よっ、待ってました、四翅姉さん
「この河童の混ざり者――悪漢たちとは知り合いなのか、黒須?」
泥まみれの一眞の前で正座しつつ、「いいえ、知りません。全くの赤の他人です」と七穂は必死に己の潔白を訴えていた。
――まさかこんなに簡単にやられるなんて……。
底なし沼にハマった一眞を、更に五倫と六津が水中から引きずり込み、窒息死させる作戦だったが、物の見事に失敗してしまった。水中という、河童にとっては有利な条件だったにも関わらず、二人はボコ殴りにされ、地上で白目を剥いて干上がっている。
「俺を殺すよう、指示したのは誰だ?」
あっさり黒幕がいることも見抜かれてしまい、ダラダラと冷や汗が流れる。蛇ノ目が生きていることは口が裂けても言えない。ぐっと歯を食いしばって沈黙を貫く決意をしたものの、
「まさか、あの男が生きているのか……」
質問するというより呟くような声だった。
これはさすがに否定しとかないとまずいと思い、早々に口を挟む。
「生きているはずないじゃないか、お前が殺したんだから。土を掘り起こしてこの目で確認したが、ひどい有様だった。よくもあんなことができたな。蛇ノ目様は確かにあくどい商売をしていたが、儲けた金の大半は孤児院に寄付していた。根っからの悪人ってわけじゃない」
「……なぜ奴をかばう?」
「親に捨てられた混ざり者の俺たちにとっては、あの人が父親代わりだった。とても厳しい人で、躾にはうるさかったけど、俺らは心底あの人のことを慕ってた」
「なら、目的は復讐か?」
いい感じに話がそれてきたと内心でほくそ笑む。
七穂はおもむろに立ち上がると、正面から一眞を睨みつける。
「そうだと言ったら、俺も殺すのか? 蛇ノ目様みたいに」
「あの男は人身売買にも手を染めていた」
「それがどうした? 俺だって元は商品だった。親に売られて、蛇ノ目様が買い取ってくださった。まあ、しばらくは孤児院に預けられたけど。軍の士官学校に入れたのも、あの人のおかげだ」
一眞は理解に苦しむというように眉間にしわを寄せる。
「あの男は、俺の大切な人を傷つけた」
だから何だと思ったが、口には出さなかった。まだ殺されたくなかったからだ。気絶している五倫と六津を抱えて、この場から逃げ出す方法を必死に考えるも、
――ダメだ、全く隙がねぇ。
これはさすがに詰んだかなと、死を覚悟したその時だった。
「全く、情けないねぇ、あんたたち。大の男が三人もやられちまうなんて」
ここにいるはずのない女性の声が背後から上がり、まさか、と振り返る。
案の定、そこには熟した女神がいた。
――よっ、待ってました、四翅姉さんっ。
おそらく蛇ノ目が保険として彼女を寄越したのだろう。
作戦が失敗することを見越して。
「これ以上、あたいの弟たちに手を出したら、許さないよ」
「……弟?」
怪訝そうな視線を向けられて、四翅はふふんと得意げに鼻を鳴らす。
「姉弟には見えないって言いたいんだろ? あたいがこんなにも若くて可憐だから」
単に童顔で厚化粧しているだけだけどな、と心の中でツッコミを入れつつ、七穂はそろそろと移動し、素早く四翅の背中に隠れた。普段は瑠璃という名の源氏名で芸妓をしているが、その正体は化け猫の混ざり者――七穂と同じく蛇ノ目の腹心の部下だ。
「姉さんが来てくれて助かったよ」
「気付薬を持ってきたから、これで双子を叩き起こしな」
「りょーかい」
二人が目覚めたおかげで、四対一になったものの、
「馬鹿っ、あんたたちっ、何とんずらしようとしてんだいっ」
「「え、逃げるんじゃないの?」」
「あの黒狐を捕まえて動けなくするんだよっ、今すぐっ」
「そんな無茶な……」
「そうですよ、大好きな姐さんの頼みでも、それだけは……」
「…………」
「ほら、五倫兄貴も怯えて縮こまってる」
「いいからおやりっ。あたいの言うことが聞けないっていうのかいっ」
鬼のような形相で可愛い弟たちを叱咤しつつ、
「龍堂院一眞、あんたはそこを動くんじゃないよ」
「お前の命令はきかない」
「そうかい。あんたの可愛いお姫さんがどうなってもいいんだね?」」
そこで初めて一眞の顔色が変わった。
「大切な婚約者を置き去りにして、こんなところにまで誘い出されるなんて、普段のあんたなら考えられないことだ。その顔、今自分を責めているだろ? なぜ彼女のそばを離れたんだってね」
ねずみをいたぶる猫のような顔つきで、四翅は目を細める。
「安心しな、悪いのはあんたじゃない。そうなるよう、七穂に上手く誘導されたのさ。鎧のような警戒心も瞬く間に解いちまう――すごいだろう? うちの弟は」
「……彼女に傷一つでも付けたら許さない」
表情に変化はなかったものの、地を這うような声だった。
七穂は怖くてたまらなかったが、四翅は平気みたいだ。
さすがは長く生きた化け猫様。
「だったら大人しくあたいらに捕まりな。そしたら死ぬ前に一度だけ、あんたの可愛い姫さんの声を聞かせてやるよ」
最後の一言で大人しくなった一眞を、七穂たちは素早く縄で拘束していく。仕上げに目隠しをして、念の為に大量の睡眠薬を飲ませる。彼が本気を出せば、この程度の拘束など、あっという間に解かれてしまうからだ。一眞は一切抵抗せず、深い眠りについた。
――最後の最後で、姉さんにおいしいとこ持っていかれちまったな。
けれどそれはそれで構わない。
何事も、命あっての物種だ。
ただ唯一心配なのが、
「で、このまま沼に落とせばいいんすね?」
「ダメだよ、七穂。死ぬ前に姫さんに会わせるって約束したんだから」
出たよバカ真面目、と七穂はため息をつく。
情の深いところがこの姉の美点であり、また欠点でもあった。
「じゃ、このまま一緒に連れて行くんすか?」
「初めからそのつもりだよ。依頼主の嵯峨野勘助様が混ざり者にも興味があるらしくてねぇ、お姫さんのついでに手に入れて欲しいとさ」
それってなにげに俺らに喧嘩売ってるよなと軽く切れつつ、
「それならそうと初めから言ってくれりゃあいいのに……」
「その程度のことですねるんじゃないよ。蛇ノ目様のことだから、きっと深い考えがあってのことさ」
――どうだかなぁ……。
それにしても、嵯峨野勘助も物好きなことだ。玩具にするつもりが逆に遊ばれたりして、などと考えつつ、七穂は用意していた車のところへ向かった。




