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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
本編

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柳原虎太郎の災難



 ――田舎にいる母さん、天国にいる父さん、どうか親不孝な息子をお許し下さい。


 柳原虎太郎の一日は、朝の祈りから始まる。普段は無神論者を気取っているくせに、ここ数日間は神の存在を信じ、熱心に祈りを捧げていた。なぜなら、


「メシ持ってきたけど、食えるかい?」


 檻の中に閉じ込められている人間の世話を任されていたからだ。


 ――なんでこうなった?


 ただ普通に働くよりも、金持ちの下で働いたほうが絶対に稼げると思った。知人を頼り、嵯峨野家の使用人として雇われた時は、これで一気に運命が開けたと感じた。飯もたらふく食えて最高の職場だと。主人である嵯峨野勘助のことは心から尊敬していたし、彼に認めてもらおうと必死に働いてきたつもりだ。


 ――最初はペットの世話だって聞いてたんだけどなぁ。


 縄で拘束され、目隠しをされて横たわる成人男性らしき人物を眺めながら、虎太郎はため息をついた。この家では人間をペットとして飼うのが普通なのだろうか――いやいやいや、これは明らかに犯罪だろう。けれど他の使用人たちは皆、見て見ぬふりをしている。それどころか、こんなのは日常茶飯事、みたいな雰囲気で、主人の犯罪に加担しているといった後ろめたさは一切感じられない。


 ――あー俺、人生の選択間違えたかも。


 こんなことになると分かっていたら、村を飛び出さず、農家を継げば良かったのかもしれない。最初はうまくいかなくても、運良く土地開発の話が舞い込んできて地価が上がり、楽して金持ちになれたかもしれないのに。


 ――現実逃避してる場合じゃないな。


 ここ数日、どうしたもんかと悩みつつも、監禁されている男の面倒を見てきたが、それももう限界だ。金は欲しいが犯罪に加担するのは真っ平御免こうむる。


 ――警察に捕まる前に、さっさとここから逃げ出そう。


 でもその前に、


「兄さん、起きてるかい?」


 どうせ逃げるなら、彼も一緒だ。なぜ彼がこの家で飼われることになったのか、経緯は不明だし、事情も知らないが、このままにはしておけない。


 ――って、辰兄なら言うだろうな。


「動けないなら、手を貸すけど」


 扉を開けて肩に触れると、


「……どういうつもりだ?」


 男が初めて口を利いた。意外にも落ち着いている。ここに来たばかりの頃、彼は大量の睡眠薬を飲まされたらしく、意識が朦朧としていた。その後も色々な薬を注射されて、動くことすら困難な状態だった。だから一人では逃げ出せないだろうと手を貸すつもりだったのだが、これなら大丈夫そうだと安心する。


「あんたを逃がしてやろうと思って」


 再び黙り込んだ男に、虎太郎はじれったい口調で言った。


「今、縄を解いてやるから……」

「やめろ。このままで構わない」


 断固とした口調に、虎太郎は「はぁ?」と耳を疑う。

 

「俺が逃げれば彼女の身が危ない」

「彼女って……他にも誰か捕まってんの?」

「俺の婚約者が誘拐された。彼女を捜してくれ。助けが必要なのは彼女のほうだ」

「……その彼女の名前は?」

「胡蝶……花ノ宮、胡蝶様だ」


 まさかここで、懐かしい妹の名を聞くことになるとは。生意気で甘ったれで、いつも自分や辰之助の後ろをついて歩いてきた。自分に並ぶ食いしん坊で、しょっちゅうおやつの取り合いで喧嘩したっけ……としみじみ思い出す。


 ――結婚したって聞いてたけど、別れたのか。


 そういえば以前、嵯峨野勘助と妹が再婚するという記事を読んだが、どうせデタラメだろうと思って信じなかった。けれど嵯峨野勘助が本気で妹のことを狙っているのだとしたら、婚約者であるこの男を檻に閉じ込めている理由も、何となく察しがつく。


 ――怖いお人だ、あの方は。


 やはりここに来たのは間違いだったと、あらためて痛感する。


 もし男の言うことが真実なら、この男は近い将来、自分の身内になる相手――家族なのだ。そう考えると、妙に親近感が湧いてきて、虎太郎は力強く応えた。


「わかった、あんたはここで待ってろ。妹のことは俺に任せておけ」




 ***

 



「……味はどう?」

「そうだなぁ、俺的にはもうちょい塩を足してくれていいんだけど」

「いいえ、塩加減はこれで十分よ。入れすぎると身体に悪いわ」」

「へぇ、そう……ってか俺ら、何か夫婦みたいだね」


 へらっと笑いかけられて、胡蝶は怒りを感じた。悪ふざけにも程があると、すぐさま格子から離れる。親しくするつもりなどないのに、どうしていつもこうなってしまうのか。食べて欲しいなんて一言も頼んでいないのに、朝昼晩と勝手に残り物を食べて、感想を言ってくるから、ついこちらも反応してしまって――。


 ――これがストックホルム症候群というものかしら。


 ヘラヘラと笑うこの男、黒須七穂――つかみどころがなく、いつも何を考えているのか分からないこの男のことが、心底嫌いなはずなのに。


 ――いいえ、自分を責める必要はないわ。罪悪感を覚えることなんてない。一眞様もおっしゃっていたじゃない。この人は混ざり者で、初めて会った相手でも簡単に心を開かせてしまうと。


 それよりも今は、ここから逃げ出す方法を考えなければ。誘拐されてから既に三日が経っている。きっと今頃、親族や警察が自分たちを捜しているはずだ。


 ――私一人の力では無理でも、誰かに協力してもらえば……。


 一番手っ取り早いのは見張り役の男を懐柔することだが、どうにも気が進まないし、やれる自信もない。


「ここに来てから貴方とばかり話をしているけれど、他に人はいないの?」

「いるよ、上にたくさん」

「私がここにいることを知っている人は?」

「そりゃあ、限られた人間だけさ」


 正直に答えてくれるものの、七穂はこちらを見透かしたような顔をして言った。


「でも俺がここにいる間は誰とも会えないよ。嵯峨野様の命令で、立ち入り禁止になってるから」

「……でしょうね」

「ここから逃げたい?」

「当然でしょう」

「そうだね、ここにいたんじゃ包丁もまともに握れないし」


 やけに物分りの良い答えが返ってきて、驚く。


「だったら――」

「おっと、俺を誘惑しようたって無駄だよ。美女の色気より金のほうが大事だから」


 きっぱりとした答えに「あ、そう」と胡蝶は怒ってそっぽを向く。


「本気で逃げたいんなら、俺がいない時にやるしかない」

「でも貴方、ずっとここにいるじゃない」

「それも明後日で終わりだ。新しい見張り役が俺みたく優秀じゃないことを祈るんだね」


 それはつまり、嵯峨野勘助が出張から戻ってくる日ではないか。


「……一眞さんはご無事なの? 今どこに?」

「何度も言うようだけど、その質問には答えられない」


 胡蝶は唇を噛んで、必死に泣くのを堪えた。

 そんな自分を見て何を思ったのか、


「本当ならここで姫さんのメンタルを削りまくって、ここから逃げようなんて気を起こさせないようにすべきなんだけど……」


 やりきれないとばかりに七穂はため息をつく。

 

「女には優しくしてやれって四翅姉さんにも言われてるからなぁ」


 何やらブツブツつぶやいているようだが、胡蝶は構わず料理を続けた。七穂に気づかれないよう、時おり換気用の窓をチラ見する。自分がここにいることを、誰かが気づいてくれますようにと願いながら。

 

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