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懐かしい我が家


 自動車から降りた胡蝶は、懐かしさのあまり目頭が熱くなるのを感じた。赤い花が咲き誇る道の先に、古めかしい民家を見つけて、「あっ」と声を上げる。この家で過ごした幸福な日々が走馬燈のように思い出されて、泣き出したいような、声をあげて笑い出したいような、不思議な感覚に捕らわれていた。


「それでは、わたくしたちはこれで失礼します」


 自動車が走り出して見えなくなると、胡蝶はいそいそと荷物を抱え、民家の門をくぐった。


「ただいまっ、かあさんっ」


 子どもの頃の自分に戻ったような気分で、声を張り上げる。実の母は自分を産んですぐに死んでしまったため、胡蝶はお佳代のことを本当の母親のように慕っていた。


「かあさんっ、胡蝶よっ。帰ってきたわっ」


 すると家の奥から慌ただしく足音が聞こえたかと思えば、勢いよく扉が開かれた。現れた白髪まじりの初老の女性は、胡蝶の顔を見るやいなや、はらはらと泣き出してしまう。


「ああ、胡蝶お嬢様っ。もう二度と、お目にかかることはないと思っていたのに……」

「夫に離縁されて家を追い出されてしまったの。ここに置いて下さる?」

「もちろんですとも、お嬢様」


 温かみのあるほっそりとした腕に抱きしめられて、胡蝶は心から安心感を覚えた。


「お可哀想に、さぞお辛かったことでしょう」

「ええ、辛かったわ。旦那様は私の顔を見ようとしないし、お父様は会ってもくださらない」


 高位貴族の娘として、感情を表に出すことはとてもはしたないことだと教えられて育った。だからこそ、これまで必死に感情を押し殺してきたが、それももう限界だ。優しく背中を撫でられて、胡蝶は我慢できずに泣き出してしまう。


「さあさ、好きなだけお泣きなさい。佳代の前では、何も我慢することはありませんからね」

「……うん」

「しかしまあ、あたくしの可愛いお嬢様が……こんなに大きくなられて……」


 しみじみとした口調で言われて、恥ずかしくなってしまう。


「いつもはこんなにお転婆じゃないのよ」

「とてもお綺麗になられましたね」

「でも離縁されてしまったわ」

「相手に見る目がないからですよ」


 そうだといいけれど。

 親の欲目に、胡蝶は苦笑いを浮かべてしまう。


「そろそろ中へお入りください。風が冷たくなってきましたわ」


 幼子のように手を引かれて、胡蝶は大人しくついていく。


「お嬢様のお部屋はそのままにしてありますからね」

「本当?」

「ええ、いつ帰ってきてもいいようにと。主人も同意してくれましたし」

「そういえばとうさんは? まだ畑仕事かしら?」

「それが……主人は五年前に他界しまして」


 知らなかったと呆然としてしまう。

 

 貴族の慣習で、生まれてまもなく里子に出された胡蝶は、9歳になるまでこの家――柳原やなぎはら家で過ごした。彼らが本当の家族ではないと知ったのは、花ノ宮家に連れ戻された直後のことだ。そこからが地獄で、教育係に一通りしつけられた後、規律の厳しい女学校に通わされ、家では、貴族の娘として相応しい振る舞いを求められた。それができなければ厳しく罰せられたし、本妻に嫌味を言われるのもしょっちゅうだった。


「子どもたちも皆成人して、家を出ていきましたし。今、この家にいるのはあたくしだけですから。この際、女二人で楽しくやりましょうよ。お嬢様も人目を気にせず、好きなことをなさってくださいな」


 気遣いのこもった言葉が嬉しくて、「うん」とうなずく。

 正直な話、胡蝶もわくわくしていた。


 子どもの頃に使っていた部屋に入って手早く荷物を収納すると、高価な衣を脱いで、汚れてもいい簡素な着物に着替える。最後にこっそり用意していた割烹着を身に付け、いそいそと居間へ戻った。


「早速だけど、かあさん、今夜の夕食は何が食べたい?」



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