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ESCAPE  作者: sadaka
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 昼食もそこそこに、僕はこっそり教室を抜け出した。一人で廊下を歩くと、相変わらず視線が痛い。こんな何気ない瞬間に自分が目立つ存在だと実感させられるのが堪らなく嫌だ。疾が一緒にいてくれればどこにいても気が紛れるんだけど、今は仕方ない。早く用事を済ませて教室へ帰ろう。

 なるべく周囲を意識しないようにしながら、まずは目的地と反対の方向に向かって歩き出した。いつも僕につきまとっている新聞部の追跡を撒くためなんだけど、これがしつこくて困っている。さすがに二ヶ月も追い回されれば対処出来るくらいには成長したけど、いいかげん諦めてほしいよ。

 本館の方で新聞部を撒いてから、僕は目的地である特別棟に向かった。特別棟と本館は渡り廊下で繋がっているんだけど、この渡り廊下が屋根があるだけの代物なんだよね。ほとんど建物外のこの場所を、誰にも見られることなく通り抜けられるかが鍵だ。まずは渡り廊下の手前で壁に背中を貼り付けて、少しだけ顔を出して行く手の様子を窺う。うん、誰もいない。本館の方からも誰かが来る気配もないし、今なら大丈夫だ。

 渡り廊下を一息に走り抜けて、特別棟の扉に手をかける。特に鍵もかかっていなくて、扉はすんなり僕を受け入れた。後ろ手に扉を閉めて左右を確認してから、僕は小さく息を吐く。良かった、誰もいない。まだ指定時刻の五分前だし、何とか間に合いそうだ。

「武?」

 すっかり油断して歩き出したら、いきなり背後で声がした。振り返る前から相手は判ってる。今、二番目に会いたくない人物だ。

「鳥彦……」

「こんな所で一人? 疾は一緒じゃないの?」

 振り返った僕の所へやって来た鳥彦は、当然の疑問を口にしながら辺りを見回した。うまい言い訳も思いつかなくて、僕は答えを濁す。「ちょっとね」なんて言ったら疑ってくれって言ってるようなものだけど、どうせ僕の下手な嘘なんて鳥彦にはすぐばれてしまうだろう。

「一人でこんな所を歩いてたら危ないよ。武は時代(とき)の人だからね」

 からかうような鳥彦の科白に、僕は引きつった笑みを浮かべるより他なかった。時代の人……嫌な響きだ。

「ちょっと、用事があるから。じゃあ」

 触れられたくない話題に言及される前に、僕は鳥彦から逃げ出した。絶対不審がられてるだろうけど、今はとにかく時間がない。時間厳守のメッセージが嫌な圧迫感を漂わせながら頭にちらついた。

 特別棟は五階建てになっていて、映写室とか暗室とか特殊な部屋が入っている。でも空教室の数も多くて、どこが指定場所なのか分らない。仕方なく一階から五階まで走り回ってみたんだけど、どこの空教室にも人の姿はなかった。時間厳守っぽいメッセージだったから、もう帰っちゃったのかもしれない。だけどこの条件で時間厳守は無理だよ。

 五階の突き当たりにいた僕は諦めて引き返すことにした。もしかしたらイタズラの可能性だってあるかもしれないし、長居はしたくない。そう思ってたんだけど、階段を下っている途中で足を止めてしまった。何だろう、この音。四階の辺りからカツ、カツ、カツって音が聞こえてくる。不審な音の正体を確かめるために、僕は四階の廊下へ足を運んだ。その頃にはもう音が止んでいて、特別棟は元通りに静まり返ってる。でもたぶん、誰かがいることは確かなんだ。もしかして鳥彦かなと思いながら、僕は歩を進めた。

 結果的に、四階で僕を待ち受けていたのは鳥彦じゃなかった。でも誰ということもなくて、目に飛び込んできたのは空教室の中にあるブラックボード。そこには、さっき見て回った時にはなかったはずの文字が書き込まれていた。カツ、カツ、カツって音はブラックボードにチョークを走らせる音だったのか。でもこれ、誰が書いたんだろう? 辺りを窺ってみても誰の姿もないよ。

 本館で使われてる教室と同じように机や椅子が並べられている空教室に進入して、僕は改めてブラックボードに向き直った。そこに書かれていたのは指示で、廊下側から三列目、前から六番目の机の中を調べろと言ってる。指示通りの机を探ると二つ折りの紙とフロッピーが出てきた。ラベルも何もないフロッピーの中身はここじゃ確かめられない。ので、先にメモを見てみることにした。


『十二分二十七秒ノ遅刻ダ。時間ハ厳守スルヨウニ』


 フロッピーの説明も何もなく、メモにはただそれだけが書かれていた。とっさに腕時計を見てみると、時間は午後一時十四分。僕が四階へ来たのが一時十二分ごろだったということになるんだろう。ブラックボードに書き込んだ人がどこへ消えたのか分らないけど、秒単位で監視されてるなんて気持ち悪い。

 静かな特別棟の空気が急に肌寒くなったように感じて、僕は慌てて走り出した。フロッピーは上着のポケットに突っ込んで、破ったメモは本館に戻ってからゴミ箱に捨てる。ゴミを捨てていた所を誰にも見られていないのを確認してから、僕は教室へ急いだ。

 教室に入ると、もう授業は始まっていた。だけどこの学園の授業はコンピューターを使って行われてるから、課題をやってる人もいれば喋ってる人もいるし、寝てる人もいる。誰もが好き勝手やってるところがこの学園の一番の特徴かな。養育院(オールスネィジュ)は時間にうるさかったから、この光景にはまだ慣れない。要領だけ良ければいいっていう方針は、僕みたいに頭の回転が早くない人には合わないんだよね。

「何処へ行ってたんだ?」

 僕が席に着くと、隣の席に座ってる疾が尋ねてきた。そこが彼の席なんだけど、疾が自分の席にいるなんて珍しい。

「ちょっと養護室の辺りまで」

 僕はとっさに、さっき鳥彦と会った場所を答えた。僕が特別棟に行ったことを知ったからなのか、疾は眉間にしわを寄せる。

「なんだってそんな所に行ったんだ?」

「本当は図書室に行ってみるつもりだったんだ。だけど新聞部の奴らを撒くのに必死で……」

「図書室?」

 図書室に行こうとしてたっていうのは予め考えてた言い訳だったんだけど、疾は胡散臭そうな声を上げた。なにか、まずいこと言っちゃったかな。真顔に戻っちゃってるよ、疾。

「僕に何も言わず、一人で?」

「だって、疾が早く慣れろって言うから」

 言い訳を考えるのに急き立てられてた僕の顔には、たぶん『嘘です』と書かれていただろう。自分で言うのもなんだけど、それほどにわざとらしい口調だった。こういう時、ポーカーフェースで嘘をつき通せる人が心底羨ましいと思う。

「ま、そういうことにしておいてやるよ。でも図書室はやめた方がいい」

 絶対に突っ込まれると思ってたんだけど、疾は意外にも微笑を浮かべた。納得はしてなさそうだったけど流してもらえたので、僕もホッとして話を合わせる。

「何で?」

「何でって、そりゃあ武の苦手な場所だからだよ」

 その一言で疾の言いたいことは解った。たぶん、理解したと思う。近いうち図書室に行ってみたいと思っていたのも本当だったので、ガッカリだ。なにも図書室でまでそんなことしなくていいのに。

「残念がることはない。図書室じゃなくて閲覧室に行けばいいのさ」

「閲覧室?」

「図書室の拡大版みたいなもんだよ。名目だけの図書室なんかより、よっぽど色々置いてあるから心配ない」

 なんだ、ちゃんとそういう場所もあるんだ。疾が勧めるってことは健全な場所だろうし、これで少しは行動範囲が広げられるかな。それにしても、この学園は本当にお金を持ってるよね。校舎も寮も何に使うんだかよく分らない建物も全部入るだけの広大な敷地を持ってて、さらには施設まで充実してるんだから。養育院にいた時は決められた本しか読めなかったから、蔵書が充実してるのは嬉しいな。

「後で連れてってくれない?」

「後でなんて言ってないで今連れてってやるよ。行こうぜ」

「え、今?」

「そうだよ。早くしろ」

 さっと立ち上がった疾はそのまま戸の方に歩き去って行った。この場合、どのみち僕に選択肢はないんだよね。戻って来たばっかりだったけど、僕は仕方なく疾の後を追った。教室を出てすぐの所で壁に背中を預けていた疾は、廊下に出て来た僕を見てニッと笑う。

「そうでなくっちゃ。さ、行こうぜ」

 清々しいほどの強引さで僕の手を引いた疾は喜々として廊下を歩き出した。僕は半分引きずられる形で疾の後に着いて行ったんだけど、ふと思い出したことがあったので口を開く。

「そういえば、さっき鳥彦に会ったよ」

「へえ。何処で?」

「養護室の前。たぶん、出てきた時に会ったんだと思う」

「彦も好きだなぁ。こんな真昼間からよくやるよ」

 意味深長な笑いを零しながら疾が発した一言を、僕は聞かなかったことにした。僕の反応をどう受け取ったのかは分らないけど、先を行く疾が顔を傾けてくる。

「ついでに言っておくと、養護室も行かない方がいいぜ?」

「肝に銘じておくよ」

 もう苦笑いを零すことも出来なくて、僕は真顔のまま疾に頷き返した。

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