奇談散歩【18】 松江城 人柱伝説
松江城・人柱伝説
山陰本線・松江駅から『ぐるっと松江レイクラインバス』で松江城・県庁前下車、徒歩10分。
≪松江城は、島根県松江市殿町にあった江戸時代の日本の城。別名千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。≫
ー Wikipedia「松江城」より
慶長16年(1611)に堀尾吉晴が築いた松江城は築城の際、本丸や天守台の石垣が何度も崩れて工事は難航していた。度重なる失敗に工夫の間から「工事の完成を祈願して人柱を立ててはどうか」と声が上がった。吉晴の家臣たちは相談の上「盆踊りで一番踊りが上手な娘を人柱にしよう」と決めて、盆踊り中に、城下の娘を攫って、人柱にしてしまった。
城は無事に落成したが、その後、城主の吉晴とその嫡子・忠氏の二人が相次いで死去、3代目の忠晴も跡継ぎがいないまま早逝、堀尾家は改易となる。続いて入封した京極忠高も3年後に急逝し、京極家も家督断絶となった。
城主急逝の後も怪異は続き、天守からはすすり泣きが聞こえ、城下の民は娘の無念を思い、祟りを恐れたという。また、城下で盆踊りを行うと、城が大きく鳴動し、※盆踊り禁止のお触れが出されたという。
京極氏の後に松平直政が城主として入府すると、今度は天守の最上階に娘の亡霊が現われるようになり、直政を悩ませた。あるとき直政が「お前は誰だ」と問うと、亡霊は「この城の主」と答えた。これを聞いた直政は一計を案じ「それでは明日、この城をそなたにくれてやろう」と返答し、「この城」と魚のコノシロをかけて、宍道湖で獲れたコノシロを供えたところ、亡霊が天守に現れる事は無くなり、松平家の城主の座は幕末まで続いた。
※小泉八雲『神々の國の首都』
≪ この城を築いたおりに、戰國時代の原始的な蠻風にしたがって、松江の一少女が、なにがしの神への人身御供となって、城壁の下に生き埋めにされたといわれる。その少女の名は傳わっていない。なんでも美しい娘で、踊りの大へん好きな子だったそうである。それ以外には、何も記憶されていない。ところで、城が落成してから、松江の町では女の子は盆踊りをおどってはならぬという禁令を出さなければならなくなった。それは、盆おどりに女の子が踊ると、お城山がかならず搖いで、大きな城が礎から本丸のてっぺんまで搖れるからであった ≫
また、この人柱伝説には、人柱になったのは虚無僧であったというバリエーションもあり、
天守台下の石垣が何度も崩れ工事が進まず工夫たちが困っていた。堀尾吉晴が旧友の虚無僧に相談したところ、「崩れた場所を調べてみなさい」と告げられる。工夫に崩落部分を掘らせると、槍の刺さった髑髏が出てきた。
くだんの虚無僧が祈祷したが、虚無僧は「祈祷では無理だ」という、どうすれば良いのか尋ねると、「息子を取り立ててくれるなら、私が人柱になろう」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができた。
ーというもので、
これとは別に、虚無僧の尺八が聞こえたので、捕縛して人柱にしたところ、付近で尺八の音が聞こえるようになった、という伝承もあります。




