不穏
「…二百九十八、二百九十九、…三百ッ!」
やや乱れた呼吸を整えながら、寝台に腰掛ける。
此処は須藤が使っている個室。暇を持て余したのでスクワットをしていたのだった。
「ん~。五セットもやりゃあ十分かな」
タンタンタタ~ン…。
お馴染みのチャイムが鳴る。
『…毎度ご乗車ありがとうございます…。お時間あと1時間ほどで、青森に到着致します。お降りのお客様は身支度の準備、お忘れ物の無い様ご注意下さいませ…』
「おっ。いよいよ青森か。北海道は朝到着かな?」
しかし期待とは裏腹に、到着時刻のアナウンスは流れなかった。
「ありゃ?まぁ終点だから良いか………ふわぁぁぁ…」
須藤が眠たげに涙目を擦る。
「寝よ」
ごろり、と寝台に大の字になる。とは言っても彼の身長は平均よりも高い。必然的に足がはみ出す格好となった。
―――起きたら銀世界かな…。
取り留めもない事を思いながら、眠りへと落ちていった。
タタタン…タタタン…。
何時間経っただろうか。不意に覚醒する。
「…?」
違和感。周りを見回すが何もない。自分の私物だけだ。
耳を澄ます。
…遠くで聞こえる、音。怒号?
「……」
ドアに張り付く。…確かに聞こえる。
「何だ…夜中に喧嘩か?」
しかし、それとはまた違う不穏な空気。
「んん?」
カララララ…。
そっと、ドアを開け耳を澄ませる。音は前の車両から聞こえてくる。
『…くんじゃねぇ!』
―――やっぱり、タダの喧嘩って訳じゃ無さそうだな…。
須藤はソロソロと部屋を出ると、前方の車両へと近づいていった。
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「良いかお前ら!この車両は俺達が乗っ取った!抵抗したら容赦なくぶっ殺すぞ!!」
通路の中央に集められた客達に、リーダー格の男が吠える。
―――全く、面倒な…。
南条は目の前にいる男を睨むと、舌打ちをする。
今この列車は、所謂テロリストというものに占拠されていた。
最後尾の車両。そこにはVIPの客が詰めており、テロリスト達はその車両の客を人質として取っていた。
―――これ以上面倒な事になる前に、さっさと処理せねばな。
幸い武器は携帯していなかった為、取り上げられる事は無かったが、いかんせん相手は銃器を所持している。流石に下手には動けなかった。
「おいっ!そこの女!」
突然、リーダー格の男が南条を指差す。
「…私か?」
「お前以外に女はいねぇ」
周りは男性客ばかり。成程、道理。と思ったのも束の間、男の仲間に両脇を抱えられひっ立てられる。
「何の用だ」
「なぁに、只の保険だよ」
仲間の一人が言うと、銃口を突き付ける。
「さて…お前らには要求をさせてもらう。なに、単純な事さ。お前ら一人当たり三百万。用立ててもらおうか?」
ザワザワ…。その言葉に、客達がざわめく。
「るせぇッ!お前ら程度の客だからだいぶまけてやってるんだ!それだけでも感謝しろい!」
―――何だその要求は。
テロリストではなくて只の強盗だな、と思い直す。
「勿論要求に従わないってんなら、命は無いぜ…!」
ガチャッ!タパパパパッ!
リーダー格が天井に向け、マシンガンを発射する。火花が散り、天井の照明が砕ける。
…乗客にはそれだけの脅しで十分だった。一気に場が静まり返る。
「ようし。まずお前だ!」
リーダー格がそう言って、携帯電話を近くの乗客に投げ寄越す。
「会社なり何なりに連絡して、金を用意させろ。変な動きをしたら蜂の巣だぜ」
部下の一人が、銃口を向ける。
銃口を向けられた乗客が、震える手で番号を押し始める。
―――さて、どうしたものか…。
南条は頭の中で、この状況を如何に処理するかシミュレーションを開始した。
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―――相手は四人。武装は…。全員H&K MP5マシンガンか。それと肩口にナイフ。
まずは両サイドの敵兵を排除。その後右前方の敵兵一、左前方のリーダー格の順番か。
チラリと右側の男を見る。相変わらず銃口をこちらに向けたまま微動だにしない。…続いて左側の男。こちらは正面の乗客達に銃口を向けている。視線も同様。
―――まず右側から制圧、完了後即座に左側を無力化し、右前方、左前方の順番か。
果たして上手くいくかな、と一瞬思案する。だが今の状況、闘えるのは自分しかいない。腹を決めた。
フゥ…と息を吐く。傍目には溜息でも吐いた様に見えた筈だ。
…次の瞬間、南条は行動を起こした。
「ハッッ!」
瞬時に右側の男に詰め寄り、右手で銃口を跳ね上げる。間髪いれずに左手の人差し指に力を籠めると、躊躇なく男の左目を突く。
ズブリ、という嫌な感触を味わうのも一瞬にして、即座に左手を抜く。
ぎゃああ、と呻く男の肩口から右手でナイフを抜き取り、返す左手で男のマシンガンをもぎ取るとそのまま左回りに反転する。
…遠心力を利用し、左手の男へとナイフを投擲。その間に奪ったマシンガンを真上に放り投げた。
うぐあ、という声と共に左手の男が腕を押さえた。ナイフは上手く命中したようである。
パシッッ!
宙に放り投げたマシンガンのグリップを掴むと、前に立つ男へ銃を向けた。
「おおっと!そこまでだぜ!」
既に前方二人の男がこちらに向き直っており、マシンガンの銃口はこちらに向いていた。
―――時間を食いすぎたか…。
南条が歯噛みをする。
「なかなかやるじゃねぇか、嬢ちゃん。だがちいと無理があったなぁ?」
リーダー格の男が下卑た笑みを浮かべる。
「…なあに、そんなに無理はしていない」
フッ…と笑みを浮かべた。
「余裕こいてるんじゃ―――」
リーダー格が南条に銃口を向けようとした時だった。
「ねげべがばふ!?!?!?」
顔面を抉る様な、脚。その蹴りはリーダー格の顔を変形させるのには十分な威力を持っていた。
「!?」
最後に残った男が振り返りきる前に、既にコトは終わっていた。
ドガッッ!!
銃底で後頭部を力の限り殴りつける。呻く間も無く男は床に沈むのだった。
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「…済まんな。助かったぞ」
南条がマシンガンのセイフティを掛け、銃口を下ろす。
「いやいや、いいって事よ」
ニカッ、と笑う男。…須藤だった。
須藤は車両の不穏さから異変を察知し、強盗達の隙を窺っていたのだった。
「しっかし、なかなかできる芸当じゃあないぜ、さっきのは」
言いながら、倒れて呻く男に近づく。
「え~と…これでいいか」
男達が用意していたと思われるロープを掴むと、手早く縛り上げる。
…残り三人の男達も同様の状態にすると、南条に向き直った。
「所で、こいつら何なんだ?」
「只の列車強盗だ」
南条が手にしたマシンガンを解体しながら答える。
「列車強盗。今時そんなのいるのか…変なの」
カキンッ。最後のパーツを外し終えると、南条が口を開いた。
「…それだけ、治安が悪くなってきているという事だ」
「ふうん…。退屈はしなさそうだな?」
「…皆さん。見ての通りテロリストは制圧しました。各自御自分の部屋へお戻り下さい」
脇で冷やかすような口調の須藤を無視し、集められた乗客達に声を掛ける。その言葉に安堵した様子で皆散らばって行った。
「…さて、乗りかかった船だ。少々付き合って貰おうか?」
須藤は一瞬、疑問符が浮かんだが直ぐに合点し、男二人を担ぎ上げた。
「どこに運ぶんだ?」
「話が早くて助かる。…そうだな、三両目に倉庫がある。其処にしよう。頼む」
「へいへい。安くしとくよ」
今度は南条の顔に疑問符が浮かんだが、直ぐに微笑を浮かべた。
「わかった。今度ディナーに招待しよう」
よっしゃ、と言いつつ須藤が前の車両に向かうのを見ながら、南条は思案していた。
―――この男、使えるかもしれんな…。
「ドア開けてくれ~」
そして、ドアの前で右往左往している須藤に苦笑したのだった。