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夜、疾が予定通り出掛けて行ったので僕は彼を見送ってしっかり玄関をロックしてから、寮の各部屋に備え付けられてるコンピューターに向かった。この学園はほとんど全てがコンピューターによって管理されていて、授業さえもコンピューターを使って行われてる。人間の教師は数人しかいないらしくて、僕はまだ会ったことさえない。買い物なんかもコンピューターで済ませることが出来るから、本当に学園の外へ出ることってないんだよね。外の世界と関わりがないという点では養育院も似たような所だったから、そこには不便とか不満とかは感じてないんだけど。
コンピューターが立ち上がったから、マウスを操作して指示を出す。僕の目的は学園のホストコンピューター、KINGDOMにアクセスすることだ。でもこれ、本当は校則違反なんだよね。もし違反がばれてしまえば生徒会に連行されて、たぶん反省室に送り込まれる。まあ今までにも何度かやってるけどばれてないみたいだから、大丈夫だとは思うけど。
ホストコンピューターへのアクセスを試みてから十分、閲覧に必要なパスワードを三回間違ってしまったのでコンピューターが強制的にシャットダウンされた。やっぱり、そう簡単にはいかないよね。まあ、それならそれでいいんだけど。
今夜はこれまでにして、リビングでソファに転がった。他にすることもなかったから、そのまま目を閉じる。コンピューターをいじってた時にはもう照明を消していたから、こうしてると眠ってしまいそうだ。部屋に戻らなきゃと思ってるんだけど、もう体が言うことを利いてくれない。今日はここで、このまま寝ちゃおうかな。そう思い始めた時、来客を知らせるベルが鳴った。疾が帰って来たのかと思って起き出したけど、よく考えてみたらそれはおかしい。疾は暗証番号を知ってるから、わざわざベルを鳴らす必要なんてないんだ。
とりあえず照明をつけようと思って、僕はリビングと玄関を隔ててる扉の脇へ移動した。壁に手を這わせながらスイッチを探していると玄関が開く音が聞こえてきたので、その場で動きを止める。応答もしてないのに扉が開いたってことは、やっぱり疾なのかな? 僕がそんなことを考えてるうちに、侵入者はリビングに入って来た。
「おい、真っ暗だぜ。ほんとにいるのかよ」
「寝てんのかもしれないぜ」
「こんな早くにか?」
押し開けられたドアの影にいた僕には気付かずに、侵入してきた人達がリビングで笑いあってる。疾じゃないことは確かだけど、だったら誰だろう。このまま暗がりから声を上げたら驚かれそうだったので、僕は照明をつけることにした。
「うわっ!」
リビングの中央辺りで驚きの声を上げながら、侵入して来た人達が大袈裟に体を縮めてる。まだ僕に背中を向けたままでいたから声をかけようかと思ったんだけど、先に彼らの方が僕に気がついた。振り返った三人の顔には、どれも見覚えがない。上級生っぽいけど、疾の知り合いだろうか。
「なんだ、いるんじゃねぇか」
「驚かすなよ」
見知らぬ人達はそう言って、嫌な笑みを浮かべた。なんとなく寒気がして、僕は少しずつ移動を開始する。だけど僕の行く手を阻むみたいに、彼らは方々に散った。一人は疾の部屋の前、一人は僕の部屋の前、そして残った一人が扉の傍にいる僕の方へやって来る。間違いなく、僕の逃げ道を塞ごうとしてるよね?
『無防備だな。鍵も掛けてないのか』
不意に疾の言葉が蘇った。そうか、こういう事になった時に困るんだ。
「疾なら留守だよ」
何か言わなくちゃと思って、とりあえず口を開いた。だけど効果はなくて、僕に近付いて来てた人があっさりと僕の腕を捕まえる。やばい、どうしよう。
「疾に会いに来た訳じゃねえよ」
「噂の編入生を見に来たんだよ」
僕達の私室の前に立ってた二人も、僕が捕まったのを見てこっちに来る。相手が一人でも敵わなさそうなのに、敵が三人もいるなんて冗談じゃない。でも、もしかしたら、本当に、僕を見に来ただけかもしれない。ただ言葉の通りであってほしいという僕の淡い期待は、僕の腕を捕まえてる少年の舐めるような目つきに黙殺された。
「へえ。どんなのかと思ったら、なかなか」
「この時間に部屋にいるってことは疾の奴、まだ手ぇ出してないな」
なかなか、何!? この人達、何の話してるの!?
何かされそうだとは思ったけど、この調子じゃ本当に何をされるか分からない。だけど僕が逃げようと思ったのが伝わってしまったのか、腕を握ってる手に力がこめられた。次の瞬間には壁に背中を押し付けられていて、気がつけば顔まで上向かせられてる。嫌な笑みを浮かべたまま知らない顔が少しずつ近付いて来るから、鳥肌が立った。
「まったく、ひとの留守に何やってんだか」
もうダメかと思った時、玄関の方から救いの声がした。途端に見知らぬ人は僕から手を引き、僕は脱力してその場にへたり込む。
「ちぇ。どうせならもうちょっと遅く帰って来いよな」
残念そうな表情を作ってはいるものの、さっきまで僕に迫って来ていた人の口ぶりは簡単なゲームでも愉しんでいるかのようだった。どうも知り合いみたいで、気安い調子で話しかけられた疾は苦笑してる。
「言ってろ」
制服姿の疾はネクタイを緩めながらそう言って、ソファに上着を放った。今度は僕の腕を掴んでいた人とは別の人が疾に話しかけてる。皆、知り合いなんだ。
「噂の編入生を見に来たんだけどよ、何も知らねぇんだな」
「はいはい。もう夜も遅いから帰った帰った」
「なーにが『夜遅い』だよ。よく言うぜ」
邪険な態度を気にする風でもなく、疾に言い含められた侵入者達は意外なほどあっさり引き上げて行く。彼らを追い出すようにして見送った疾は玄関をロックし直して、へたり込んでいる僕の所へ戻って来た。
「部屋に鍵、掛けといた方がいい。解った?」
「疾……」
気が抜けたら腰まで抜けた。僕が立てないでいることを知ってか知らずか、疾はソファの方に歩み寄りながら話を続ける。
「だから言ったろ? もし僕が帰って来なかったら、どうなってたことか」
平然と恐ろしいことを言わないでほしい。でもその通りだったので僕は何度も頷いてしまった。
「今度から注意するよ」
「ここの法規は弱肉強食だからな」
上着を手にした疾は抑揚のない口調でそう言い置いて、私室に引っ込んでしまった。しばらくその場で待って立てるようになってから、僕も私室へ引き上げる。部屋に戻ったらまた気が抜けて、ベッドに倒れたらそのまま動けなくなってしまった。
噂の編入生。今、僕にはそんなレッテルが貼られている。迷惑なことに、編入して二ヶ月経った今でもまだ目立っているのだ。それほどまでに、この学園では編入者が珍しい。そんなわけで僕は毎日、必要以上に気疲れしていた。寮で疾と同室になれたのが、せめてもの救いかな。今のところ彼のおかげで事なきを得ている。だけどこの先は、どうだろう。
たぶん僕は、いつまで経ってもここの空気に慣れることは出来ないと思う。だけど立ち回りだけは、うまくやらなくちゃ。ただ僕の場合、自分で言うのも悲しいけど、あんまり頭が切れる部類じゃないんだよね。さっきみたいになった時の対応以上に、疾にいつまであの人のことを隠し通せるか。そっちの方が最大の課題になりそうだった。