S17 Bブロック大将戦
Bブロックの次鋒戦を終えたこの時点で、戦況はTIFFANYのニ勝。BLOODY MARYとしては非常に苦しい立場に立たされていた。もし、次の中堅戦で負ければ強制的にそこでBLOODY MARYの敗北が決まる。その事態を恐れたBLOODY MARY陣営からここで一つ提案が出された。
それは組み合わせの入れ替えである。三戦目である中堅戦をBLOODY MARYが落とした場合、既に二敗している彼等はこの大会での敗北が自動的に決定する。BLOODY MARY陣営としては大将戦を強く望んでいるチームリーダーのジュダに戦順を回したいという意向があった。故に三戦目である次戦を大将戦にしないかという提案を申し入れたのだった。これに対するTIFFANYの反応は快諾だった。何故ならば大将戦に控えるTIFFANY陣営の出場枠には紛れも無いあの人物が存在したからだ。
その組み合わせの変更がエルツのアナウンスによって読み上げられると、会場からは一気に歓声が巻き起こった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■Bブロック大将戦
▼BLOODY MARY
Judah<ジュダ>Lv20 マジシャン
<<<VS>>>
▼TIFFANY
Vanilla<ヴァニラ> Lv25 フリークラス
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
会場に一斉に巻き起こる歓声。その歓声は他でも無い、TIFFANYが誇るあのヴァニラへ向けられたものだった。観客の視線が彼女に釘付けになる中、エルツもまた試合場でジュダと間近で向かい合った彼女のその容姿に動揺を隠し切れなかった。
双華祭の浴衣ショーの際に見た彼女の姿からは、あの時は夜という事もあったせいか彼女の容姿の特徴としてその事実に気付かなかった。だが、間近で彼女を前にするとその美しい白肌がまず目に付く。その白肌を引き立たせるように背中に長く流された艶やかな黒髪。日本人離れした体躯とその美しい顔立ちはどこか西洋諸国の流れを感じさせる。
片手にはクレスレットランスと呼ばれる白鋼の槍、防具もまたクレスレット鉱石と呼ばれる白鋼石を精錬した軽鎧に身を包んだその姿は、白と黒のコントラストが美しい印象的な姿だった。
切れ長のヴァニラの鋭い瞳がふとエルツへと向けられる。そんな視線に促されてようやくエルツは自らの仕事を思い出した。
「それではこれより予選Bブロック大将戦を行わせて頂きます。両者、礼」
緊張したエルツの言葉と共に丁寧に辞儀をする両者。
この試合を待ち侘びていたジュダのその想いを読み取ったのか、ヴァニラは彼の表情を見て微笑する。
「お手柔らかに、という訳には行きそうもないな」
ヴァニラの言葉にジュダはその口元を歪ませる。
「別に手抜かれるのは構わないが。あんたの名誉のためにも負けた時の言い訳は少しでも減らしといた方がいいんじゃないか」
挑発的なジュダの言葉に微笑するヴァニラ。
二人の間に会話はそれだけだった。
「それでは、両者構えて」
エルツの言葉に会場が静まり返る。
両コミュニティの威信を賭けたこの大将戦。一体どんな勝負が展開されるのか。
「始め!」
エルツの掛け声と共に、展開する両者。
距離を取ったジュダがまず黄色の鉱石のついたロッドを振り翳す。ロッドの先端に電流が迸り渦を巻くと、そこには一つの雷球が生成される。
ジュダが手にしているのはサンダーロッドの上位であるサンダーロッドII。
設置した雷球を前にジュダは一歩下がり、対戦者の様子を窺がうその姿からおそらくジュダが取ろうとしている戦法はあのMagician of Yellowの立ち回りである。
予め設置した雷球を前にする事で、接近者に対して不自由な二択を選択させる。どちらに飛び込んでもリンクした電流を避け切る事は非常に難しいカウンター戦法だ。
当然、対戦者のヴァニラにはそんな事は百も承知だろう。ジュダの立ち回りを前に槍を構えたまま静観するヴァニラ。
そして雷球の消滅時間に合わせて前進を始めた彼女の動きに目を走らせるジュダ。
だが、その動きを牽制するように雷球が消滅する前に次のサンダーボルトを発動させるジュダ。その動きを前にヴァニラが再び足を止める。
近接攻撃を主力とするソルジャーに対して、ジュダが取っている戦法は一見有効に見えるが、これには大きな問題がある。その一つがジュダが取っている戦法はあくまでカウンターを目的としたものであるという事。当然だがカウンターとは相手が攻めてくる事で初めて成立する。相手が今のように待ちの状態に入ればそれはただの均衡である。だが、これはただの均衡には成り得ない。それは何故か。それが第二の問題である消費SPである。雷球の設置にはSPを消費する事になる。設置してから約ニ十秒間で雷球が自動消滅する事を考えると、相手が待ちに入れば牽制のための雷球の張替えによってただただSPを消費する事になる。そしてマジシャンにとってはSPが生命線である事を考えると、それが長引き無造作にSPを消費する事は得策では無い。この数十秒のやりとりからジュダは戦法の変更を余儀なくされていた。それはヴァニラからの無言の挑発なのか。
「接近戦か。望むところだ」
そう呟いたジュダはそれを契機に一気にヴァニラ目掛けて走り出す。
手に構えた黄鉱石のロッドで殴り掛かるかのように猛ったジュダ。対して彼のその動きに合わせて間合いを詰め行くヴァニラ。両者が残り三メートルに接近した所で再びジュダが今度は発現させていた雷球を今度は前方に向かって弾き飛ばす。
弾き飛ばされた雷球に対してサイドステップしたヴァニラの動きを見て間髪入れず、一歩踏み込みながらジュダは次弾を初撃との間に彼女を挟みこむように斜めに解き放つ。
「さあ、どう出る」
ジュダの掛け声にも動揺せずヴァニラは冷静に迫り来る電流のリンクに対して軌跡とは逆方向へバックステップを行う。その動きに顔を顰めるジュダ。
完全に攻撃を見切られたジュダはいったん距離を取るため背を向け後方へ走り出す。勝負の合間に敵に背を向ける事はたとえどんな状況でも最も愚かな行為である。だが、この時ジュダには一つの思惑があった。敢えて雷球を腰元より高めに配置したのも、背を向け逃げ出したのもそれは敵を設置したリンクラインの手前側に誘き寄せるため。
そしてLv20であるジュダが可能であるフロート数が『3』である事を考えると、この一瞬で彼が作り出したその戦略の形が朧気ながら見えてくる。
リンクラインの手前側に誘き寄せた相手に対して、今ここでジュダがサンダーボルトを発動すると一体どんな現象が起こるのか。それは単純な図形学である。サンダーボルトという特質上、雷球が一つではそれはただの『点』である。ではそれが二つになればどうか。それは既知の通り電流のリンクにより一つの『線』となる。ではそこにもう一つ三点が相関する点置いたら? そう、三点が互いに干渉し合える距離を取った時そのラインは線では無く『面』となる。これこそがサンダーボルトの本領なのだ。
ジュダが張ったこの罠に対して、ヴァニラが一歩でもリンクラインの手前側に踏み込めば、そこでダメージが確定する。その瞬間的なやり取りの中で並のプレイヤーならばリンクラインを潜りジュダを追い駆けそうなこの間の中、ヴァニラは微動だにせず状況を静観していた。その相手の冷静さにジュダの口元が思わず歪む。
「冷静だな。あの高名なヴァニラともあろう者が随分と慎重な戦い振りじゃないか」
今、ジュダに出来る事。それは相手を少しでも挑発して自らが戦いやすい環境を整える事。
「それとも、その高名はもしかしてそんな臆病な戦い振りで勝ち得たものなのか? だとしたら正直がっかりだ」
嘲笑を交えたジュダの台詞にもヴァニラのその無言の表情が崩れる事は無い。
鋭いその視線は一体何に向けられているのか。嘲笑を見せたジュダだが、実際彼にはそんな余裕は微塵も無い。
この時、追い詰められているのは彼の方であった。次第にそんな空気感に周囲も気づく事になる。無言のヴァニラの威圧感がじりじりと場を支配し始める。
雷球が消えると同時に一歩前に歩み寄ったそのヴァニラの足取りに、まるで身体を打ち震わせるかのように過剰な反応を見せるジュダ。
そのジュダの様子にここで初めてヴァニラが微笑みを見せた。
「散り際の花程、美しく咲くんだ」
その言葉にジュダが鋭い眼差しを返す。
散り際の花という表現が彼のプライドを刺激する。一体その言葉は誰に向けられたものなのか。
「最後に意志を聞いておきたい。続けるか?」
ヴァニラが試合中に初めて見せた感情のこもった言葉。
それは彼女にとって、ジュダに恥を欠かせないための最大限の配慮だった。
まだ圧倒的な実力差は試合中には現れていない。だが気付く者は気付いている。ここまでの立ち回りの中から何より底の知れない力の片鱗が見え始めている。
それに何より最初に気付いたのはジュダ自身であった。ここに来た以上、ジュダは勝つためのシミュレートを何十通りも行ってきた。だが、そのパターンの全てを試すまでも無くおそらく彼女にその全てが通用しないであろうという事に彼は気付いてしまった。
もし、ここで引き返す事が出来るのならば大衆の面前で完全な敗北という形を見せる事無く綺麗に試合から降りる事が出来るかもしれない。試合中の両者の間で行われた心理的なやりとりも、観客の多くには恐らく熟練者の高度な駆け引きによる敗北だという認識で済むかもしれない。
そんな選択肢を浮かべたジュダの返答をただ静かに待つヴァニラ。
「散り際の花か。言ってくれたもんだな」
ジュダは心の中で葛藤していた。仮にも彼はこのBLOODY MARYというコミュニティの大将を任された立場である。想像以上の実力差は時間が立てば立つほど、それは埋めようの無いプレッシャーとなり襲い掛かってくる。勝つ事は至難、その状況で相手は綺麗に身を引く方法を示唆してきた。後はプライドの問題である。
「気遣いには感謝しよう。だが一つ忠告させてくれ」
この試合に掛けてきた仲間達の想いも当然ある。だが何より真剣勝負の世界で大将として敵から情けを掛けられている自分が何よりも不様だった。
もはや理屈では無い。これはジュダ自身のプライドの問題だ。抑えていた感情が次第に彼の中に込み上げ、その想いが言葉となる。
ジュダは真っ直ぐにヴァニラへと視線を向け次の一言を言い放つ。
「俺を舐めるな」
その瞬間、ジュダは手にしていたロッドを大きく振り上げる。
それは雷属性サンダーボルトの上位魔法の合図。ロッドの先端に集まった電流が渦を巻き迸る。電撃を散らすロッドを振り上げたジュダが声高らかに叫んだ。
「Spark<スパーク>!」
ジュダの掛け声と共に前方三方向に向かって解き放たれた地を這う電流。高さ二メートル程の大きな電気の渦を立ち昇らせながら、左右に不規則に振れながらヴァニラへと迫る。
観客からはこの時大きなどよめきが起こっていた。雷属性の魔法はただでさえ使い手が少なくなかなかこのスパークという技を目にする機会は少ない。
それだけにこのスパークという技に対する分析も一般的にはあまり進んでいないのが現状である。
外野ではポンキチが腕を振り上げて懸命に叫んでいた。
「当たっちまえ!」
願わくば、とジュダもそんな甘い考えに縋りたいところだったが、当然こんないわゆるぶっ放しが通用する相手では無い事は充分に理解していた。
だがそれでも、もはやジュダにはやるしかなかった。
そんな願いを込める中、彼の視界の中では不規則に迸る電流の合間を縫うように走る一つの影を捉えていた。
美しい白肌のその戦士は、今ゆっくりとジュダへとその身を寄せる。
これから何が起こるのか。ジュダの視界では全てがスローモーションのように流れていた。
目の前に立つ美しき戦士が今、白鋼の槍を構える。観客席では総立ちのプレーヤー達。その中には、しきりに何かを叫ぶポンキチの姿もあった。
ヴァニラが突き出した槍の一撃目を反射的にかわす。足元に突き出されたその突きを飛び上がる事で避けたジュダは目の前の美しき戦士の微笑を目にする。
何故、彼女は笑っているのか。そんな考えは過ぎる間も無く、ただジュダがこんな時にさえ彼女を目前にして感じてしまった事と言えば、それは微笑するその女戦士の美しさだった。
観客が息を呑む間も無く戦況を見守る中、ヴァニラは飛び上がったジュダの身体を掬い上げるように足元に突き出した槍を跳ね上げる。
同時に、上空目掛けて数メートル打ちあげられるジュダの身体。全てはまるでスローモーションのように。皆が打ちあげられたジュダの身体を追う中、ゆるやかに槍を構える女戦士が呟く。
「Crisis Harken<クライシスハーケン>」
エルツはその流れの全てを見ていた。
ただの足元への突きはSeesaw<シーソー>と呼ばれる槍技特有のノーダメージの浮かせ技への布石。そして、空中に舞い上げた相手に対して放つは槍技の中の現在での最高技。
浮かせ状態の敵に対して突きを成功した時に型が認識されるHarken Clice<ハーケンクライス>。そして敵の急所を突いた時に発現されるCrisis Flitz<クライシスフリッツ>。そしてこの二つが組み合わさった時に初めて成立する究極技こそがCrisis Harken<クライシスハーケン>。
まるで流れるような美しいその連続技。
白鋼の槍がジュダと交錯したその瞬間、観客席でポンキチが声を張り上げた。
「ジュダさん!!!」
会場の観客の多くが思わず目を伏せたその瞬間。
空中で強烈な突きを受けたジュダの身体が裕に十メートルを越えた距離を弾き飛ばされ観客席へと突っ込む。その事態に動揺した観客がジュダの落ちた箇所に空白の隙間を作り見守っていると、そこにBLOODY MARYの仲間達が駆け寄る。
「ジュダ!?」
駆け寄ったのはBLOODY MARYの団長ローズの姿。ジュダは場外へ弾き飛ばされたその衝撃で気を失っていた。
「衝撃による一時的な昏睡状態よ。陣営に運ぶわ。皆手貸しなさい」
ローズの指示に頷くBLOODY MARY一同。
あまりにも衝撃的な結末に躊躇う審判のエルツ。オートマタ戦の出会いから、今大会では精力的に大会準備に協力してくれたジュダ。
クールを装った彼の内面はユーモアも有り、いつもポンキチのつっこみ役として場を和ませてくれた。そんな兄貴分的な存在だった彼がこの大会に懸ける想いというのは、誰よりも大会主催者としてエルツが強く感じ取っていた。
――この人は本当にこの大会を心から望んでくれている――
そんなジュダの想いの中心にいた人物こそがヴァニラに他ならない。彼は何よりこの大会でヴァニラとの対戦を望んでいた。
元ヴァルキュリアの一員であった彼女に今の自分がどこまで通用するか試してみたい。
そんな彼の想いは普段は仲間内では冗談として流されていたが、試合が終わってしまった今だからこそ彼のその本当の想いが痛い程エルツに伝わってきていた。
勝負というものは時に残酷である。明確に区別される勝者と敗者。だが、審判という立場である以上、今ここでエルツには勝者の名前を宣言する義務がある。
衝撃的な結末にどよめき湧き立つ試合会場。そして、試合場には今高らかに勝者の名前が審判によって宣言された。