S26 エルツからの報告
楽しい時はあっという間に過ぎ去る。
打ち上げも終盤に差し掛かると、そのあまりの時間の短さに皆が若干の寂しさを募らせていたその時だった。
ふと片付けを始めようと皆が腰を上げたその時、ある人物から皆に声が掛けられた。
皆に笑顔を見せる人物、献身的にこのイベントに誰より励んできたその人物はエルツに他ならなかった。
「すみません、皆さんちょっとだけお時間いいですか。ちょっとした報告があるので」
「何です報告って。また何か驚かせてくれるんですか?」
笑顔でそう語り掛けるのはリーベルトだった。
隣では酔いに頬を紅潮させ微笑むフランクとユミルの姿。
「もうちょっとやそっとじゃ俺達も驚きませんよ。エルツさんのサプライズには馴れてきましたからね」
「そうですよ。今度は何を企んでるんですか」
フランクとユミルの言葉にエルツはただ無言で優しい笑みを返していた。
エルツに集められた一同は、一つのブルーシートに皆横たわるように座り込む。
「ウィル寝るなよ。お前邪魔だから」とシュラク。
「お腹いっぱい、夢いっぱい! くらえ、鼻からサンダーロケット発射!」
暴れるにウィルにシュラクが「お前意味わかんねぇんだよ」と切れ、周囲が二人を宥める中、エルツは皆が座るブルーシートの前に一人向かい合うように立ち上がる。
「ほら、お前等静かにしろ」
ドナテロのさり気無いフォローにエルツは頭を下げて丁寧に辞儀をする。
皆の視線がエルツに注がれる中、静かに言葉を紡ぎ始めるエルツ。
「楽しい宴をありがとうございました。最後に一つ申し訳ないのですが、ちょっとした報告をさせて下さい。内容は酷く個人的なものなんですが、やはり皆さんにはしっかりとお話しておきたかったので。この話はまだほとんどの人は知らないと思います。なので、楽しい宴の最後に驚かせてしまう人も居るかもしれませんが、最後まで話を聞いて頂けると嬉しいです」
「何だよ勿体振りやがって。早く話せよ」
にやけながらそう野次を入れるケヴィンにポンキチが便乗する。
「誰と付き合う気だこの色男。誰と交際宣言してもこのポンキチ、許さないんだから!」
騒ぎ立てる二人に周囲に笑いが零れる中、静かにエルツはその事実を一言告げた。
「実は今回のこのイベントを以って、このゲームを引退させて頂く事になりました」
エルツのその言葉に周囲の笑いが止まる。
誰もがその言葉の意味を理解出来ずに居た。冗談めいたその空気に皆表情に薄笑いを浮かべながら、互いの表情を確認する。
「え……引退って? 誰が?」
エルツは静かにただ黙って「僕です」と呟いた。
その様子に先程も野次を入れていたケヴィンとポンキチがその表情を完全に引き攣らせる。
「冗談……だよな?」
ケヴィンの言葉にエルツはただ首を横に振る。
「皆に黙ってた事は本当に申し訳無く思ってる。ただ、もうこれはこの大会を始める前から決めていた事なんだ。誰にも話さなかったのは僕の独断です。皆にはこの大会を何も考えず心から楽しんで欲しかったから」
「お前ふざけんなよ!」
声を荒げて立ち上がったのはケヴィンだった。だが、同時にそこにはもう一人立ち上がった人物が居た。
「どうしてですか。何で急にそんな事!」
瞳に涙を溜めながらそう声を張り上げたのはユミルだった。
「お前、スウィフトに感化されたんじゃねぇだろうな。あいつにはちゃんと理由あったんだぞ。お前が辞める理由がどこにあんだよ!」
今にも胸倉を掴みにかかりそうなケヴィンを周囲が必死に抑えながら、エルツの言葉を待っていた。そんな静かにエルツに話の先を促すアリエス。
「エルツさん。理由があるんですよね。聞かせて下さい」
そのアリエスの真剣な表情に頷くエルツ。
そしてエルツはその理由を静かに語り始めた。
「これは僕の夢だったんです。ふわついた現実の中を生きていた僕にとって皆と過ごせるこの世界は何よりの理想だった」
皆が押し黙る中エルツは言葉を続ける。
「以前、うちのコミュニティのある方が引退された時に残された言葉があるんです」
――人は理想の世界では生きられない――
エルツの言葉をシンは黙って聞いていた。それは紛れも無く彼の戦友であるオルガが残した言葉だった。
「僕はあの時からずっとこの言葉の意味を考えていました。人が理想の世界では生きられないってどういう意味だろうって。理想の世界で生きられる程、この世の中で幸せな事って無いんじゃないかなって。事実、この世界は僕にとっては理想だった。だからこそ、僕はこの世界で存続する事を誰よりも望んでいた」
エルツの言葉に野次を挟む者などもはや誰も居なかった。
「けど、僕は親友に言われたんです。人が理想の世界で生きられないのはその通りだって。彼が僕に掛けてくれた言葉は、理想とは現実に生きているからこそ華やかに咲くんだって、そんな言葉でした。現実に生きていなかった僕にとって彼の言葉は何より身に沁みるようで、僕は今の今までずっとその言葉から逃げてきました。それは僕にとって『葛藤』なんて言葉では無くて、この世界に存続したいと願う事自体がただの『逃避』だったんです」
エルツの心からの想いに押し黙る一同。
「だけど、大切な親友達がこの世界を引退して僕はそこで初めて葛藤を覚えました。このままじゃいけないって。お前はお前の道極めろよ、って最後の最後まで自分の事を認めて旅立って行った仲間にこのままでは顔向けが出来ない。だから、自分自身と真剣に向き合おうってその時決心したんです」
エルツの言葉は皆の胸を刺すようだった。やりきれない生身の彼の気持ちが伝わってくる事に誰もがやるせなかった。
「お前の気持ちは分ったよ。だけどだからって辞める必要ないだろ」とケヴィンの言葉に頷くフランク。
「そうですよ。この世界に居ながらも現実と理想を両立させる事だってきっとエルツさんなら出来ますよ」
そんな皆の温かい笑顔で「ありがとう」と答えるエルツ。
ここでエルツはある報告を皆に告げた。
「実はD.C社にアシスタントプランナーとして就職する事になったんだ」
そのエルツの唐突な報告に驚きを隠さない一同。
「え、今なんつったお前!?」完全に立ち上がるケヴィン。
「ちょうど、D.C社で求人記事があったんだ。自分の履歴も少なからず活かせるだろうし、駄目元で応募してみたんだ。言葉の通り、またプランナー見習いとしてアルバイトとして一からやり直しだけど」
エルツの言葉に一気に表情が輝き始める一同。
「ってアシスタントプランナーって言ってもお前あのっていうかこのARCADIA作ってるD.C社だろ!?」
「運が良かったんだよ」
エルツの言葉にざわめき始める一同。
「実はこのD.C社の規定がちょっと特殊で、本来ならオンラインゲームって社員でも普通は参加出来るんだけど。ここの会社に限っては情報規制のために開発社員はゲームへの一般参加が認められていないんだ」
それこそが今回エルツが引退を迫られた原因に他ならなかった。
「ユーザーとしての道を歩むか、開発者として素晴らしい世界を提供することを選ぶか。その選択に悩んだ事は今に始まった事じゃないんだ。この二択は高校を卒業して就職進路を取った時点で既に僕は開発側に回りたいって答えを出してた。でも、実際は社会ってそんなに甘くなかった。社員自身が面白くもなんともないと思ってるゲームを一生懸命に書面見ながら議論したり、これから俺達は素晴らしいゲームを作るって、大々的に発表しながら、実際はそのジャンルを全くプレイしてなかったり、みなゲーム好きだという自負はあるから、人一倍プライドが高い人達が集まり易い職場なだけに、互いに人の尊厳を時に傷つけ合ったりね、エンターテインメントを実際に作るときってさ。僕はこういう人達はきっとこういうコンセプトを面白いと思うはずだよ、って確証持って言える人いないと思うんだ。だってさ、結局それって仮説だから。本当にこれは面白いよ、ってその言葉が真実性を持つときってさ、主観で語るときでしょ。簡単なようで、こんな簡単なことができない人が凄く多い。場合によっては主観を否定する人も居るしね。何でって、何で自分が感じたことを否定されなきゃいけないの、って、そんな想いから、一時期業界から身を引いてた時期があったんだ」
「でもさ、この世の中の多くは理不尽さを含んでるし、皆ぶつかりながら死に物狂いでこんなにも素晴らしいものを作ってる人達も居る。正直、自分はただの負け犬だったんだ。逃げてるばかりじゃ何も生まれない。この世界は僕にとって本当に居心地がいいし、本当ならもっと皆とこの世界を通して色々な体験をしたい。でもさ、それじゃ、ダメなんだよ。僕自身が前に進めない。ここ数ヶ月、ずっと前に進む方法をずっと考えてた。これは僕の一つの結論なんだ。僕の今の望みは、僕だけじゃなくて、この世界が皆にとっての理想郷となれるように、この世界を素晴らしいものにしたい」
そう言ってエルツは言葉にならない表情で俯く。
「こんな世界を、こんな理想の世界を自分達が形作ってゆけるなんて。それこそ僕の理想だから。これが……僕の夢なんだ」
今目の前の青年は、いや皆の視界の中に映る大切な仲間は夢の第一歩を踏み出そうとしている。
それは誰にも責められるような内容では無い。むしろ仲間としては笑顔で送り出すところだった。
だが、そんな中でも涙を隠しきれない者は居た。「いやだ、いやだ」と泣き崩れるユミルを必死に宥めるミサとペルシア。
そんなユミルをエルツは申し訳無さそうに見つめる。だがその表情はとても優しいものだった。
「ユミル……ごめん」
それはエルツからの精一杯の言葉だった。彼女の気持ちを知っていた彼が今掛けられる精一杯の言葉だった。その言葉を受けて完全に泣き崩れ蹲るユミル。
「女泣かせやがって。こうまでしたんだ。絶対上り詰めろよ」
ケヴィンのその熱い言葉にしっかりと頷くエルツ。
「ああ、約束するよ」
エルツのその言葉に皆が優しい笑みを浮かべる瞬間。
そんな様子を見つめていたシンがここでエルツに言葉を掛ける。
「いつか君が企画したコンテンツがこの世界で楽しめる日が来る事を心待ちにしよう」
「最高じゃないかね。まさかうちのコミュニティからこのゲームの開発者が出るなんて」
コッペルの言葉に頷く一同。
「お兄様、もし出来たら開発側の情報こっちに回して下さいね」
「できるわけないでしょそんな事」
ポンキチにペルシアが突っ込んだところで皆が元の微笑みを取り戻し始める。
そんな彼らの前で立ち上がったのはスニーピィだった。
「エルツ、僕達は絶対忘れないからさ。この世界に居る限り。シンさんも言ってたけどいつかエルツの企画したコンテンツをプレイ出来る事を楽しみしてるから。ただ残念なのは、エルツは僕達の事忘れちゃうんだよねきっと。エルツにそんな意志は無くてもさ」
スニーピィの言葉に俯く一同。
この世界からログアウトすれば、その記憶のほぼ全てを忘れてしまう。それはこの世界の大原則だった。
エルツが皆との思い出を覚えている可能性はまず無い。
「確かに、僕はここでの生活を忘れてしまうかもしれません。だけど、僕がここで皆と一緒に生活したのは紛れも無い事実だから。記憶に残らないなら、この魂に刻ませて貰います」
エルツの笑顔に微笑み返すスニーピィ。
「あ、そうだ所持金と賞金は既にドナテロさんに全て渡してあるので」
エルツの言葉に皆がドナテロに視線を向ける。
「何だその目はお前ら。大丈夫だよちゃんと分配するから」
ドナテロはそう言ってエルツの元へ歩み寄るとその肩を叩き、手を差し延べる。
「頑張れよ。応援してるからな」
「ありがとうございます……ドナテロさん」
エルツの報告は酷く衝撃的な内容だったが、一同はいつしか充実した表情を浮かべつつあった。
内容がショックだったのか、先程までふざけていたウィルは大泣きして喚いていたがエルツは彼を宥めながら皆に最後の挨拶を交わしていた。
正真正銘、エルツにとってはこれが最後になる。エルツは握手を求めてくる皆一人一人の表情をその瞳に焼き付けていた。
このコミュニティ対抗試合も皆との最後の思い出作りのために彼が企画したものだった。
――僕の物語は……ここまでだ――
本当に楽しかった。この世界で皆と過ごしたこの日々はかけがえのない宝物だ。
それはエルツの心からの本心だった。出来ればそんな大切な仲間達と涙の別れなどはしたくない。最後まで自然に、一人の仲間として皆の中から旅立ちたい。そんなエルツの想いを口に出されるまでも無く皆は受け入れていた。
「違うだろエルツ」
ドナテロの言葉にエルツはふと顔を上げた
「お前の物語は・・・ここからだ」
仲間達から掛けられる温かい言葉の数々。
視界の中で立ち昇る光、皆に見つめられる中、その日エルツは解約のボタンをクリックした。
――さようなら、皆――
言葉にならないエルツのその想いは皆に届いただろうか。
最後の最後までエルツは自然を装っていた。その内側では溢れ出そうな涙を必死にこらえながら。本当は皆と別れたくない。出来る事ならばずっと皆とこの世界で過ごしていたい。
――だけど、それはできない――
その決定をしたのは誰でもない。エルツ本人なのだ。
その日、打ち上げの片付けを最後まで手伝ったエルツは皆が見つめる中、光の粒子となって空へと舞い上がって行った。彼らしいさっぱりとした別れ方だった。本来ならばその別れは酷く辛いものだが、エルツが笑顔で旅立った後に皆の中に残された感情はとても前向きなものだった。彼が皆に残した最後の言葉。それは酷くありきたりな言葉だったが、それは彼の想いの全てを集約していた。
――皆、今まで本当にありがとう――
空に上がった軌跡は永遠では無い。
それは僅かな時間で消えてしまう。だが、その場に居た誰もが目を背ける事は無かった。
大切な仲間の旅立ち。彼らの間を繋げていたのは儚いただの淡い夢だったのだろうか。そんな疑問に旅立っていったエルツは既にその答えを口にしていた。
エルツが最後の言葉として締めくくったその言葉には続きがあった。今仲間達の頭の中で繰り返されるその言葉は……
――思い出よ、永遠に――
それは紛れも無く。
ここARCADIA[理想郷]で過ごした仲間達に贈られた言葉だった。
[2008年 作者コメント]
■作者より読者の皆様に感謝の意を込めて
夢絆、エルツ達がこの世界で育んだ関係はただの夢や幻だったのでしょうか。皆さんの目にはどう映ったでしょうか。
さて約一年という歳月を掛けて作った作品には私にも色々と思い入れがあります。ですが、そんな想い入れより何よりまず申し上げたいのは読者の皆様への感謝です。ここまでお付き合い下さり本当にありがとうございました。正直、私一人ではこの作品は到底完成し得ませんでした。この作品を読み、支えてくださった読者の皆様が居たからこそ完成させる事が出来たというのが本音です。特に作品の初期から支えてくださった読者の皆様、又データ提供に精力的に協力下さった方々本当にありがとうございます。執筆中にも様々な障害や苦悩はありましたが振り返ってみれば充実した一年でした。それもこれも本当に読者の皆様のお力添えがあったからだと思います。
最後になりますが、本作にお付き合い下さり本当にありがとうございました。
皆様に心からの感謝の意を込めて、本文を以って末筆とさせて頂きます〆
[2016年 作者コメント]
8年という長い時間が立ちました、
改めて自分の作品を振り返ってみて、今自分がどう感じるか。それは内緒にしておきたいと想います(笑)
ただ、やはりARCADIAという世界を現したこの初めての作品は自分にとってはとても想い入れの深い作品だということを改めて感じています
時間を見繕いながら、また手付かずで放置されているARCADIA ver2.00 や World Creation Online も、改稿していきたいと想います
ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございました