S7 レミングスの酒場
部屋から望める景色を満喫したエルツは部屋を後にする。扉の外には薄暗い通路。
「さてと、流石にお腹空いたな」
通路を数歩。空腹にエルツがそんな言葉を漏らしたその時だった。
突然、前方の通路にうっすらと人影のようなものが現れた。
「何だ……?」
透き通ったその人影は、次第にその色をはっきりと現して行く。
「スウィフト?」
しかし、エルツの声はスウィフトには届いていないようだった。スウィフトはそのまま宿屋のカウンターのあるロビーの方へと歩いていく。
慌てて後を追い、ロビーへとエルツは出た。
「スウィフト」
エルツの再度の掛け声に今度はその声がスウィフトに届いたようだった。
「ああ、エルツ」
ようやくエルツの姿に気づいたスウィフト。彼は何事も無かったかのように、そうエルツに言葉を返した。
「待たせてごめん。部屋良かったよ。三人で入るにはちょっと狭いけどね。あれだと男は床に雑魚寝かな。二人とも入れば良かったのに。ギルドと女神像が一望できて窓から見る景色最高だったよ」
その言葉に引っ掛かりを感じエルツはそこでふと疑問をスウィフトにぶつける。
「いや、待ってないよ。ちょうど今僕も出てきたんだ」
エルツの言葉にきょとんとするスウィフト。
「え、出てきたって、外で待ってたんじゃないの? だって部屋一つしか無かったし。てっきり相部屋だと思ったんだけど」
スウィフトの言葉にエルツはその事実に気づいた。確かに、通路の先には扉は一つしかなかった。つまり部屋は一つしなかったのだ。
二人が困惑していたその時、通路に、また人影が浮かび上がり始めた。人影はその色調を強めながら、静かに二人の方へと歩いてくる。
「二人とも、またせてごめんね」
そう声を掛けてきたのはリンスだった。目の前に事実に二人の思考が止まる。
「え? え? ちょっと待って」
スウィフトが頭を抱える中、エルツもまた必死に思考を整理していた。
状況を整理してみよう。三人はそれぞれが部屋へと向かい、あの通路を通った。そして、通路の先に存在する部屋は一つ。ここで常識的に考えれば三人は、同じ部屋へ到達する事になる。
そして、スウィフトのあの言葉。
――ギルドと女神像が一望できて最高だったよ――
エルツとスウィフトは同じ景色を窓から見ていた。これが一体何を示すのか。
「つまり僕らは、それぞれ別の同じ部屋で休んで、戻ってきたんだ」
別の同じ部屋。何とも混乱を避けられない言い回しだが、そう表現する他無かった。けれども、ここが仮想現実ならばそんな不思議な空間が成立したとしてもおかしくはない。おそらくは、あの通路が別空間へ振り分けるスイッチの役割を果たしているのだろう。そう考えれば二人の気配があそこで急に消えたのも、スウィフトに声が届かなかったのも説明できる。
エルツの推論が核心を捉えた。
「なるほど、そういう事か。確かに一人一室だ」
老婆の言葉を思い出し、エルツはそう呟いた。
エルツの説明にスウィフトが音を上げる。
「なんか、頭痛くなってきた。要は一人部屋と考えていいって事だよね。流石にあの部屋三人じゃ狭いと思ったんだよな」
「まぁ、そんなに深く考える事じゃないか。通路の邪魔になるし、外行こう」
そんな三人の会話を老婆はニコニコしながら聞いていた。
「位相がずれてるのじゃよ。よくヘッドホンで音楽を聴くときに奥行きを感じることがあるじゃろ。このARCADIAの世界では空間を虚数のベクトルにずらすことで、いくつもの併行世界を生み出すことができるのじゃ」
老婆の突然の学術的な言葉に躊躇うエルツとスウィフト。
ここで冷静な疑問を投げかけたのはリンスだった。
「そんな最新の学会研究がこのARCADIAの中に取り入れられているんですか。虚数空間の定理が確立されたのは、僅か数ヶ月前の話ですよ。こんな大規模な筐体ゲームの開発にその定理が反映されているなんて、とても信じられません」
「お嬢ちゃんが信じられんのも無理はないわな。だがねぇ、この世界の時間は無限なのじゃよ。さ、引き止めて悪かったねぇ。食事ならレミングスの酒場に行くといいさ」
そんな、老婆の謎の送り言葉を受けて、三人は夕暮れの村へと繰り出した。
村の所々から漏れるその光を頼りに、三人は老婆に教えられた酒場を目指していた。
ギルドを正面に、光輝く花々によってライトアップされた女神像の前を右手へ、森に向かってその木道の先に、その酒場はあった。
木々に囲まれたオープンテラス、ちょうど地表から三メートル程の高さを、太い枝を組んで作られた木柵が覆っていた。木柵からは、蔓で吊り下げられたランプが淡い光を漏らしていた。その元で、酒を酌み交わす無数の冒険者の姿。
二百五十六席を有する直径二十五メートル程の円状に広がったこの空間は、冒険者達の憩いの場であった。
「とりあえず、席だけ取っとこう。そしたらまとめて注文してくるよ」とスウィフト。
円状にテーブルと丸椅子が並ぶ、その中から空いている席を適当に選びエルツ達は腰を下ろした。
「ん、これどこで注文するんだろ? 店員も見えないし。ちょっと探してくるよ」
「待った、テーブルのメニューに何か書いてある」
注文を取りに行こうとしたスウィフトをエルツが制止する。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
〆初心者様用
メニュー注文の仕方
1-パーソナルブックを開いて下さい
2-デスクトップアイコンからSHOP-MENU<メニュー>を選択します
3-表示された画面にてご希望のお食事に選択し購入(個数変更可:チェックボックス右)
4-各テーブルの中央に設置された台の上に、御食事が自動転送されます
5-ごゆっくりとお食事をお楽しみ下さい
※ご注意1-食後の食器類について-
食べ終えた後の食器は、中央の台の上にお戻し下さい。大変御手数ですが、何卒ご協力の程、よろしくお願い致します。
※ご注意2-レミングスについて-
当店内には清掃のため、レミングスが徘徊しております。くれぐれも彼等の仕事の邪魔をしないようよろしくお願い致します。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
マニュアルに目を通し、パーソナルブックを開く三人。
「ここでも、パーソナルブックか。確かに使用頻度高いな」
「だねぇ。でもデスクトップにメニューなんてアイコンあったっけ?」
エルツがデスクトップを探していると、そこに浮かび上がるようにSHOP-MENUというアイコンがポップアップした。明滅を繰り返すアイコン。
「あ、なんか出てきた。これか」
アイコンをクリックすると三人の目にはメニューが映る。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
〆レミングスの酒場
メニュー
▽前菜
□×1 シザーサラダ 7 ELK
□×1 シーフードサラダ 8 ELK
□×1 トマトサラダ-フランの花弁添え- 10 ELK
▽スープ
□×1 コーンポタージュ 6 ELK
□×1 ミネストローネ 6 ELK
□×1 南瓜の冷製スープ 6 ELK
▽メイン
□×1 ムームーの香草焼き 12 ELK
□×1 シャメロットのチーズ蒸し 15 ELK
□×1 レミングスの酒場特製シチュー 30 ELK
▽デザート
□×1 蜂蜜ゼリー 5 ELK
□×1 アップルパイ 10 ELK
▽ドリンク
―ノンアルコール―
□×1 おいしいお水 無料
□×1 蜂蜜ジュース 3 ELK
□×1 アップルジュース 3 ELK
□×1 アップルティー 3 ELK
□×1 アイスカフェ 3 ELK
□×1 ホットカフェ 3 ELK
―アルコール―
□×1 ビール 5 ELK
□×1 蜂蜜サワー 5 ELK
□×1 アップルトリック 5 ELK
□×1 カルーアミルク 5 ELK
□×1 エルム特産地酒 10 ELK
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
「なんかさ、あんまりメニューは酒場ってイメージじゃないね。どちらって言うとレストランのような」
「確かに」
スウィフトの言葉にエルツが同意すると、その傍らでリンスが頷いた。
「所持金って皆初期資金の100ELKのままでしょ?あんまりここで使うの勿体無いよね」とスウィフト。
「いや、宿屋行ってるから差し引かれて90(ELK)になってる」
エルツの言葉にスウィフトがパーソナルブックの右下に常駐している所持金表示を確認する。
「あ、ほんとだ。宿屋って前金制なんだ。いつ引かれたんだろ?」
「たぶん、宿帳に名前書いたときフラグが立ったんだと思う。あれが本人の意思確認なんだよきっと」
三人はメニューに視線を戻す。
「どうしようかな。前菜いらないかな。コーンポタージュにこのシャメロットのチーズ蒸しっていうのだけでいいかも。あとアイスカフェで」とスウィフト。
「自分も前菜とスープ両方はいらないかなぁ。シザーサラダとこのムームーの香草焼きってのにしようかな。あとビール」
エルツのその言葉に、スウィフトとリンスが微笑む。
「飲むの?」
「いや折角だからさ。だって酒場だしここ」
その言葉に今一度メニューを見つめるスウィフト。
「ビール追加」
スウィフトのその言葉にエルツが吹き出す。
「なんだよ、結局飲むんじゃん!」
「いや、折角だから」と笑いながらスウィフト。
「リンスはどうする?」
「じゃあ、私も」
恥ずかしそうにリンスはそう言った。
「じゃあ、始めに飲み物だけ頼んで乾杯しよう」
「いいね」
スウィフトの提案にエルツが賛同すると、三人はそれぞれ『購入する』ボタンをクリックする。すると、丸いテーブルの中央にふわっとやわらかな光が漂い、そこにビールのジョッキが三つ現れた。
「ジョッキかよ!」
思わず突っ込んだスウィフトに全員笑いを溢す。
三人はそれぞれジョッキを手に取ると、お互いを顔を見合わせた。
「それじゃ、三人の出会いを祝って、乾杯!」
スウィフトの指揮の元、三人は一斉にジョッキに口をつける。
「ああ、生き返る!」
「何、今まで死んでたの?」
軽快なスウィフトの突っ込みに一同のテンションは上がってゆく。
「ちょっとここらで改めて自己紹介しとこうよ」とスウィフト。
「いいね」とエルツ。
リンスの同意は問わずに半場強引な展開でスウィフトは率先して自己紹介に乗り出した。
「じゃあ僕から。プレイヤーネーム、スウィフトです。今までオンラインゲームはいくつかやってきたけど、今までの中でもこのゲームは最高だと思う。まだ細かい事は分かってない今の時点でも面白いし、何よりこの圧倒的な臨場感。ここへ来て本当良かった。こうして二人にも出会えたし、これも何かの縁だよね。というわけで二人共、これからよろしく!」
若干、途中から自己紹介では無く感想と化していたが、エルツは敢えて突っ込まずに、その後に続けた。
「プレイヤーネーム、エルツです。自分も今まで結構ゲーム浸りな人生送ってきました。一番好きなジャンルはやっぱMMORPGだけど、別にジャンルは問わず幅広くやってます。弾幕系シューティングとかも結構好きで、一時期やり込んで、全国スコアランキングベスト10に食い込んだ事もあります。最近、面白いゲームが無くて、正直マンネリ化してたところにこのゲームに出会いました。感想としてはまだ掴みきれてない部分が大きいけど、それでもこのゲームには噂以上の何かを感じてます。こんな下らない奴ですが、二人とも宜しく!」
「やっぱ聞けば聞くほど廃人じみてる。弾幕系シューティングとか趣向がオタクっぽいぞ」
スウィフトの茶々入れにエルツは脇腹を小突き返すと、二人はリンスの方へと視線を送る。リンスは気恥ずかしそうに、二人の視線に俯きながら、頬を紅潮させて口を開いた。
「リンスです。ええと、私は普段ゲームとかはあまりやらないんですけど……でも初めてこの世界を見て、ゲームってこんなに素敵な世界が広がってるんだなって感動しました。まだ全然わからない事が多くてお二人の足を引っ張っちゃう事が多いかとは思うんですけど、これからよろしくお願いします。ごめんなさい、あまり喋るの得意じゃないんです」
「いいよいいよ、気にしないで。そん位の方が女の子は可愛いよ」
何の気無しに、歯の浮くような台詞を自然と言ってのけるスウィフトにエルツは感動を覚えていた。
「あ、お金勿体無いけどアルコール追加しようかな」
空いたグラスを片手に、エルツはメニューを広げる。
「速ぇよ。なんでもう空なんだよ!」
「このアップルトリックって、これ何者?」
エルツの指摘にスウィフトが首を傾げる。
「え、わかんないけど、名前からしてカクテルかなんかじゃないの?」
「ああ、なるほど。ちょっと頼んでみようかな。あとさっきから気になってたんだけどさ。この注意書き2のレミングスって何者?」
「さあ、でも多分あれの事だと思う」
スウィフトが視線で指したその生物。
隣の席のプレーヤー達が立ち去った後の机を丁寧に拭き、掃除しているその生物。
クリっとした大きな丸い瞳が特徴的な、体長一メートルにも満たない大きなリスとでも形容するべきか、その生物は丁寧に自分の仕事に打ち込んでいた。
「可愛い」
リンスが思わず言葉を漏らす。
「なるほど、それでレミングスの酒場ってわけか」
そんな他愛も無い会話を広げる三人。
温かい食事に、気づけば酔いも回りあっという間に過ぎてゆく時間。
記念すべきこの世界の一日目の夜は、心地よい仲間との出会いによって飾られていた。