序幕
晴れ渡った青空と澄んだ蒼海に挟まれ、心地よい汽笛の音と共に、今一行はこの名も無き島に別れを告げようとしていた。
二週間という短い期間ではあったものの、去るのは名残惜しい程のそんな感慨と併せて、一行は視界に揺らめき遠のいていく船着場にその眼差しを向けていた。
「イルカ島か……」
エルツのそんな呟きに、スウィフトもリンスもまたそれぞれの想いを胸に馳せていた。
そんな物思いに耽った一同の周りでユミルは一人残念そうに声を上げる。
「結局、エルツさん達以外誰も勧誘出来なかったな〜」
腕を頭上に組みながら、潮風に身を晒し呟くユミル。
この二週間、新規冒険者の勧誘行為にずっと勤しんでいたユミルだったが、結局誰も勧誘出来ずにその仕事を終えていた。
「ルーキーってあんま居ないんだ?」
「新しいID発行されるのって不定期だから、時には一ヶ月以上新しい冒険者が入ってこない時もあるし。今回は運が悪かったのかな」
そう言ってユミルは溜息をつく。
その言葉にエルツはふと甲板を見渡した。そこには麻布姿の冒険者の姿がチラホラ見受けられたからだ。
「あの人達って新しく入ってきた人じゃないの?」
その言葉にユミルはふと辺りを見渡す。
「え、ああ。うん、多分違うかな」
「何で?」
「多分、Lv確認すれば分かりますよ」
ユミルの言葉にエルツはPBを開く。
MapScanで周囲のLvを確認してみると、確かにそこには麻布に相応しくないLvが映し出されていた。
「Lv10以上の人ばっかだ。これってあの島でこんなLv上げられるの?」
「違いますよ。その人達は[レクシア]から来た人達なんですよ」
ユミルの言葉に一同はさらに当惑する。
「レクシアを経験した人達が、エルムに戻る事ってそう珍しくないんです。原点回帰って言うのかな。綺麗な場所も少なくないし、物価も安いし。中でも特製シチューは大人気で、それだけを食べに帰る人も少なくないんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
ユミルの言葉にエルツは納得すると同時に、一つ疑問が残った。
「え、じゃあ何で[初期装備]着てるの?」
「それはですね。これから皆さんも新大陸へ行けばわかると思いますけど」
ユミルはそう言って自らが羽織っている、新大陸の装備と見られる白と青を基調としたその色鮮やかな皮服を指差した。
「旅立ちの装備ってすごく軽くて、通気性もいいし普段過ごすにはとっても便利なんですよ。私が着てるこれなんかと比べると全然軽いですしね。だから、日常は敢えて旅立ちの装備に固めてる人って少なくないんですよ」
「なるほど、そういう事だったんだ」
エルツは改めて周囲の麻布の冒険者を見渡した。
「ね、皆さん。そんな事よりCREWS × CREWS[クルーズ・クルーズ]でランチにしませんか?」
「クルーズ・クルーズ?」
そう聞き返したエルツにユミルは満面の笑顔で答えた。
「船上レストランですよ。この船にはバイキングがついてるんです」
「へぇ、お洒落だな。行こうよ」とスウィフト。
「お腹すいた」とお腹をささえて呟くチョッパー。
そんな一同を見て、満面の笑顔でユミルは一同を手招きした。
旅客定員数三百三十四名を誇る定期船Marine Flower[マリーン・フラワー]号。その美しい外観から『海洋の花』とも謳われるこの船は一日に9便、エルムの村からレクシア大陸に存在する港町、スティアルーフに向けて出航している。エルツ達は昼前の午前の便で、エルムから旅立ったのだった。
エルムからスティアルーフまでは二十一時間の航路を要する。いわゆる旅船というものに乗ったのは現実でも一行にとって初めての者は少なくなかった。その初めての体験に心躍る一同。エルツもそんな興奮を隠し切れない乗船者の一人だった。
甲板から船の二階部分へと階段を上がると、そこには真白な机と椅子が並べられたオープンテラスが、その向こうにはガラス張りの涼しげなレストランの店内が見えた。
「ここ? うぉ、なんか緊張するな」
「何で緊張するんだよ、あ、ゲームばっかやってるからこういうお洒落な店入った事ないんだろエルツ」
スウィフトに図星を差されたエルツは、照れ笑いを見せる。そんな光景に一同は微笑みを浮かべながら、ガラス張りの店内へと入った。
受付には清潔感のある船乗服に身を包んだ女性がカウンターに佇んでいた。一行の姿を見ると女性はすっと立ち上がり、一同に礼をする。
「いらっしゃいませ」
「五名です」
と、ユミルが小慣れた様子で指を開いて女性に声を掛けた。
女性はそれを見て、礼儀正しい挨拶を返す。
「本日はBLUE LINESHIP[ブルー・ラインシップ]、CREWS × CREWS をご利用頂き誠に有難う御座います。只今、店内の方へ係りの者がご案内致しますのでこちらにご記帳の上、少々お待ち下さい」
「は〜い」
女性の言葉にユミルは元気良く答えると、記帳を始めた。それに続いて皆も記帳する。
「宿屋と同じ方式か。こういうアナログなとこ残ってるとちょっと安心するな」
エルツの言葉に、受付の女性は微笑みを漏らすのを見て、「彼、田舎者なんです。すいません」と笑いながらスウィフトがフォローにならないフォローを入れた。
それから、すぐに一行は係りの者に誘導され、ガラス張り近くの海が眺望できる席へと案内された。
「いい眺めだな」とスウィフトが純粋な感動を言葉にする。
ガラス越しに見える青空と海原の織り成す青のアートに、一同が見惚れていると早々にチョッパーがバイキングの方へ向って走り出した。
「あの年代は花より団子か」とエルツ。
「まあ、そうだよね。でもよっぽどお腹が空いてたんだな」
スウィフトの言葉に一同は微笑ましく、バイキングで忙しなく自らの器に料理をよそうチョッパーの姿を見つめる。
「さて、うちらもバイキングを満喫しますか」
楽しい船上のバイキング。真白な花弁のように美しいシーフラワーという海草のサラダ。エルム近海の特産であるスキュワ―レという体長一メートルにも及ぶ巨大な海老の姿蒸し。ピノと呼ばれる海底に生えるという茸を使った海の香り豊かなパスタ。そんな見た事もない海洋生物の料理の数々に、一同は舌鼓を打ちながら、船上のレストランを満喫していた。
「食事が終わったら三階の展望台へ行きましょう」
「いいね、最高のバカンスだな」
食事が終わった一同ユミルに展望台へと案内され、船の上からの眺望に心を癒される。
「この世界で船に乗れるのって、今のとこココだけなんですよね」とユミル。
「そうなんだ?」
心地よい潮風を感じながらエルツはユミルに聞き返す。
「向こうって大陸だから、陸続きなんです。だから、この船の旅ってとっても貴重なんですよ」
「そっか、それでエルムへ熟練した冒険者が戻ってくるのは、それも一つの理由になってるのかな」
エルツの言葉にユミルは微笑を浮かべて頷いた。
いつしか時を忘れ、楽しい時間はあっという間に過ぎ、辺りが赤焼けに染まってくると、一同は一階の船内へと戻る。
そこには真白な壁に、くり抜かれたアーチが五つ。そこには幾人もの冒険者が入っては通路の向こう側に見える同じ扉の向こうへと消えていく。その不思議な光景は既にエルムの宿屋で経験していたものだった。
「ここから皆さん自分の部屋へ行けますよ。あ、部屋代は乗船代に既に含まれてますからご心配無く」
そう言ってユミルは通路へと足を進め振り向いた。
「それじゃ、皆さんまた後で」
通路の向こう側へ消えていくユミルの姿を見つめながら、エルツ達もまた通路へと足を向ける。ざわざわとした船内の話し声や足音が、いつしか波の音へと変わってゆく。そんな不思議な感覚に驚かなくなったのもこの世界に馴染んできた証拠なのかもしれない。
真白な通路の先にある淡いブルーの扉に手を掛ける。
扉の先の個室は、エルムの宿屋と似たものだった。柔らかな寝台に、真白なテーブルと椅子が一対。船室に取り付けられた窓からは、広大な海原が望めるようだった。
おそらく、皆もこの景色を眺めているのだろう。それも当初は不思議な出来事だったが、今となっては当たり前の事となりつつあった。
「ちょっとやそっとの事じゃもう驚かないって」
エルツがそんな事を呟きながら窓に近寄っていく。
「……ぬぉ!! 何だあれ!?」
窓に映った光景に早速驚きの声を漏らすエルツ。そこには赤焼けの海の浮かぶ体長五メートル以上はあるかと思われる巨大な亀の姿が映っていた。ただあまりのその迫力と存在感に言葉を失う。その亀の名がLand Turtle[ランド・タートル]だと、エルツは後に知る事になる。
そんな、新鮮な感動は、新大陸に行けば無限の感動となってその身に降り注ぐだろうと、そんな妄想にエルツは夢を膨らませる。未だ見ぬ新大陸、そこにはどんな世界が待ち受けているのか。
そうして、興奮の醒めやらぬ内に夜が訪れた。
「レクシアか・・・」と、一人呟くエルツ。
明日の朝になれば、世界の姿は変わっているのだ。
今夜はいい夢が見れそうだ。
そうして、エルツは瞳を閉じた。
海洋で見る夢。真白なそのキャンパスは希望という彩りに今溢れてゆく。
窓の外の夜海では小さなプランクトン達が鮮やかな光を放ち、その夢路に花を添えていた。