奇談散歩【41】 第3コーナーの大ケヤキ
『府中競馬場の第3コーナー付近に馬頭観音と墓石、※ケヤキの大木がある。ケヤキは競馬観戦の際、邪魔になるので何回か伐採が試みられたが、その度 関係者の事故死・不審死が相次ぎ、計画は頓挫。第3コーナー付近でのレース事故も多く「魔の第3コーナー」と呼ばれ恐れられている』
※この場所にあった 大欅は落雷で焼失、現在は同じ落葉樹の榎が群生している。
東京都府中市にあることから、府中競馬場ともよばれる「東京競馬場」。日本を代表するこの競馬場には有名な都市伝説がある。
東京競馬場の第3コーナー過ぎの大木と塚。
大木はコースの内側に生えており、競馬観戦・中継の邪魔になるため、何度か伐採が検討されたが「作業員が、ロープに絡り死亡する事故」「関係者の突然死」と不幸な出来事が相次ぎ、今も伐採されないままになっている ―― という。
また、過去、第3コーナー付近では多くの事故があり、落馬で亡くなられた騎手や悲しい最期を迎えた馬が出ていることもあって第3コーナーは「魔のコーナー」と恐れられている。
その怪事は、1998年11月1日、秋の天皇賞(G1)にも影を落している。
―― その日、
1000mを57秒4のハイペースで通過した名馬サイレンススズカが第3コーナー「大ケヤキ」を通過、しかし、4コーナーの手前で突然失速。左前脚の手根骨粉砕骨折を発症し、競走を中止。予後不良と診断され安楽死の処置がとられた。
レース後「左前脚手根骨の粉砕骨折」という致命的な故障は、あの「呪いのケヤキ」のせいではないかと、まことしやかに語られた。
そして、大エノキ付近の「塚」は、戦国時代に活躍した武将・井田是政を筆頭とする井田家の墓所で、競馬場の敷地内の井田一族の墓(是政塚)を工事に際して、撤去・移転する動きもあったが、井田氏の子孫が猛抗議したという噂もあり、是政塚は「史跡」として この場所に現存している。
※「東京競馬場」の前身にあたる目黒競馬場が取り壊され、東京競馬場が府中に誕生したのは1933年11月8日。
井田是政は北条氏照の家臣であったが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡。その後は府中一帯を開墾して村を興したという伝説的な人物。
≪ 畠山重忠の末裔を称し、後北条氏に仕えていたが、1590年(天正18年)の小田原征伐で主家が滅亡した後に武蔵国府中の横山村(現在の東京都府中市是政地域)に移り、村の開拓にあたった。この功績により、後に同地には自身の名である「是政」が地名として名付けられた。「是政」の地名はその後も受け継がれ、武蔵国多摩郡是政村(江戸時代 - 1899年)、多磨村是政(1899年 - 1954年)を経て、多磨村が府中町や西府村と合併して府中市制が施行された現在も引き続き用いられている。東京都府中市の東京競馬場第3コーナー付近の通称「大欅」には井田一族の墓(是政塚)があり、この墓からは鎌倉・室町時代の板碑が出土している。また、府中市が市内の小学3年生に配布する「武蔵府中郷土かるた」にも、「地名にのこる井田是政」として採り上げられている ― Wikipedia「井田是政」より抜粋 ≫
―― と、
井田是政氏は苦労して村を開墾した立志伝中の武将で、地元ではカルタに取り入れられたり、恐れられているというより親しまれている様子が伺えますね。
「塚」が残っているのは祟りというより尊敬されていたからでは …?




