15
次の日の夜、疾が外出するのを待って僕はベッドを抜け出した。疾の私室もリビングも、夜は相変わらずしんとしている。僕は私室で机と向き合って、端にどけてあるナビを自分の前に引き寄せた。
今日は朝から疾と一緒に校舎へ行った。僕を起こしに来た時から疾はもういつもの彼で、昨夜のように突然意識を飛ばしてしまうようなこともなかった。だけど僕は昨夜、あきらかに様子がおかしい疾を見てしまったんだ。あの出来事を見なかったことにするには不安が大きすぎる。
冴咲先生の意味深な言葉は思い過ごしなんかじゃなくて、やっぱり疾の身に何かがあったことを示しているんだと思う。そして疾の異変に生徒会が関わっていることを、僕は確信していた。ただの直感ではなく、思い当たる節があるからだ。鳥彦は生徒会が僕に固執する理由を知りたがっていたけれど、本当は解ってる。僕の個人用のナビに入ってくるメッセージの差出人が誰なのかも。それでも今はまだ、行動に移さなくてもいいと思ってた。だけど、もう限界だ。
引き出しを開けて、もう使うことはないだろうと思っていたフロッピーを取り出す。それをナビに挿入してデータを開くと、前と同じようにパスワードを求められた。短い間があってから、僕じゃない誰かがパスワードを打ち込んでいく。その後はものすごい速さで英数字が流れ出した。やがて静止した画面には『KINGDOM』の文字。その直後に来客を知らせるベルが鳴ったので、僕はナビの電源を切って立ち上がった。
暗いリビングへ出ると、そこにはもう人の姿があった。照明はついていないけど外灯の明かりが差し込んでいるので侵入者の顔が窺える。その顔には見覚えがあったので僕は小さく眉根を寄せた。
「迎えに来たよ」
真顔のままそう言ってのけたのは毅だった。まさか彼が来るとは思わなかったけど、あまり驚きは感じてない。もともとあまり好きではない人なので、その点では気楽とも言える。
「あまり驚かないんだな」
独白した毅の口調は少し残念そうだった。僕を驚かせたいがために彼が来たんだとしたら、悪趣味だ。僕は無言で、頭一つ分くらい背が高い毅を睨み見る。だけど毅の顔に、あの嫌味な笑みが浮かぶことはなかった。
「何故だか知らないが、会長にあんたを連れて来いって言われてな。会長とどういう関係なんだ?」
「君に答える義務はないと思う」
「疾と一緒の時とは大違いだな。ぶりっこだった訳か」
「……早く連れていってくれないか」
毅の口調に棘が含まれてきたので自然と僕の気も立ってきていた。やっぱりこの少年は好きになれない。乱暴に顔を掴まれて上向かせられた時、僕はもう一度同じことを思った。
「飲めよ」
そう言って、毅は液体の入った小瓶を僕に見せる。瓶を口元に寄せられたので、僕は強引に毅の手から抜け出した。
「嫌だ」
「強情だな。会長の元へ連れて行くにはこれを飲ませる規則になっているんだ」
「だったら自分で飲む。よこせよ」
毅の手から小瓶を奪い取って、一息に中身を干す。ためらいは、なかった。
気がついた時、僕は私室ではない場所で知らない天井をぼんやりと見ていた。寝起きではっきりしない頭の片隅でどこだろうと思いながら、体を起こしてみる。辺りを見回してみると、どうにも見たことがあるような気がする眺めだった。
「ようやくお目覚めか。俺をこんなに待たせた奴は初めてだ」
不意に誰かの声がしたので、僕はそっちへ顔を傾けた。声のした方には執務用っぽい机が置かれていて、そこに座ってる制服姿の生徒が真っ直ぐに僕を見てる。どこかで見たことがある部屋だと思ったら、前にAOに連行されたとき玉田さんとお茶を飲んだ場所だ。ということは、ここは生徒会の居住区なんだろう。
僕は寝ていたソファから立ち上がって執務机の方へ歩き出した。僕が近付いて行っても執務机に座ってる少年は微動だにしない。視線すら動かすことなく、彼は僕が歩みを止めるまでは言葉を重ねることさえしなかった。
「久しぶりだな、武」
ゆったりとしたイスに背を預けて横柄に脚を組んでいるその人は、僕を見上げながら口元を笑みの形に歪めた。記憶とはだいぶ印象が違うけど、その微笑みには覚えがある。でも昔話をするためにここへ来たわけじゃないので、僕は彼を睨みつけた。
「自分から呼び出したくせに何も喋らないつもりか?」
「……疾に何したの?」
ふつうに会話をすることさえ癪で、口調がぶっきらぼうになった。だけど彼は僕の態度なんか意にも介していないみたいでアッサリと答えを口にする。
「抱いた」
そんな答えは予想もしていなくて、僕は目を見開いた。いっそ嘘だと叫べればよかったのかもしれないけど、頭が真っ白になってしまって何も言い返せない。
「そういえば、お前が来てからは初めてだったな。それがどうした?」
僕の目の前にいる人は何でもないことのように言ったけど、合意の上でないことは疾を見ていれば分かる。疾に申し訳ない気持ちでいっぱいで、泣きたくなった。
「久しぶりの再会だというのに挨拶の一つもなしか?」
あまりにも冷静な口調が、他人の気持ちなんてお構いなしの発言が、頭にきた。何でいつも、そうなんだよ!
「会いたくなんかなかったよ! 何でいまさら僕を呼んだりしたのさ!」
「厄介事が片付いたからな。共に暮らすのは当然だろう?」
「冗談じゃないよ! これのどこが一緒に暮らすって言うんだよ!?」
「俺の監視下にいることに変わりはないだろ?」
「そんな問題じゃない!」
「……何を怒っているんだ?」
本当に解らないみたいで、彼は眉をひそめている。その態度にカッとして、僕は募りに募っていた不満をぶちまけた。
「ここはおかしいよ!!」
強者が好き勝手をして弱者が虐げられるこの学園は、何もかもがおかしい。誰にも、疾にも言えなくてずっと心にしまってきたけど、この人に会ったら絶対に言ってやろうと思ってた。生徒会が絶対の権力者であるこの学園において、その気風をつくっているのが生徒会長であるこの人だからだ。だけど僕の怒りは少しも伝わっていないみたいで、生徒会長の無表情は崩れない。
「どんな風にだ?」
「全部だよ! こんなの普通じゃない!」
「普通なんて人によって違う。お前には普通じゃないかもしれないが、この学園の生徒にとってはこれが普通だ」
「それは、そうやって教えられてきたからでしょう!?」
「利口に生きられる。それに退屈しない。それでいいじゃないか」
「それは兄さんの……」
言いかけて、ハッとした。絶対に『兄さん』なんて言わないつもりだったのに。
「それしきのことで動揺するな。そんなことではここで巧く生活していくことは出来ないぞ」
小さなため息を零した彼の指が、机の上に置いてあった香炉のようなもののフタを開けた。途端に、室内に甘い芳香が漂う。ジャコウだと、思った時には遅かった。体から一気に力が抜けていったみたいに僕はその場に崩れ落ちる。
「意識を失わない程度に調整してある。意識がなくてはつまらないからな」
頭上で声がするけど顔を上げることが出来ない。体がひどく重くて仰向けになることさえ自分では出来なかったんだけど、それは兄さんがいとも容易くやってのけた。頭がボーッとする。でも視界だけはいやにハッキリしていて、兄さんがそこにいるのが見えた。
「少し手解きしてやる」
そう言って、兄さんは手にしていた小瓶のフタを開けた。中身の液体を少しだけ口に含んだみたいで、それが口移しで僕の体に浸入してくる。媚薬だったのか、頭の芯が痺れるような感覚に見舞われた。いっそ気絶してしまいたいほどの気持ちよさだ。
「麝香のくちづけは、お前にはまだ早かったか?」
ニヤリと笑った兄さんの口唇が湿っていて、それが妙に艶っぽかった。見たくなくて、僕は目をつむって顔を背ける。その一瞬後、首筋から背筋に抜けていくような信じられない快感に襲われた。
「っ!」
「口唇に少し媚薬を含ませるだけでくちづけ一つも大きく変わる」
兄さんが何か言ってたけど、僕はそれどころじゃなかった。思考は麻痺しかけているのに感触だけ敏感になっていくみたいだ。拒もうにも、体に力が入らない。
「疾とはまだなんだろう?」
息が耳にかかるくらい近くで、兄さんが優しく囁きかける。そんなことしない、そう言ったつもりだったけど声は出ていなかった。
「……まだ余裕があるな。玉田に一度嗅がされて多少免疫がついたのか」
玉田さん。第一印象で好感を抱いた人。でも、生徒会の……。
「もう少し強めにするか」
そんな独白が聞こえてきた後、今度はさっきより大量の液体が口唇から流れ込んできた。媚薬に侵食された体が火照って、悲鳴をあげそうになる。声を漏らしたくなくて、僕は必死に耐えた。
「意外に辛抱強いんだな。別に喘いでもいいんだぜ」
嫌だ、そう呟くのが精一杯の抗議だった。だけど僕が抵抗しようとすればするほど、兄さんの表情は楽しげなものになっていく。
「いつまでそう言っていられるかな」
僕の上に馬乗りになって、兄さんはワイシャツのボタンに手をかけた。片手で自分の胸元をはだけさせながら、空いている方の手で僕のボタンも外していく。床にべったり背中がはりついてるけど寒さは感じなくて、むしろ熱がある時みたいに熱かった。
「まだ幼いな」
鎖骨から肋骨をなぞるように、兄さんの指が僕の胸を這う。くすぐったくて体をよじろうとしたら兄さんの重みに止められた。その直後、指とはまた違う感触が胸元を伝ったので声を上げないために口唇を噛む。
「そんなに噛むと血が出るぜ」
噛みしめていた口唇が切れてしまったみたいで、口の中に血の味が広がった。兄さんの指が僕の口唇に触れて、撫でるように優しくこする。
「莫迦だな」
指についた僕の血を、兄さんはゆっくりと舐め取る。その姿を見ていたら、僕の中で何かが壊れた。兄さんが媚薬の小瓶に浸した指を差し出してきたので、僕は自分から水分を舐め取る。頭に血が上って、無性に喉が渇いていた。
「そうそう。だんだん巧くなってきたじゃないか」
兄さんは楽しそうにしてるけど僕は泣きたくなってきた。こんなことのために、来たわけじゃないのに。だけど兄さんには初めから僕の気持ちなんて関係なくて、口付ける位置をどんどん下へとずらしていく。とうとう全部脱がされて、僕は照明の点ったままの部屋で兄さんに愛撫された。
「兄……さ……」
もう耐え切れなくて、僕はいつしか気持ちよさを声に出していた。喘いで、兄さんの首に自分から腕を回す。僕に触れてくる兄さんの指が、口唇が、熱くてどうしようもなかった。