S21 VS Toroi<トロイ>
ミサの叫び声と共に天空から巨体が舞い落ちる。
鈍い地響きと共に、一同の全身が震え立つ。肌を通して伝わってくる圧倒的なそのプレッシャーは、通常モンスターの比ではない。まるで、全身に鉛を吊るされたような、そんな錯覚にさえ陥っていた。そこに存在する生物は並のモンスターとは明らかに桁違いの化け物だった。
体長三メートルにも及ぶ巨躯を持ったその深緑の怪物は青白の瞳でじっと一同を観察しているようだった。肥満して弛んだその深緑色の皮膚。尖った八重歯を剥き出しにして、腕に抱えた大きな蜂の巣に食らいつくトロイ。その姿を、一同はただ息を呑んで見守っていた。
「こいつが……トロイ」
声を振り絞るようにエルツはそう呟いた。エルツのその視線の先にはトロイの背中に背負われた鈍い輝きを放つ苔の纏わりついた巨大な斧。その斧をゆっくりとトロイは背中から引き抜くと力任せに近くの低木に向けて叩きつけた。
同時に轟音を立てて、低木が次第に傾き始める。
「皆、避けろ!」
エルツの必至の掛け声に慌てて飛び退く一同。倒れてきた樹幹をかわすその動作はまさに紙一重。無造作に抉り取られた切り口を見つめながら息を呑むエルツ。
――冗談じゃない、あんな直撃を食らったら一撃で――
一同がまさに放心状態だったその時。
「私が少しでも時間を稼ぎます。その間に皆さん逃げて下さい!早く!」
ミサの懸命な掛け声に一同が我に返る。
そんなミサの言葉に一同が口を挟む余裕など微塵も無かった。ただ言われた事を精一杯理解しようと努力する。
「案内はユミル、お願い」
ミサの言葉に心配そうに頷くユミル。
「皆、私に着いて来て!森の外まで案内します!」
ようやく状況を理解した一同がユミルの掛け声に一斉に敵に背を向ける。
「OHHHHHHH!!!」
耳を劈くような怪物の咆哮を背に受けながら、一同が駆け出したその時。
現場にはただ一人、蹲るペルシアの姿。
「ペル、早く逃げろ!」
ポンキチの掛け声に、青ざめた表情で振り向くペルシア。
「足が……」
――まさか、足が竦んで動けなくなったんじゃ――
その時、トロイが振り抜いた豪腕が再び近くの低木を薙ぎ倒した。
倒れる低木をかわしながら、ミサは一人懸命にトロイの注意を引こうとしていた。
「どうしたんですか、早く!」
ミサが時間を稼げるのも時間の問題だった。早く現状を打開しないと、そう思っていた矢先、その最悪の事態は起きた。
「きゃぁ!」
ミサの悲鳴と共に、彼女の身体が数メートル程、宙を泳ぐ。
一同は愕然とただその軌道を眺めている事しか出来なかった。
「ミサ!」
地面に落下したミサに走り寄るユミル。
倒れ込んだミサを抱きかかえて揺さぶる。だが、彼女は微動だにしなかった。
動揺する一同。メンバーの中で最もLvが高かったミサが一撃でやられた今、一同が取れる選択肢は絶望的だった。
「くそ、ふざけんなよ……!」
そう言って武器を構えるポンキチ。今にも飛び掛って行きそうなポンキチに対して、エルツは気がつくと大声で叫んでいた。
「ポンキチ止めろ!ミサの二の舞になるつもりか!」
「じゃあ、この状況どうしろって!」
ポンキチの真っ直ぐな瞳。その表情からはいつもの楽観的な彼の柔軟さは消えていた。
だが、余裕が無いのはエルツも同じだった。咄嗟にエルツは辺りを見渡して状況を確認する。
「トマさん!」
エルツの掛け声に、驚いた表情で顔を上げるトマ。その表情は恐怖に怯えていた。
「トマさん、ミサさんを負ぶって逃げれますか?」
「わ、わかった……任せてくれ」
エルツの言葉に慌ててミサに駆け寄るトマ。トマがミサを抱え起こすのを確認すると、エルツは今度はアリエスとポンキチに視線を投げた。
「アリエスとポンキチはペルシアに肩を貸して上げてくれ」
突然のエルツの言葉にも、二人はただ無言で頷き地に膝をついたペルシアの元へと駆け寄る。
そうして、彼らの動きを確認したエルツはユミルに大声で叫んだ。
「ユミル、皆の先導頼む!」
頷くユミル。そのエルツの言葉にアリエスが真剣な眼差しで口を開いた。
「エルツさん、あなたはどうするつもりです。まさかとは思いますけど」
アリエスの言葉尻をトロイの咆哮が掻き消す。
「自分がターゲットを取る。皆はその間に逃げてくれ」
「何言ってるんですか!無茶ですよ、本当に死んでしまいますよ!」
声を張り上げるアリエス。
だが他に方法があるとも思えない。現状それしか、もう方法が無い。
「ここへ皆を連れてきたのは自分の責任だ」
エルツの強い語調に口を噤むアリエス。
「エルツさん、約束ですよ。必ず死なないで後を追いかけて来て下さい!」
アリエスの言葉に頷くエルツ。
「無駄死になんて僕だって御免だ」
そのエルツの言葉に真っ直ぐに視線を投げ掛けていたアリエスとポンキチが頷いた。
そして、エルツの合図と共に、一斉に皆が動き出す。突然、動き出した一同の様子に静観していたトロイが再び咆哮を上げ、巨斧を振り回す。低木が音を立てて崩れ落ち、いつの間にか辺りの景色は一変していた。
「お前の相手はここだ!」
エルツはパーソナルブックから装備をファイアロッドに変更する。
攻略情報掲示板によればトロイはLv13。その上、RMであるトロイは補正値が係り、通常モンスターとは比較にならないステータスを持っている。つまり、今の自分より遥かに格上だという事だ。元より、通常攻撃でダメージが通るとも思えない。だったらば、少しでも気を引くために、遠距離から派手な技を咬ましてやろう、そう考えたのだ。
「Fire Ball!」
エルツの掛け声と共に、小さな炎球がトロイの顔に炸裂する。
「OHHHHHHH!!!」
怒り狂い咆哮するトロイ。案の定ダメージを与えた様子は全くないが、それなりにターゲットを引きつける効果はあったらしい。
エルツがターゲットを取り、トロイを振り回している間に、皆はいつの間にか逃げる体勢を整えていた。
「さぁ、早く!」
エルツの言葉に一斉に逃走を図る一同。その姿を見て、再びトロイが咆哮を上げた。
音の振動が全身を駆け巡る中、エルツは今一度炎球をトロイの顔面に向かって炸裂させる。
「お前の相手はここだって言ってるだろ」
――こっちは手負いを抱えてるんだ。最低でも一分以上は時間を稼がないと――
エルツがそんな思考を巡らせながら、トロイを見据えていると急にトロイが咆哮を止め、その動きを完全に止めた。巨斧を背に構えながら、ただじっと動かずにエルツを見定めるトロイ。
――なんだ、様子見てるのか?それならこっちには好都合だ――
そうしてエルツがいったん杖を降ろしたその時だった。
突然、トロイが背中に回していた手を一直線にエルツ目掛けて振り下ろした。
同時に走る衝撃。吹き抜ける風を感じた時、気がつけばエルツの身体は中空を漂っていた。そのまま低木の合間を縫うように吹き飛んだエルツは、遥か後方のツァーレンウッドの大木に打ち付けられ、その場に崩れ落ちた。
全身の感覚が薄れて行く。
――何が起きたんだ?――
あの瞬間、巨大な何かがエルツに向かって放たれた。
エルツは知らなかった。トロイの必殺と言われる特殊能力の存在を。
そう、トロイは自らの巨斧をエルツ目掛けて放ったのだ。
「OHHH OHHHH!!!」
柔らかな青葉の上にひれ伏しながらエルツは迫り来るトロイの咆哮を聞いていた。
そして、薄れ行く感覚の中でエルツは、光を見ていた。
自らの身体から無数に立ち昇る、その粒子の光を。