昨晩のこと
青い部屋に居た。壁にぴったりとつけた、小娘一人には大きすぎるベッドに置物のように、静かに座り込んでいた。隣に添えられたアンティーク調のサイドテーブルの上は散らかっていて、本やノート、鉛筆にカッターナイフ、つけっぱなしのライト、剥ぎ取られた本の帯がぞんざいに転がしてある。それらを何となく退けて、口をつけた硝子コップを置いた。それから一つ、ため息をつくと、思っていたよりも響いて少し恥ずかしくなる。二つある大きな窓から、カーテンを乗り越えて部屋に入った朝の日は、青かった。私はそれが差し込むのがほんの限られた時間だけだと知っている。また今夜も上手く眠れなかったと悟り、心中で嘆いた。
青は、嫌いではない。ピカソだって青を描いた。その絵は青の時代、ブルーピカソと呼ばれ評価されている。青色は寂しいだけでなく、神の色とも言われる。それに青い薔薇やカーネーションの花言葉も、奇跡や永遠の幸福なんかだと聞いたことがある。なんだかんだ、神秘的で優しく、暖かい色なのだろう。
しかしふと思いついたのは、何故そんな花言葉なのだろうという事。奇跡、夢が叶う、永遠の幸福。それは青が自然な植物の世界から追放された色だからだ。放っておいて生えるものでは無いということ。だから食欲を失う色。急にこの部屋の全てが恐ろしくなった。いっぱいの朝日に包まれているのにいくらも暖まらずむしろ冷えていく。もう眠ってしまうべきと焦りが出始め、冷静な自分の頭も、そうするべきと肯定した。なので憂鬱に思いながらも青い窓に頭を向けて横になった。だが心がささくれ立って、思考が散らかっていて落ち着かず、寝付ける様では無い。あまり、理解はできていないようだった。
見れば午前五時過ぎ、手元の時計は何時になく冷たかった。寝床から身を少しだけ起こして、ライトを一段階暗くすると、時計の冷たさは増すばかりだった。急に、己の中で小さくなりかけていた不安や悲しみが堰を切って溢れ出してくる。朝が来ることがとてつもなく怖くなった。ライトの光は薄ぼんやりとした橙色を残しているが、それが照らす部屋自体は、やはり酷く青色に見える。
青色が深まっていく。思考が恐怖で一塗りにされていくのだ。恐ろしくて、どうしようもない。ただ、理由のない、ぼんやりとしたものによる脅迫によって私の夜は押しつぶされていくのだ。夜は私の時間だ。夜は朝よりも頗る調子がいい。早起きはいい気がしない。深い夜の中で絵を描いたり、詩を作ったりするのは、格別な優越感がある。ただし、私の心もとない精神は常々、深い深い闇に吸い込まれてしまう。悪霊が肩を叩いている気がする、このまま呪いに殺されてしまうような気がする、そんな事ならよくある話で、あるいは理由もなく今眠ればもう二度と起きられないと思い込んだり、なんだかよく分からないが恐怖がジトジトと忍び寄っていると感じる。
布団を頭までかぶり直した。今日もいくらも眠れないだろうという疲れと恐怖を一度に受けて、すっかり訳が分からなくなっていた。落ち着こうと寝方を探すが、足を伸ばしたり、たたんだり、右を向いたり左を向いたりと余計に落ち着けなかった。
「自分は駄目なやつだ。」
これは常々思うところだ。
家庭は、幸福だ。友は、少ないがいる。生活も、十分。何がそんなに不幸に思われるのか、自分の中でもずっと見当がつかずに苦しんだ。幸福な自分が苦しむ事にとてつもない罪の意識を抱いている事はあるがそれ以前に何が悲しいのかが。気がつくと私はぽとりとマットレスを濡らしていた。一つ、二つ、染みが落ちて、滲んでいく。それすらもいけない気がした。酷い後悔に苛まれて、ふと、死んでしまえたらなんて典型的な馬鹿を願っても、それも罪だ。
いたちごっこのつまらない思考に釣られて、やっと眠気がやってきた。眠る事は短絡的で愚かな罪人の自殺願望を一時的に満たすことができる。眠れば、そこに感情は無い。ある意味、死ぬことの出来ない臆病者のお粗末な疑似体験になる。私は素直に眠気に従った。これから私は眠りについて、もっと静かになる。どろどろと世界が溶け始めた。ぼんやりと部屋を見つめて意識を手放していく、不安ながらも安心に包まれる、頓珍漢な作業。その時最後に思ったことは確か、これからの朝の事だった。
昨晩のこと、と書いたが実の所は毎晩のことです。
今日もこうして、青色を待っている。そんな人はもっと沢山いると勝手に空想しています。