奇談散歩【53】 中ノ俣集落の猫又伝説
新潟県上越市大字中ノ俣の伝承、
『天和3年(1683年)千年の年を経た妖怪・猫又が村を荒らし村人は困っていた。剛力で知られた吉十郎という男が猫又を退治し、その死体は土橋稲荷神社に埋葬され、神社は、いつしか猫又稲荷と呼ばれるようになった』
この「猫又退治」は天和年間(1681~83年)に起こった事件とされる。
重倉山に「猫又」が住みつき、里に下っては、村人や家畜を襲い暴れまわったので、村人は野良仕事もできなくなった。
弱りはてた村人たちが猫又退治を代官所に訴え出て、代官は討伐のために、足軽数十人に武装させて、勢子とともに中ノ俣に向かわせた。村の男衆も駆り出され、その数は優に千人を超えたという。
しかし、足軽たちは身の丈九尺もある大猫又に恐れをなして竦みあがり、しかも猫又は身のこなしも素早く、鉄砲も矢も当たらず退治できなかった。
そこで、身の丈五尺八寸の大男で、村一番屈強な若者 牛木吉十郎が病み上がりの身体を押して猫又に挑み、単身でこれを仕留めた。しかし、吉十郎も深手を負い、看病の甲斐無く亡くなったという。
猫又が出現した経緯、退治の様子は古文書『猫又絶治実記』に記され、集落では今も「実話」として受け継がれている。
古文書によると、この猫又は、富士権現により、駿河国の富士山を追われ妖怪に零落し、甲斐、信濃と渡り歩いて越後に至り、中ノ俣の重倉山に棲みつき、村人や家畜を襲うようになったという。
吉十郎に討ち取られた猫又の死骸は代官所に運ばれる際に採寸、目録が作成され、「頭から尾の付け根までは九尺四寸(約2m84)、胴の周囲八尺五寸(約2m55)。毛の長さは五寸(約15㎝)で黒色。尾の先は二つに割れていた」と、記録に残る。
【猫又伝説 寸劇で再現 古文書の「退治」集落で「実話」】
読売新聞オンライン2024/09/04 付
≪吉十郎から15代目の子孫で、上越市に住む牛木一郎さん(78)は、退治の褒美として代官から贈られた 帷子 と刀を守り続けてきた。一般の住宅での保存には限界があるため、現在では市立歴史博物館に保管を依頼している。牛木さんは「吉十郎の話を地元で伝え続けてくれることに感謝したい」と語る。≫
…… と、今も子孫や地域の方たちが猫又退治由来の品々を守り伝えている様子が報道されています。




