S6 宿屋にて
三人はそれから村の入り口付近にあるという宿屋へと向っていた。別れ際クリケットが今日はもう遅いからと三人にご飯でも食べて宿屋へ泊まる事を勧めたのだった。
「本当は一緒に食事したいデシが、流石にそこまで一部の冒険者と仲良くすると後で怒られるデシ。でもまたいつでもギルドには遊びにくるデシ。歓迎するデシ」
「でも、もう痛いのは勘弁ですよ」
エルツはそんなクリケットとコーザの言葉を思い返していた。
村の入り口に近くにある二つ円錐形の屋根がラクダのコブのように突き出たその藁小屋の前で三人はふと足を止める。
「ここかな?ここだよね。クリケットが言ってたとこって」
「ああ、多分間違いないよ、そこの看板に『INN』て書いてある」
エルツはスウィフトの言葉に確信を持って、藁小屋の中へと踏み込んだ。
中へ入ると、エルツ達の目にはまず木製のカウンターが飛び込んできた。そのカウンターでは、白髪の老婆が優しい笑みを携えて佇んでいた。その優しい微笑みに迎えられ、安堵する三人。
「あの、泊まりたいんですけど部屋って空いてますか?」とスウィフト。
「部屋かい? 部屋なら空いとるよ。もっとも空いてない事なんてないわな」
そんな老婆の言葉に三人は顔を見合わせた。そんな繁盛してないのだろうか、そう思ったからだ。
「あんたらルーキーだろう?」
「え? あ、はい。そうです。今日ここへ来て、今ギルドで初心者講習受けて来たとこなんですよ」
スウィフトの説明に老婆は笑顔で「そうかえそうかえ」と言って宿帳を取り出した。
「あの子は無茶するから大変じゃったろう」
老婆の言うあの子とはクリケットの事だろうと、三人には容易に推測できた。
「このタブレットにクリックマーカーでサインを書いておくれ」
「サインってプレーヤーネームでいいんですよね。代表して書いて大丈夫ですか?」
「ああ、勿論じゃよ。ただネームは三人個別に、本人が書いておくれ」
老婆の言葉にスウィフトに続いてリンスが、最後にエルツが宿帳に名前を書くと老婆は宿帳をしまいすっと奥の通路に手を向けた。
「さあ、ゆっくりくつろぐんじゃよ。部屋は一人につき一室。出入りは自由。チェックアウトは明日の午前十時が規定なんじゃ、悪いがそれだけ守っておくれ」
「はい、わかりました」
老婆に愛想良く応対していたスウィフトがふとエルツの方へと振り向く。
「二人とも、部屋で落ち着く前に、中ちょっと覗いたらご飯食べに行かない?」
「あ、いいね。確かに朝から何も食べてないし」
お腹が空く、その概念にちょっとした疑問をエルツは抱いた。
「何でお腹が空くんだろう?」
「そりゃ何も食べてないからじゃない?」
至極当たり前なスウィフトの返答にエルツは自分の質問の愚かさを知る。
「あ、そりゃそうなんだけど。これって全ては自分達の脳の中で起きてる現象でしょ?」
「まあ、確かに現実での肉体は冷凍保存状態だし、トイレも行かないし、食事って概念自体、本来ならこの世界では必要ないよね。でも実際今僕らはお腹が空いてるわけで」
そう、実際問題スウィフトの言う通り、三人はお腹が空いている。これは紛れも無い事実なのだ。そんな現状に、エルツは少し興奮を隠せない様子で続けた。
「さらに言うなら、僕らがここへ泊まるっていう概念もちょっと不思議じゃない? 僕らがここで泊まるって事はさ、つまりこの世界で僕らは生活する事になる。クリケットが言ってたけど、ここでの時間の流れは現実の二十四倍の速度らしいし。これってさ、凄くない?」
「ごめん、いまいち言いたい事が伝わってきてないんだけど」
苦笑いしたスウィフトにエルツは自らの言葉を要約する。
「つまりさ、僕らはこの世界で衣食住をしてるんだよ。紛れも無く、ここには現実とは別の次元のもう一つの現実が広がってるんだ」
エルツの演説めいた台詞に二人は、ふっと笑った。
「エルツ、いいたい事は何となく分かったよ」
変わってる奴だ、スウィフトとリンスはエルツの事をそんな風に思ったのかもしれない。でも、悪い奴じゃない。それはこの短い付き合いの中でもお互いに感じていた。
扉の前でそんな立ち話で老婆を困らせていた一同は、一礼してその奥の通路へと足を掛ける。中は少し薄暗く、一本道の廊下が伸びていた。あの小屋のどこにこんな奥に続くスペースがあったのだろう、そんな事を考えながらエルツは廊下を進んでいた。
「それじゃ、また十五分後くらいに外で」
そのエルツの言葉に返答は無かった。
「あれ、皆?」
ふと、後ろを振り返るとそこに二人の姿は消えていた。
「外戻ったのかな?」
しかし、エルツの後ろには確かに背後についてくる二人の気配がついさっきまであった。首を傾げながらもエルツは奥の扉に手を掛ける。
中は小さなワンルームだった。部屋の片隅にベッドとその傍らに丸い小さなテーブルと丸椅子が置かれていた。テーブルの上には小さな窓が、そこからは緩やかな傾斜の上のギルドが、手前には花畑に包まれた女神像が一望できた。
「へぇ、いい景色だな」
ベッドに横になり、ふと現実世界の事を考え、そしてエルツはすぐに考える事を止めた。そもそも、ここへやって来たのはそんな現実世界から逃れるためにやってきたのだ。
「余計な事は考えるのはよそう。今はこの世界を楽しむ事だけ考える、それでいいじゃないか」
エルツは赤焼けに聳えるギルドを見つめながら、静かにそう呟いた。