その魔術師、起床
「そろそろ起きなさい!!」
毎朝のように部屋中に大声を響き渡らせる。
それは、二階の部屋だけなく、
一階のリビングまで届くほどの声量だ。
そうやって毎日懸命にわが娘を起こそうとしているのは
もちろん母の私…
ではなく、
娘愛用の目覚まし時計。
名前はベル。
「まったく! いつまで寝てるつもり!?
そろそろ起きないと、お腹に飛び乗るわよ!!」
頭上の金に輝くツインベルを激しく打ち鳴らしながら
オレンジ色で、白と薄い黄色の水玉模様が入った丸い体を揺すっている。
目覚まし時計特有の少し…いや、
かなり高めのキーキー声でも起きない娘は曲者だ。
さすが、知名家きってのねぼすけさん。
え?目覚まし時計が話すわけ無いって?
物は人よりお喋りで
人は物を従える
これがこの世界での常識。
といっても、魔法をかけた物限定だけどね。
「ええと、ディッシュたち パンを乗せるから、来て~っ」
キッチンにいる私がそう声を出せば、食器棚から
真っ白なお皿がニ枚、クルクルと飛び出てきた。
「おはよう。Mrs.アヤコ」
「えぇ おはよう」
いつものように挨拶を交わすと、
ツルツルな純白の上にチーズとハムの乗ったこんがりとしているパンを置いた。
すると、彼らはクルクルと陽気そうに舞って、薄茶のテーブルの上に落ち着いた。
ちらりとデジタル時計を確認。
am6:30
やだ あのこったら、そろそろ起きてこないとまずいんじゃないかしら…
そう眉を顰めたとき、
ガシャン!
これまた大きい音が家に響いた。
娘が目覚まし時計を止めた音だ。
先ほどのベルの怒鳴り声が嘘みたいにパタリと止む。
そしてあまり時間がたたない内に
階段を駆け下りてきた。
「ふぁ~っ おはよ~」
大きな欠伸をしながら、眠そうな瞳を擦る。
しかも旦那似で、癖の強い黒髪をさらにゴワゴワにして。
「月彩っ ベルに迷惑かけないのっ」
寝ぼけている娘のおでこを指先でツンッ、としながら言うと
「ふぁい。」
と気の抜けた炭酸飲料のような返事が返ってきた。
まったく…このこったら…。
そのままマリモのような髪をゆさゆささせながら
椅子に腰をかける。
いただきまぁす、とぼそぼそ呟くと
サクリ、とパンを囓った。
「うんまぁぁぁ」
はいはい、そうですか。
美味しいなら良かったわ。
月彩の髪に内心ため息をつきながら
櫛を手に取る。
茶色の櫛先で黒いマリモを撫でつけると、
制服のタイが乱れているのが目に入り、髪を梳ついでにささっと直した。
「ん、ありがと~」とモグモグしながら言われる。
橙色ベースで、黒の千鳥格子柄のリボンタイは
文能城学園高等部一年生の証拠。
二年生は深緑、
三年生は臙脂
それに黒の千鳥格子とシックなリボンになっている。
オシャレよね~
可愛い制服も文能城学園の人気の一つなのよ。
私が子供の頃はこんな可愛いの無かったわぁ
確か私が着けていたのは…
「うぁっ!!」
急に月彩が立ち上がる。
月彩は突飛に動くことがあるから警戒してたけど、
昔の思い出に耽っていて完全に油断してた。
「いけないっ遅れちゃうっ!」
娘の声にハッと時計をみると am6:55
あらら、大変。電車間に合うかしら。
椅子から飛び降り
ガサッと学校用の水色のリュックを肩にかけると
駆け足で玄関へ向かった。
机の上に、紺に金色の星柄で彩られたナフキンで包まれている
お弁当箱が目に入り
「月彩、待ってっ」と少し大きな声を出した。
すぐに娘のところに向かい、はい。と手渡す。
「ありがとっ お母さん、行ってきますっ」
最後の方は言い終わる前にダッシュで出て行ったから
あまり聞こえなかった。
普段からあんなにバタバタしてる子だけど、頭が悪いワケではないのよね。
はぁ…、あのこのおかげで、毎朝急がしいったらありゃしないわ。
軽く微笑みながら、腰に手を当てふぅ。と一息つく。
「まったく…。昔から変らないんだから。」
呆れが混じった優しい声だ。