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愛さなくても構いません。出戻り令嬢の美味しい幽閉生活  作者: 四馬㋟
本編

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作戦実行


「底なし沼なんて実在しないと思っていたが、本当にあるもんだな、兄貴」

「俺らみたいな妖怪の混ざりもんが存在するんだから、そりゃあるだろうよ」


 鬱蒼と草木が生い茂る山中で、五倫と六津は待機していた。七穂の指示を守って、沼のそばの茂みに身を隠しているのだが、一向に獲物が現れないので暇を持て余していた。


「けど兄貴、底がねぇっていうのは嘘だぜ。一度潜ってみたら、普通にあったもんよ」


「馬鹿だなぁ、お前。底がないわけじゃなくて、一度でも落ちたら抜け出せねぇって意味なんだよ。深く考えんな」


 兄弟二人きりの時だけ、五倫は流暢に喋る。

 六津は彼にとって半身みたいなものだからだ。


「でも俺たちは普通に抜け出せたぜ? やっぱり嘘じゃん」

「お前なぁ……沼で溺れる河童がどこにいるよ」

「河童の川流れって言葉、兄貴は知らねぇのか?」

「……知ってるよ、常識だろ。けど俺ら、今は沼の話をしてんだぞ」

「そっか、川と違って沼は流れねぇもんな」

「だろ?」

「にしても遅いなぁ、七穂の奴」


 いい加減、しびれを切らした六津が立ち上がると、


「馬鹿っ、立つなっ。それじゃあ目立って奇襲攻撃できないだろっ」

「そんなに怒んなよ、兄貴。少し足を伸ばしただけじゃないか」

「早くしゃがめっ。そんなに暇ならきゅうりでもかじってろっ」

「やったっ、きゅうりだっ」


 上機嫌できゅうりにかじりつく弟に、五倫はホッとしつつ、温かな眼差しを向ける。孤児院育ちで兄弟は多かったが、六津だけは唯一血の繋がった、無二の家族だ。筋肉隆々で図体ばかりデカく成長しているものの――三十代半ばの立派な大人だが――中身は純粋無垢な子ども同然。この弟だけはどんなことをしてでも守ろうと心に決めていた。


 ――それにしても本当に遅い。


 計画通りなら今頃、七穂が龍堂院一眞を連れて現れ、沼に突き落としているはずだが。


「びびって逃げちまったとか?」

「いや、七穂は普段へらへらしているが、やる時はやる男だ」


 仲間の弟分を信じて待つこと五分後、


「やっと現れたか。ようやく俺らの出番だな、兄貴」

「いや、まだだ。合図を待とう」


 こういう時こそ慎重に行動しなければと五倫は表情を引き締める。




 ***





「悪いな、龍堂院、こんなところまで付き合わせて」

「この沼で君の妹が亡くなったのか?」

「……ああ、家族に隠れて、こっそり遊んでいたらしい」


 用心深い龍堂院一眞を、言葉巧みに騙してなんとかこの場所までおびき寄せたものの、七穂の心は早くもくじけかけていた。


 ――相変わらず隙がないというか……怖いというか。


 そう、七穂は一眞のことが昔から怖かった。多少の威圧感は覚えるものの、見た目が恐ろしいわけではない。喧嘩を売られたわけでも、いじめられたわけでもないのに、ただそこにいるだけで恐怖を感じる、それが龍堂院一眞だった。もっとも、そう感じているのは自分だけではないようで、彼は常に周囲の人たちに遠巻きにされ、士官学校でもプライベートでも孤立していた。


 ――混ざり者の中でも、こいつは異質なんだ。


 上位種の妖怪の血を受け継いでいるから、先祖返りだから、理由は色々と考えられるものの、弱い者が強い者を恐れるのは本能で、とりわけ混ざり者たちはその傾向が強かった。普通の人が相手の体格の大きさ、腕力の強さで力量を測るように、野生動物並みに感覚の鋭い混ざり者たちは、相手に恐怖を感じるか否かで判断する。


 ――俺はたぶん、一生こいつには勝てない。


 だからこそこの作戦を考えたのだが、


 ――本当にこいつを沼に突き落とせるかな。


 土壇場で不安になってきた。

 失敗したら、おそらくその場で八つ裂きにされてしまうだろう。


 ――とりあえず、ぎりぎりまで沼のそばに引きつけて……。


「妹は泳げないのに、誤って沼に落ちて……それきり上がってこなかったそうだ」


 そこで目に涙を浮かべて、隠すように顔を背ける。

 我ながらわざとらしい演技だと思ったが、


「悪い、こんな話、お前にしても迷惑だよな」

「遺体は?」


 自分の嘘を龍堂院一眞は完全に信じきっているようだ。

 根が素直なのだろう。


「まだ見つかってない。可愛い妹が今も沼の底で眠っていると思うと、夜も眠れなくて……」

「わかった、少しここで待ってろ」


 そう言うと、一眞は上着を脱ぎ捨て、何のためらいもなく沼の中へと入っていく。まさかここまでしてくれるとは思わず、七穂は呆気にとられた。


 ――こいつって、こんなにお人好しだったか?


 人心掌握術に長けていると一眞に指摘された通り、それが七穂の能力であり、武器だった。その上、何をしても好意的に受け取られてしまう愛され体質――せめて女に生まれていれば玉の輿も夢ではなかっただろうが、男に生まれてしまった以上、この能力を生かして仕事をするしかない。何より、蛇ノ目には恩があったため、除隊して彼の仕事を手伝うことにしたのだ。


 ――俺のことも覚えてたし。


 この男は自分のこと以外、興味がないのだと思い込んでいたが、その認識は間違っていた。士官学校時代、地味でビビリで目立たない生徒だった自分を覚えていたのだから。


 もっともそんなことで絆されるほど、自分も世の中も甘くない。とりあえず、やれることはやった。どんな形であれ、奴が沼に入ればこっちのものだと、七穂は片手を上げて合図を送る。


「兄さん方、あとは任せましたよ」




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