泣き虫皇子殿下の思惑
その頃、皇宮の執務室にて、
「それで蛇ノ目は?」
「始末しました」
一眞が事の次第を紫苑に報告していた。
「おそらく胡蝶様を嵯峨野勘助に売り渡すつもりだったのでしょう」
「――下衆が」
吐き捨てる紫苑に対し、一眞は浮かない顔をしている。
紫苑はすぐにそのことに気づいて、
「間違いなく蛇ノ目を殺したんだろうな?」
と念押しする。
「死体の一部を持ち帰ったので、ご覧になりますか?」
それはやめておこう。
グロすぎて吐くかもしれない。
「だったらなぜ、そんな顔をしている?」
「……そんな顔とは?」
説明するのも面倒なので、スルーして続ける。
「今回の件は、お前の提案を受け入れた僕にも責任がある。無理強いしてでも、お前を姉さんの警護から外すべきじゃなかった。引き続き、姉さんの警護を頼めるか?」
大昔、天災の一つとして数えられた強力な妖怪――化け狐の血を引く彼なら、今回の件も未然に防ぐことができたはずだ。現に彼が警護している間は、蛇ノ目も一切手出しできなかったのだから。
「それは構いませんが」
やはり表情が暗い。いつもの彼ならドヤ顔――はさすがに言い過ぎだが――で報告してくるような案件なのに、もしや元部下の失態を引きずっているのか。
「一眞、お前はもう下がって休め。陛下への報告は僕がしておく」
しかし彼は黙り込んだまま、その場を動こうとしない。
一向に部屋から出ていく気配がないので、いよいよ気味が悪くなってきた。
「……他にも用があるのか?」
こわごわ訊ねてみれば、どうやら図星だったらしく、彼は改まった様子で背筋を正した。
「実は殿下に大切なお話があります」
「蛇ノ目に関することか?」
「いえ、別件です」
別件? と紫苑は耳を疑う。
「僕の教育係を辞めたいとか言い出すんじゃないだろうな」
「それに近いかもしれません」
つぶやくように言い、直立不動で頭を下げる。
「どうか、胡蝶様との結婚をお許し下さい」
沈黙は長かった。
紫苑は椅子を倒す勢いで立ち上がると、
「……姉さんに手を出したのか?」
怒りのあまり拳を震わせる。
「いいえ」
「なら姉さんに惚れたか?」
「はい」
直後に頬を殴られても、一眞は身動き一つしなかった。
「どうしてよけない?」
「……殿下のお気持ちは存じておりました。私を殴って気が済むのであればいくらでも……」
「僕を馬鹿にしているのか?」
「いいえ」
紫苑はやりきれないとばかりに腕を振り上げると、静かな声で命じた。
「今すぐ僕の前から消えろ。姉さんには二度と近づくな」
「それはできません」
「……僕の命令に逆らうのか」
「申し訳ありません、殿下。申し訳ありません」
その場に跪いて謝罪する彼を、上から見下ろす。
「答えになっていないぞ」
「私の一方的な思い込みであれば、いさぎよく身を引きましょう。ですが……」
「姉さんも、お前と同じ気持ちだと……そう言いたいのか? 互いに想い合っていると」
うなずく彼に、紫苑はやれやれと天井を仰ぐ。
――ようやく気づいたのか、この唐変木め。
「姉さんはお前の何が気に入ったのか」
「私も、そう思います」
一眞は肩を落とすると、珍しく弱々しい表情を浮かべていた。
「あの方に対する、私の態度はけして褒められたものではありませんでしたし」
「それは姉さんに限ったことじゃないだろ。お前が女性に対して無礼でよそよそしいのは」
「……非難や説教めいたことも、言ったような気がします」
「普通なら敬遠されるタイプだな」
「ですがあの方は、そんな私を好きだと言ってくれた。どんな姿をしていても、受け入れてくれた」
さすがは我が姉君、と誇らしい反面、寂しくも感じる。
「お願いします、殿下、胡蝶様との結婚をお許し下さい」
紫苑はわざと間を置くと、
「許さないと言ったらどうする?」
「許していただけるまで、ここを動かないつもりです」
こいつならやりそうなことだと頬を引きつらせる。
「姉さんを幸せにすると誓うか?」
「誓います」
「どんなことがあっても泣かせるなよ」
「無論」
「だったら行け、勝手にしろ」
言うだけ言って背を向けると、
「では、私たちの結婚を許してくださるのですか?」
再度訊ねられ、「許す」と答える。
表向き、怖い顔をして虚勢を張っていたものの、ついにこの時が――姉離れする時が来たようだと、内心では必死に涙をこらえていた。二人が惹かれ合っているのは薄々気づいていたし、お膳立てのようなこともしてきたが、いざ、この時を迎えると、失恋の痛みで胸が張り裂けそうになる。
――僕の感情などどうでもいい。大切なのは姉さんの気持ちだ。
そう自分に言い聞かせるものの、その後ショックのあまり熱を出し、三日三晩寝込んでしまった。