S30 悲報
あれからエルツは昼から夕方にかけてウィルとシュラクの二人に引っ張り回され、コカ狩りに精を尽くしていた。たとえ、四匹の群れだろうが敵のLvが高かろうが低かろうが関係なく釣るウィルの前に、狩りは常に死と隣り合わせだったが、常にリンク処理という苛酷な環境を乗り越えた事で、また冒険者としては一回り成長を遂げられたようなそんな錯覚に陥っていた。妙な達成感と共に、身体を蝕む疲労に音を上げてエルツはコミュニティルームへと引き返したのだった。
夕食を取る気力さえ起きない程、疲れきりソファーでぐったりとするエルツ。その向かいでウィルとシュラクは街のショップで買ってきたお菓子を手にパクつきはしゃいでいた。子供の体力は無尽蔵というが全く恐れ入る。
そんなぐったりしたエルツを見て、ログインし戻ってきたリーベルトが苦笑する。
「お察ししますよ。さぞ大変だったでしょう。こいつらの相手は」
言葉も返せず、エルツはただ力無く微笑みを返した。
暫くすると、ユミルがチョッパーを連れてコミュニティルームに現れた。チョッパーが来ると、子供達の勢いはより増して行く。
「チョッパー!狩り行くか!」
――正気かよ――
ウィルの言葉にエルツは血の気が引くのを感じた。
「エルツさん、こんばんは。あれ、エルツさんがバロック装備着てる!?」
ユミルは驚いた様子でエルツに声を掛ける。
「今、エルツさん死んでますから声掛けても無駄だよ。こいつらのお守り今日したらしい」
リーベルトの言葉を聞いて、「うわ……」とユミルが苦笑を漏らす。
それから、また暫くするとフランクがやってきた。続々と集まってくるコミュニティメンバー達。
「リンスさんも、もうログインしてますね。メール送ってみます」とユミル。
「ログインしてるとかってどうやって分かるの?」
パーソナルブックを開きながらエルツはふとユミルに質問を投げ掛ける。
「コミュニティのメンバーリストで名前が明るく表示されてればログインしてます。灰色だとログアウトの状態です」
「なるほど」
エルツはコミュニティのメンバーリストを確認しながら、名前を確認する。
確かにリンスの名は明るく点灯していた。スウィフトの名は薄暗く灰色で映し出されている。
「スウィフトはまだか」
そりゃ社会人はこの時間帯まだ無理だよな。会社が終わる時間を考えれば、大体21日以降のログインだろう。
エルツがそんな事を考えながらバインダーを閉じると、またコミュニティルームの扉が開く音が聞こえた。扉から現れたのはスニーピィだった。
「あ、スニーピィさんこんばんは」
「こんばんは、おー結構揃ってるな」
そう言って笑顔を見せるスニーピィ。だがどことなく淋し気なその表情にエルツは思わず口を開いた。
「何かあったんですか?」
エルツの言葉に、スニーピィは動揺を隠さなかった。
「いや……そっか、皆まだ知らないのか。そうだよね、自分もさっき知ったばかりし……」
「え、どうしたんです。何があったんです」とリーベルト。
「これ言っていいのかな……でもどうせ皆わかる事だしな」とスニーピィが表情を曇らせる。
静まり返る一同。皆がスニーピィの言葉を待つ音の消えたその空間で、スニーピィは今静かにその言葉を口にした。
――オルガさん引退するんだって――
その言葉を瞬時に飲み込めた者は誰一人として居なかった。
「え、引退って……」
「このゲームを辞めるって事だよ」
当惑するリーベルトに事実を突きつけるようにスニーピィは言葉を被せた。
「え、でもどうして……?」
明らかにショックの色を隠せないユミル。だがショックを受けたのはユミルだけではない。この場に居た全員が、深く想いに沈む。
エルツ自身、オルガとの付き合いは長くないが、引退という言葉は衝撃だった。朝出会った時は、そんな素振りを一切見せず、それどころか剣術の稽古までつけてくれたというのに。一対、何故オルガがそんな決意に到ったのか、残念でしょうがなかった。
「詳しい事は僕もまだよくわからないんだ。さっきログインしたら、メールが届いてて。そこに、引退って言葉が書かれてたんだ」
語りながらソファーへと腰掛けるスニーピィ。
「初めは何かの冗談かと思ってさ。コッペルさんに聞いてみたんだよ。これって何かの冗談ですよねって」
そして、スニーピィは俯いた。
「本当だよ、ってさ。冗談言うような人じゃないしね。シンさん達にはもう少し前にオルガさん本人から話があったらしいんだ。氷の刻一杯、それでオルガさんはここから居なくなる」
誰もがその話に口を開かなかった。
皆の表情から、その心情は痛い程伝わってくる。同時に、オルガという人物がどれほどの影響力を持った存在なのかが窺がい知れる。
「刻末にはシンさん達も戻って来て、オルガさんの送迎会をやるってさ。だから、皆予定空けといて欲しいんだ」
「勿論です」とフランクが答えた。
頷く一同。付け加えるようにスニーピィは口を開いた。
「それから、オルガさんには皆送迎会の事内緒だから。あと皆が変にオルガさんに気を使ったら、それこそオルガさん居心地悪くなっちゃうから。なるべく皆自然に接してね」
「わかりました」とリーベルト。
ユミルは依然、悲しそうに俯いたままだった。
「詳しい事は、また皆が全員集まったら。僕自身まだ情報を掴みきれてないから」とスニーピィ。
そうして、その話はそこで打ち切られた。
そこからは敢えてその話に触れようとする者は誰も居なかった。
皆が平然を装い、いつも通りの自然な自分を演じようとする。だが、それは明らかに、突きつけられた一つの悲報への動揺を隠せるものでは無かった。
来る者が居れば去る者も居る、そんな現実に今一エルツは理解が出来ない事があった。
この世界から、去る、その理由が分からないのだ。ここには、冒険者が求める理想で満たされている。そこはまさに理想郷と呼ぶに相応しい。ましてや、皆に愛されているオルガさんのような人物が、この世界に何を不満に思ったのか。その心は窺がい知れない。
エルツは今一度、今朝オルガが残してくれたあの優しい笑みを思い返していた。