奇談散歩【16】 将門塚
将門塚 : 東京都千代田区大手町1−1
東京、オフィス街の中心部に「平将門」の首を祀ったとされる首塚がある、
平安中期の地方豪族であった平将門は常陸・下総・上総の国府を占領し関東一円に覇をとなえた。しかし「新皇」と称として威を振るうも、朝廷の命を受けた追討軍に敗れてしまう。京都の七条河原でさらされた将門の首級は故郷の東国目指して空高く舞い上がったが、いま一歩のところで力尽き武蔵国崎村、現在首塚がある辺りに落ちてしまう。
人々は塚を築いて将門を祀ったが、それでも将門の怨念は疫病となり、周囲の人々を苦しめた。真教上人が供養のために首塚の近くに寺を建て、さらに近所の神社と併せて御霊を祀り、ようやく祟りは鎮まった。
江戸時代になり、徳川家康が入府し、江戸の町が整備されると、首塚近くの寺と神社は移転した、それが現在の ※2日輪寺 ( 浅 草 ) と ※3神田明神 ( 神 田 ) 。しかし、祟りを恐れてか、首塚は ※1大名屋敷にそのまま残された。
時代は下って明治、首塚周辺は大蔵省の土地となるが、首塚は祟りの言い伝えもあり、その儘残された。しかし、1923年の関東大震災で大蔵省庁舎が被害を受け、首塚も破損、これを機会に首塚を撤去した途端、仮庁舎を建設する2年間で、大蔵大臣・早速整爾以下、大蔵省高官・工事関係者14人が相次いで亡くなるという事態が起きた。さすがの大蔵省も庁舎を移動して首塚をもとの場所に戻し、神田神社の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われ、将門の御霊を丁重に祀った。
… が、1940年6月に首塚付近に落雷があり火災が発生、この落雷による火は大蔵省を襲い、大火事となった。( この日、都内では20ヶ所以上で落雷しており、航空局が落雷により出火、それによる延焼といわれている )
その後は、終戦後に土地を接収したGHQによる丸の内周辺の区画整理時に、この地区を造成しようとブルドーザーを入れたところ、横転して運転手が急死。この話を聞いた関係者がGHQに陳情に赴き、将門の墓であることを説明して工事は中止、首塚は残ったという。
そして、昭和になり、大蔵省が売却した土地に日本長期信用銀行が建てられると、首塚に面した部屋の行員が次々に体調不良を訴える事態が起こった。
長銀は神田明神に依頼し、将門の御霊を丁重に祀ったが、最終的には長銀は破綻。今も、首塚に隣接する建造物は首塚に背を向けないようにレイアウトされ、建物内のスタッフが見下ろさないよう首塚側に窓を設けないなど、将門公に失礼が無いように配慮がされているという噂がある。
これらの事柄や噂が「祟り」であったのか、どうか、真偽はわからないが、大手町周辺がオフィス街へ発展した現在においても、将門公の首塚は取り壊しや移転を免れて、この地に残ることになり、今も参拝者が絶える日は無いほど崇敬されている。
現在は、近隣企業有志によって設立された「史蹟将門塚保存会」が維持管理を行っており、2021年の第6次改修整備以降、一般参詣者による供物、物品の寄進、お線香台の利用は禁止。平将門命への奉納は、将門塚を管理している外神田の神田神社社務所にて受け付け、お賽銭に限って以前と同様に将門塚敷地内の賽銭箱で受け付けている。
※1 江戸時代、首塚付近は姫路藩雅楽頭酒井家の上屋敷の敷地で、山本周五郎『樅ノ木は残った』で知られる三大お家騒動の一つ「伊達騒動」が起こっている。
※2 日輪寺
時宗寺院の日輪寺は神田山芝崎道場と号し、了円法師により神田御門内柴崎村(千代田区大手町)に開基したと伝わる。東京都台東区にある時宗の寺院、本尊は阿弥陀如来。徳治年間、この地を訪れた時宗ニ祖他阿真教上人が、疫病を首塚の祟りだと怯える村人を見て塚を修復し、平将門公に「蓮阿弥陀仏」の法号を授与し供養。柴崎道場(時宗の念仏道場)として中興し、以降、平将門公の法要を毎年2月14日に営んでいる。江戸時代には、佐倉藩主堀田氏の菩提寺だった。
※3 神田明神
神田明神は、東京都千代田区外神田に鎮座する神社。正式名称は神田神社、江戸三大祭・日本三大祭のひとつ神田祭を行う神社として有名。神田、日本橋(日本橋川以北)、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108ヶ町会の総氏神。三柱を祭神として祀る。
元々、神田神社は首塚のある芝崎村に鎮座していたが、当初は大已貴命のみを祀る神社で、日輪寺を建立した真教上人が平将門公を祀り、延慶2年(1309年)に合祀した。その後、江戸城増築の際に幕府が江戸総鎮守として、城の鬼門を守護するために現在の地に神社を移転。その後、明治7年に、平将門は朝敵であり、天皇が参詣するには不敬であるという理由で平将門命は、構内の摂社である将門神社に遷座、代わって少彦名命が勧請された。その後、昭和59年(1984年)に本殿に奉祀復帰。
一ノ宮 - 大己貴命
二ノ宮 - 少彦名命
三ノ宮 - 平将門命
明治7年に平将門は朝敵であり、天皇が参詣するには不敬であるという批判を受けて、神社は将門公を祭神から外して、構内の摂社である将門神社に遷座、これに鉄火肌の神田明神氏子衆が反発し、10年の間祭りを中止。しかし時間の経過とともに「祭りを復活させよう」という機運が高まり、明治17年に神田祭りが再開される運びとなった。しかし、祭りの直前に巨大台風が急接近、関東一円に大きな被害をもたらし、祭りは中止となった。福沢諭吉が明治17年9月16日の「時事新報」のコラムで、この台風を「将門様の御立腹」によるものだと書き、この台風は「将門台風」と呼ばれた。
将門公の首が京都から関東に帰ってきた故事にちなみ、左遷が決まった会社員、海外駐在や出張に行く人が「必ず帰れるように」と首塚に蛙の置物を奉納していた為、改修工事以前の首塚境内には多数の蛙の置物があり、これは1986年11月に起きた三井物産マニラ支店長の若王子信行氏の誘拐事件のころから目立つようになったという。
“趣都・秋葉原”が神田明神に近いこともあり、2010年代には『ラブライブ!シリーズ』、『シュタインズ・ゲート』、『東京レイヴンズ』といった作品の舞台となりました。その後、聖地巡礼が盛んにおこなわれ、萌え絵馬が奉納され …
2016年からは、8月10日前後の金土日の3日間「神田明神納涼祭り」( 1日目はアニソン盆踊り ) が開催されるようになり、2019年には「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」に認定されています。
可愛いコラボ御朱印帳が授与されていたり、すっかり萌え萌えゾーンとなった「神田明神さん」
… そのうち誰かが「( 現代に ) 転生したら俺が祀られていた神社が萌えていた」とか書くと思う、




