奇談散歩【45】 浄瑠璃『奥州安達原』
『奥州安達原』
浄瑠璃。時代物。5段。宝暦12年(1762)大坂竹本座初演。
≪ 近松半二ほか合作。前九年の役に取材し、源家の武将 義家と朝敵 安倍貞任の対立を描いた作品。貞任の妻 袖萩が夫と官軍方の父との板挟みとなり自害する3段目「袖萩祭文」が中心。2段目「文治住家」には善知鳥安方伝説が、4段目「一つ家」には阿達原黒塚の伝説がそれぞれ安倍一族の物語として脚色されている。歌舞伎でも上演される。ブリタニカ国際大百科事典「奥州安達原」より ≫
「安達ヶ原の鬼婆」伝説は、時代が下って江戸時代になると、東北にもう一つの王朝を築こうとする安倍一族の壮大なストーリーに組み入れられる。
近松半二による人形浄瑠璃『奥州安達原 一つ家の段』で、この物語においての老婆の役回りは、前九年の役で討死した安倍一族の長 安倍頼時の未亡人「岩手御前」。
この浄瑠璃は話題になり 翌年 歌舞伎も上演された。
『岩手御前は平安京を都とする朝廷に反旗を翻し、奥州に王朝を作ろうと皇弟・環の宮( たまきのみや )を拐かすが、環の宮は病で喋ることができない身の上。その治療にはまだ母の胎にいる赤子の「血」が必要だという。そこで岩手は通りかかった旅の夫婦の身重の妻に目を付け、彼女を手にかけ、その腹から胎児を取り上げ生血を絞った。しかし、自ら手にかけた女は生き別れになっていた娘「恋絹」だった …… 』
【 奥州安達原 : 一つ家の段 あらすじ 】
奥州・安達原、この荒れ野に一軒のあばら家が建っていた。
夕暮れに、旅人が訪れ老婆に煙草の火を無心する。
老婆は糸紡ぎの手を止め、このあたりには追い剥ぎが出て、昨日も一人殺されたと話す。怯えた旅人が一夜の宿を頼み込むと、老婆が懐の金を預かるといってきかない。
さては、この老婆が … と旅人は逃げ出そうとするが、老婆は旅人の喉笛に食いつき殺害、財布を離さない腕をもぎとって桶に投げ込み、畳を上げて その下に死骸を落として始末する。
惨劇の後、薬売りを連れて娘が家へ帰ってくる。
薬売りの男に家の前で待っていて、と伝えて家に入った娘に、老婆は不用意な外出は危ないと嗜め、娘はあばら家の奥へ消える。
戸外で待っていた薬売りは中の様子をうかがっていたものの老婆に見つかり、娘を送ってくれた礼を言われ追い払われる。しかし、薬売りは何かを思案し、柴垣の中へ隠れた。
日もすっかり暮れた頃、生駒之助と恋絹の夫婦連れが登場。
癪を起こした恋絹を気遣う生駒之助は、松の木に掲げられた高提灯が灯る あばら家を見つけて宿を願うと、出てきた老婆はそれに応じて二人を家の中へ招き入れた。
老婆が行き先を尋ねると、生駒之助は松島見物だと言いつくろい、話をそらして家前の高提灯の理由を尋ねる。老婆は安達原では道に迷う往来の衆が多く、その手助けに掲げており、それは亡くなった連れ合いの未来を照らす明かりの意味があると語る。
ここで恋絹がさらに腹が痛いと苦しみ、慌てる生駒之助。
恋絹が臨月だと聞いていた老婆は懐に手を差し入れ、まだ生まれず、痛みもおさまると言って胸を撫でさすり、一時痛みが引くが、老婆はもうすぐ生まれることにかわりはないと伝えて、庄屋の持っている薬がよく効くと生駒之助に教えた。
その後、老婆は「奥の寝屋を覗いてはいけない」と告げて恋絹を残し、生駒之助と家を出る。
独りあばら家で待つ恋絹は、二人の帰りの遅さに気持ちが落ち着かず、つい奥の障子を開けてしまう。ふと手にとった白いものは髑髏で、桶には人の腕。
恐れ慄いた恋絹が寝屋から飛び出すと、そこには老婆の姿が ……
老婆は生駒之助はまだ帰らないと告げ、欲しいものがあるという、路銀は生駒之助が持っていると、恋絹は立ち去ろうとしたが、
老婆は「恋絹が持っているものが欲しい」「赤子は妙薬として高く売れる」というや鬼と変じた。
その浅ましくも凄まじい姿に慄きながら恋絹が「赤ん坊が生まれて親子の名乗りをするまでは …」と命乞いをするも、鬼婆となった老婆の耳には入らず、恋絹の胸に懐剣を振り下ろす。
度重なる惨劇の後、
表に生駒之助の声が聞こえ、老婆は慌てて赤子の血を絞り、恋絹の守り袋を持って奥へ消える。
声をかけても何の返事も無いのを怪しみつつ生駒之助が家の中を覗き込むと、そこには変わり果てた恋絹の姿が、
驚いた生駒之助は戸を踏み開け、亡骸を抱いて嘆くが、裂かれた腹を見て訝しみ、奥間の襖を開けると、そこは朱玉で飾られた御殿になっていた。
巻き上げられた御簾の内には環の宮が御座し、傍らには禁庭の女官姿に身を改めた老婆が傅いていた。老婆の正体は、源氏に滅ぼされた安倍頼時の妻・岩手御前。
岩手は頼時亡き後、この安達原のあばら家に旅人を誘い込んでは殺害、金品を奪って安倍家再興の軍用金を調達、さらに息子の貞任・宗任に環の宮を攫わせ、奥州に内裏を立てようと画策。
しかし、安達原へ来て以来、環の宮は病で喋れなくなり、岩手はその薬となる「赤子の血」を手に入れようとしていた。
そこへ折悪しく通りかかったのが恋絹で、何の因果の悪戯か、恋絹は頼時と岩手の娘だった。驚く生駒之助が娘と知っていたのかと問い詰めると、岩手は、知ったのは殺した後、守り袋の系図を見て知ったという。知っていれば君のために死ねることを褒めたものを と、何も知らずに死んだ娘を思い落涙した。
岩手はこの家の娘のふりをしていた匣の内侍を呼び、器に満たした赤子の血に月影を写させる。しかし、内侍が谷底に器を取り落とし、谷間から水柱が立ち上り、内侍は穢れを跳ね返す十握の剣がそこに在ると告げる。
実は匣の内侍の正体は八幡太郎義家の弟・新羅三郎義光で、宝剣「十握の剣」の行方を探るため女装して、環の宮に変装した義家の息子・八つ若に付き添ってここまで来たのであった。十握の剣の在処がわかったのも恋絹の功として、義光は兄に成り代わり生駒之助の勘当を許し、生駒之助も喜びに平伏する。
岩手はこれまでの企てが無に帰したことに地団駄を踏み悔しがり、ならばこれまでと、八つ若を冥途の道連れにしてやると言う。
あわやのそのとき、八つ若を抱いた義家の執権・鎌倉権五郎景政が襖を踏み開け 登場。景政は義家の命をうけ、薬売りに身をやつして奥州を探索していたのだった。
もはやこれまでと、岩手は悔しさに歯噛みして、夫の無念を息子兄弟に晴らさせようとした非道、娘を殺して地獄畜生餓鬼修羅道に堕ちたことを悔やみ、娘と孫の後を追って谷底へ身を投じた。
鬼女・鬼婆 ―――
都と町や村の間にある荒涼とした荒れ野、つまり境界上に住んでいる女が、止むに已まれぬ事情で「人から鬼に」変容し境界を越えていく物語。
もともとは人であったものが「あさましき姿」に変わらざるおえなかった、
人を喰う物の怪でもない、禽獣の類でもない、「人」であったものが「鬼」へと変ずる ――――
これらの、酸鼻で陰惨な物語が、時代をこえて、どこか肯定的に受け入れられ広く創作されたのは、怖いもの見たさだけではなく、人は心のうちに境界を持っており、自分はこれを越えずに済んでいるけれども…… と、人の心の内にある、ほの暗い「隠 ( お ん)」の部分がこの哀れな鬼たちに共鳴するからかもしれません。




