないな」
と観念したような声を出す。
「分かりました。連れて行って差し上げます」
「本当?」
「ただし、長居はできませんが」
「それでも構わないわ。ありがとう、一眞さん」




