北へ
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―――俺は、元は流れ者だった。
各地を転々とし、所謂『何でも屋』として生きていた。
犬の散歩から、喧嘩の手伝い、果ては暗殺紛いの事までやっていた。
ある日ふと、何気ない気まぐれで北へ向かう列車に乗った事が、全ての始まりだった…。
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タタン…タタン…。
規則的な列車の走る音に、思わず船を漕ぐ。
傍らには、布を幾重にも巻き付けた異様に長い物体。人間の背丈よりも長いかもしれない。
突然、ガクンッと首が折れる。
「ぬわっっっ!?」
声の主が慌てて飛び起きた。
キョロキョロ…。
周りを見回す。
「何だぁ…。夢か…。肉まん食べ放題がぁぁ…」
がっくりと肩を落とす。
はぁ、と溜息を吐くと何気なく車窓に視線を移した。
サァァァァ…。
夕闇を黒雲が覆い、更に降りしきる雨が絶え間なく窓を叩いていた。
「あーあ。景色も台無しだぁ」
踏んだり蹴ったりだなぁ、と零す。
「…さてっ」
しばらく外を眺めていたが、やがて一声かけると立ち上がり、
「食堂車にでも繰り出すとしますかぁ~」
意気揚々と個室を出て行ったのだった。
サァァァァ…。
雨を叩きつけられ、闇が濃くなっていく車窓が、残された異様に長い物体を写し出していた。
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『毎度ご乗車ありがとうございます…。この列車は札幌行きでございます。青森を出ますと停車駅は終点、札幌までございませんのでご注意下さい…』
お決まりの車内アナウンスを聞きながら、食堂車のドアを開ける。
カララララ…。
軽い音を立て、ドアが開く。
…内部ではさながら、西部劇にでも出てきそうな光景が広がっていた。
酒を飲みながら濁声で歌を歌う者、ポーカーに興じる者、ひっそりと窓の外を眺める者。
スタスタスタ…。
騒々しい男達を掻き分け、空席を探す。
―――空いてねぇなぁ…。
と、キョロキョロするその目に映るものがあった。
車内の喧騒の中、一人静かに食事を取る女。二人掛けの席は、向かいが空いていそうだった。
スタスタスタ…。
おもむろに近付くと声を掛ける。
「やぁ。一人?」
女は黙々と食事を続けている。
「席を探してるんだけどさ、なかなか見つからなくって。ココ、良いかい?」
ピッ、と空席であろう椅子を指差す。
女が手を止める。切れ長の瞳が自分を見る。長い髪が揺れ終わると、口を開いた。
「好きにしなさい。私はもう終わる」
そう言うと、音も無くナイフとフォークを置いた。
「ウェイター!」
凛とした声、と言うのはこういう事を言うのだろう。一瞬車内の空気が止まるのを感じた。
ややあってから、ウェイターが小走りにやって来る。
「お、お呼びで」
気のせいか、ややオドオドしているようにも見える。
―――この女、VIPか何かか…?
そう考えたが、それだったらこんな所には来ない。
「客だ。メニューを。私にはコーヒーを頼む。濃いめのブラックでな」
畏まりました、とウェイターがテーブルの食器を下げ、メニューを代わりに置いた。
……適当に注文し、ウェイターが下がっていく。その後ろ姿を見送ると、視線を女に戻す。
「北には観光かい?」
明らかに違うな、と思いつつ質問を投げかける。
「仕事だ」
女は短く答えると、パラパラと手帳をめくる。
「へぇ…。どんな仕事?」
「君には関係無かろう」
ピシャリ、という表現がぴったりの言い草に、苦笑いで返す。
「あらら。ツレない」
「……」
女がジロリ、と自分を見る。
「北海道へ行くつもりか?」
不意の質問に、キョトンとする。
「え?…あぁ。そうだな…。とりあえず最北端に行こうと思ってさ」
女はその言葉に目を細めて返す。
「そうか…止めておけ」
突然の言葉に、目を丸くする。
「へ?何で?」
「…」
女はやや思案している風だったが、やがて口を開いた。
「知っているだろうが、今あの地は治安が悪い。丸腰で歩くような輩はあっという間に野盗の餌食になる」
「へぇ…そうなのか」
コーヒーと食事が運ばれてくる。女がカップを手に取った。
「…」
一口、口に含む。
「大丈夫さ。別に俺も丸腰ってわけじゃあない」
ナイフとフォークを手に取る。
「…好きにするがいい」
カタ…、とカップを置くと立ち上がった。
「君、名は?」
「あん?すふぉー」
「すふぉー?…口の中を空にしてから喋れ」
あわてて飲み込む。
「須藤、…須藤 叢雲さ。よろしくな」
「須藤…。私は南条。南条 零。…別に覚えなくて良い」
「何だそりゃ?変な自己しょーかい」
「どうせ今後会うこともあるまい」
その物言いに、須藤が再び苦笑する。
「それではな。せいぜい気を付ける事だ」
「ご忠告どうも~」
立ち去っていく後ろ姿に、ひらひらと手を振る。
「…」
須藤は見逃していなかった。その油断の無い動きを。
―――隙がねぇ…。あの身のこなしも、相当な使い手だな…。
女一人で旅するのにも納得、とつらつらと考えていた。
「ん。んまい」
のも束の間、料理に夢中になっていた。