S16 Bブロック次鋒戦
Bブロック先鋒戦、その内容は初戦を飾るには相応しい攻防戦が展開された。
会場のどよめきは試合後だというにも関わらず辺りを包み込み、その様子からも先鋒戦のその内容がいかに白熱した内容であったかを物語っていた。
自らを神と名乗るキューブリック、その類稀なる戦闘能力とバトルスタイルは見る者を魅了した。そして一見穏やかでスローな口調で話すジュリアはその姿を仮初めとしてあのワンダーロッドという切り札を隠していた。
両者共にその高い戦闘能力を見せ付けた初戦によって会場のモチベーションが一気に底上げされる中、バトルエリアには両コミュニティから次戦に向けて両者がその姿を現していた。
そう出てきたのは他でも無い。その二人の姿にエルツは次鋒戦のアナウンスを始める。
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■Bブロック次鋒戦
▼BLOODY MARY
Ponkiti<ポンキチ>Lv10 ソルジャー
<<<VS>>>
▼TIFFANY
Pelsia<ペルシア> Lv10 ハンター
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試合場の中央で審判であるエルツを中心に向かい合う両者。
酸化鉄特有の赤味を帯びたアシッド装備に身を包んだポンキチは自らの脚の感触を確かめるように地面を踏みつけ飛び跳ねる。腰元のアシッド製のナイフを片手に見事な手捌きで振るうその様子に会場からは感嘆の声が上がっていた。
対するペルシアは美しい白羽に白と青を基調とした染色を施したコカトリス装備。背にはアシッドボウを背負った彼女もまた腰元にはアシッド製のナイフを備え付けていた。ポンキチとはまるで正反対に落ち着いた様子の彼女は弓の弦を絞りながら、その最終チェックに余念が無いようだった。
「さて、それじゃ二人共。準備はそろそろいいかな」
エルツの言葉に準備の手を止め向き直る両者。
予選Aブロックの次鋒戦とはまた雰囲気が違う。普段顔馴染みの彼等はいつもと変わらぬ表情を互いに見せるように努めているようだった。だが、その内に秘めた強い意志は隠せない。そんな気持ちを抑え切れなかったのか、闘いを前にしてポンキチがここで口を開いた。
「ペルには悪いが、この試合は全力で行かせてもらいますぜ」
その言葉に顔を上げ真っ直ぐにポンキチの表情を見つめ返すペルシア。
「正直、有り得ない事なんすよ。あのキューブが負けるなんて。あいつのギャグ要素は差し引いてもあいつは戦闘に関しては天才的だ。たとえ、ハンデ付けたとしても、あいつが負けるわけ無かった」
ポンキチの言葉をペルシアは黙って聞いていた。エルツもまたそんな二人の様子を黙って見つめていた。
「ですが、そのあいつを。あんたらは破った。この紛れも無い事実が何よりの警告だ。おいらはあんたらを過小評価しない。勿論その中にはペル。君も含まれてるんすよ」
ポンキチからの宣戦布告にペルシアは顔を伏せる。
その表情がエルツに試合開始の合図を出す事を一瞬躊躇わせた。何故ならペルシアの、彼女のその表情はどこか寂しそうに見えたからだ。
「それでは、予選Bブロック次鋒戦を開始します。両者、礼」
エルツの言葉に礼儀正しく礼をする二人。
二人が構えを取るのを確認すると、会場全体が静観する中、エルツは大きく掛け声を上げる。
「始め!」
エルツが掛け声を上げるや否や、間髪入れず瞬く間にペルシアに距離を詰めるポンキチ。
会場がそのポンキチの動きに驚嘆の声を漏らす。
完全に不意を突かれたペルシアが目前に迫ったポンキチの接近に当惑していたその直後、交錯する二人の姿。
「言ったはず。過小評価しないってね」
先手必勝。そう言わんばかりの気迫の篭ったポンキチのアシッドナイフがペルシアの胸に突き立てられる。
大量に舞い上がるLEの光を前に会場からどよめきが上がると、そこでペルシアは膝を崩す。不意を突かれたとは言え、ポンキチの全力の急所攻撃、短剣WA『Stinger Bite<スティンガーバイト>』を受けたペルシアは苦しそうな表情でポンキチを見上げる。
心臓部に突き立てた刃を引いたポンキチは、次の一撃を加えるために再び短剣を振り翳す。
「……ポン」
思わず呟きを漏らしたペルシアの呼び掛けも虚しく、ポンキチの刃が再び彼女の腹部を捉える。
その攻撃を受けて地面に倒れるペルシア。だが容赦無く再び攻撃を仕掛けようと歩み寄るポンキチ。
「倒れるのは結構なんすが、一点腑に落ちないな。ペル、まさか仲間だからおいらが攻撃遠慮すると思ってるんすか」
ポンキチの言葉に明らかな動揺を見せるペルシア。
今の今まで彼女は懸念していた点をポンキチに指摘されてしまった。今までも遊びでPvPを仲間内で行った事はある。けれどもそれはあくまでも遊びの範囲内。全力で仲間と真剣勝負を行うなど、彼女の中ではどうしても抵抗を隠せなかった。そして、ペルシアにはこの試合において、心のどこかできっとポンキチは手加減をしてくれると、そう思っていた。
そんなペルシアの様子にポンキチは掲げていたナイフをふと下げる。そして一言呟いた。
「なんか、がっかりだな」
そんなポンキチの何気ない一言がその時のペルシアのとっては何よりも胸に突き刺さった。
ポンキチにとってはこの試合はコミュニティ同士が威信を掛けて争う重要な試合だ。今までエルツと会議を交わしてきた中で、彼にとって始めはお遊び程度に考えていたこの企画はいつしか大切な認識へと移り替わっていた。
「闘う意志が無いなら負けを宣言して貰えませんか。おいらとしても、無抵抗な女子を攻撃するのは気が引けるんすよ。ましてや他でも無い。今までずっと共に戦ってきた仲間なら尚更だ」
ポンキチの言葉に静まり返る会場。
一同は蹲り項垂れたそんなペルシアの姿をじっと見つめていた。
観客の視線が集まる中、静かに口を開くペルシア。
「私は……」
ペルシアがふと自陣に視線を流すとそこには真っ直ぐに彼女を見つめ返すコミュニティメンバーの姿が映った。その中ではリーシャンテ、その傍らではヴァニラがじっと彼女に視線を投げていた。そんな彼女達の瞳が無言で訴え掛ける。
そんな仲間達の視線を浴びながら今ゆっくりと立ち上がるペルシアの様子にポンキチはアシッドナイフを片手に微笑む。
「なんだ、答えは決まってるんじゃないすか。それならやるべき事だって分かる筈だ」
ポンキチの言葉にペルシアの瞳にその苦悩が浮ぶ。
「おいらがこの試合で求めているのは、ペル。君との全力勝負なんすよ。仲間だからこそ、今はペルと全力で勝負したい。この気持ち分かって貰えないすかね。おいらが男だからなのかこれって」
ポンキチがふと試合中に見せたそんな優しい呟きにペルシアの表情から緊張や苦悩の色が次第に解けて行く。
「仲間だからこそ……全力で」
ポンキチの言葉をなぞるように呟いたペルシアは立ち上がり弓を構える。
彼女の表情に宿り始めた強い意志。仲間達の想いが彼女を後押ししたのか、それともポンキチの言葉がそうさせたのか。あるいはその両方か。
どちらにせよ、彼女のその表情に浮んでいたその数分前までの苦悩の色は薄れていた。それは彼女の中でそうした悩みが消えた訳で無い。
ただ彼女は自分の気持ちに素直過ぎた。彼女は一人で闘っている訳では無い。このコミュニティ対抗試合というイベントにおいて、仲間達とは誓った想いがある。そしてそれは対戦者も同じなのだ。
真剣勝負でたとえ本意ではなくとも手を抜く事は、仲間に対しても相手に対しても失礼な行為だと、彼女はそんな気持ちから今は周りの想いに精一杯応えようとしていた。
そして何より……。
「ペルシア……参ります」
その彼女の瞳の輝きにポンキチもまた手にしていた短剣をペルシアに向け構える。
ここで試合が動き始める。ペルシアの掛け声と共に、彼女の手から放たれた矢がポンキチの頬を掠める。
その様子に会場から驚きの声が上がる。
何故、驚きの声が上がったのか。それは彼女の気持ちの変化によって初めて見せられた彼女の本領。その真価は何より対戦しているポンキチが理解していた。彼はその攻撃を前に動かなかったのでは無い。
外野のAlchemistsの陣営ではそのペルシアの動きに釘付けになっていた。
「モーションが早い」
フォーカスの呟きに皆が視線を彼女へと集める。
「何だ今の撃ち方……あんな撃ち方見た事無い」
驚きを隠さないレオの言葉に一同が再び試合へと目を戻す。
そこでは弓の有効射程である五メートルを裕に越えた位置からペルシアの攻撃をその身に受け崩れるポンキチの姿があった。
地に片膝を着けながらポンキチは焦っていた。何故攻撃が避けられないのか。それは紛れも無くペルシアのその撃ち方にある。
通常弓は弦を「引く」「狙う」「放つ」というこの行程を踏まえて初めて攻撃として成立する。この中で「引く」と「放つ」という行為は人によってそう変わる所では無い。ペルシアがその変化を見せたのは残る「狙う」という行程においてである。
弓を扱う者にとって、基本的にはこの「狙う」という行為は非常に重要なプロセスとなる。相手に対してより正確な射撃をする上では、この「狙う」というプロセスによってその正確性が高められる。そして対象に狙いを定めるこの「狙う」時間こそハンターにとってプレイヤースキルが強く反映される要素なのだ。
ペルシアの射撃を前にポンキチは今ただ一つの事を考えていた。それは……
――構えた瞬間、矢が飛んできた――
そう、それが今の攻撃を避けられなかった最大の理由。通常、少なくとも今までポンキチが相対してきた弓を扱う者には必ず狙う時間が存在した。そう、俗に言う静止時間である。だが今のペルシアにはそれが無い。いや、正確には僅かには存在するが、その時間が限りなく零に近い。それが、構えた瞬間に飛んでくる矢の正体だった。
単純に言語化するならばその対策は構えた瞬間に身をかわせばいい。だが事態はそう簡単でも無い。まず一連の動きのある所作の中で、これを実行された場合、途端にその回避は困難になる。何故ならばいつ矢が放たれるか、その予測が限りなく難しいからだ。常に避け続けるという動作が可能ならば、対策も立つかもしれない。だが少しでも考えればそれは到底不可能だと気付く事になる。
そして、悩めば悩むほど自然と受け手の硬直時間は増えていく。そんな悪循環にポンキチは完全に嵌まっていた。
相対するペルシアの目は先程までの輝きを失った眼とはまるで違う。今、その才気溢れるその攻撃を仕掛けてきている彼女はまるで同一人物とは思えないほど活きた立ち回りを見せていた。
そんなペルシアの攻撃を受けながら、その時ポンキチは自然と笑みを零していた。
ポンキチのその微笑みに気付いたペルシアがふとその手を止める。
「何がおかしいの」
ペルシアの問掛けに不敵な微笑を崩さぬまま首を横に振るポンキチ。
そうしてポンキチは自分自身を戒めるように視線を下げ俯いた。
「始めに宣言したんですけどね。おいらはあんたらを、いやペル。君を過小評価しないって。自己矛盾って奴で。自分でも笑えますぜ」
相手がペルシアならなんとかなるかもしれない、心のどこかでそんな甘い考えを持っていた自分自身の甘い考え。口では偉そうな事を言った反面、本当に相手に対して失礼なのはどちらだったのか、ポンキチが笑ったのはそんな自分自身に嫌気が差してのものだった。
そんなポンキチの様子をペルシアはただ黙って見つめていた。彼女の視界の中で徐にPBを開くポンキチ。
「どうやら、勘違いしてたのは自分だったみたいだ。ここからは文字通り死に物狂いの闘い。格好つける気も無い。泥臭くても構わない」
ポンキチのその言葉からは普段彼が見せるその冗長な語り口は消えていた。
一呼吸置いたポンキチは真っ直ぐにペルシアを見つめながら一言告げた。
「ペル……君に勝つためなら」
ポンキチのその言葉は相対するペルシアに対して向けた心からの謝罪を含んでいた。同時にそれはポンキチがこの試合で思い直した彼女に対する最大の礼儀でもあった。
自分の言葉に全力で応えてくれたペルシアに対して、思い上がっていた自らの傲慢さを戒める。この試合で彼女が見せた全力を前に、その実力差はポンキチ自身が何より理解していた。格好良く勝つ、そんな自らの甘い考えが在った事自体、それはペルシアに対する何よりの侮辱であった。泥臭くても構わない、その言葉はここからは挑戦者として死に物狂いで立ち向かわせて貰うという、そんな彼の意志表示であった。
その言葉に構えていた弓を下げ、じっとポンキチを見つめ返すペルシア。
ペルシアの瞳の中では、光の中に包まれるポンキチの姿が在った。
その光の中に装備が消えて行く。装備していたアシッド装備を脱ぎ捨て、下着姿に旅人のズボンというその軽装姿に観客達が声を上げる。
「装備を外した。勝負を捨てたのか」
そんな観客のどよめきの中、審判のエルツはポンキチのその表情をしっかりと見つめていた。その表情を見れば、彼が勝負を捨てたのか。そんな事は一目瞭然だった。
装備を着直したポンキチは軽くなった身体の感触を確かめるようにペルシアに向き直る。
「ペル、行きますぜ」
ふわつき浮いたポンキチのいつもの口調が完全に消えたその瞬間。真剣な彼の眼差しにペルシアが弓を構えると同時、会場からは大きくどよめきが上がった。
ペルシアが矢を放つ同時に見せたポンキチの咄嗟の行動。
身体をまるで振り子のように、左右に揺さぶるその独特な動き。装備を全て取り払った事で可能となったそのポンキチの行動に会場が驚きの声を漏らす。
「Pendulum Motionだ」
会場の誰かが叫ぶと同時に、皆がその言葉をなぞり始める。Pendulum Motionというその聞き慣れない単語に皆が騒ぎ始める中、エルツは頭の中でその単語を思索していた。
Pendulumとは『振り子』を意味する単語である。つまり直訳すればPendulum Motionとは『振り子運動』という事になる。
身体を左右に大きく揺さぶるその独特な動きは、現代ではボクシングから発展した技術とされている。ボクシングではRollと呼ばれる過去の遺産とも言える技術であったが、その本来の動きは下半身を支軸に上半身を左右に振り続け、身体が戻るその反動を利用して打撃を叩き込むという特殊な動きである。
だがその欠点は左右に身体を振る際のテンポの取り方から相手にその動きを読まれ易く、歴史の中では自然淘汰されてしまった技術の一つである。そんな失われた技術を現代で見直され甦ったのがこのPendulum Motionという技術である。一括りに『振り子運動』と呼ばれたこの技術は現代ではその内容は非常に広義で、この中でもその動きは様々に派生している。
下半身を支軸に上半身のみを振る運動から、そこにステップを交え全身運動に及ぶものまで。ポンキチが今見せた動きはその後者である。
本来、規則的な運動を基本としたこのPendulum Motionの中でもポンキチが見せたその動きは特殊なものだった。何故なら、彼の動きはその独特なステップによって変幻自在の緩急が付けられ不規則な運動を見せていた。
それは意識的になのか、それとも無意識的になのか。ポンキチが到底そういったPendulum Motionの基礎を踏まえているとは思えない事から、彼は独自にこの動きを編み出したのだろう。
それにより、ここで対ペルシア戦において一つの理想的な立ち回りが実現されていた。それは、いつ飛んでくるか分からない矢弾に対して身をかわし続けるという動き。変則的なそのリズムを取りながらじわじわとその距離を詰めるポンキチに対してペルシアの放った矢が悉くかわされ始める。
それは会場のボルテージが一気に高まった瞬間だった。
だが、残念ながら審判をしながら冷静に戦況の分析に務めていたエルツにとってこの勝負の結果は火を見るより明らかだった。
じわじわと距離を詰めるポンキチに対して、ペルシアにはその距離をいくらでも突き放す事が出来る機動力がある。一定距離から攻撃を仕掛け始めたペルシアの動きを見て、ポンキチもまたこの試合での決定的な事実を当然のように受け止めていた。
だが、それでもポンキチは決して試合を諦める事は無かった。ペルシアの素晴らしい射撃技術を前に一歩も退く事無く、試合中その異才を放ったPendulum Motionで彼女へと必死に詰め寄った。
一部の隙も見せず冷静に仕掛けられるペルシアの攻撃、振り子軌道に重ねられたその攻撃をかわし切れずに受けたその攻撃の積み重ねによってポンキチは地に膝を着く事になる。
「参った……完敗だな」
そう地に両手を着きながら降参の言葉を遂に呟くポンキチ。
その瞳は優しく、いつもの彼の表情へと戻っていた。そんな彼の元へと静かに歩み寄るペルシア。
「あなたが相手で良かった」
ペルシアの言葉に顔を上げるポンキチ。
その言葉の奥に隠されたペルシアの気持ちに気付かなかった訳では無い。ポンキチ自身、彼女のその気持ちにはずっと前から気付いていた。
そしてその気持ちに応えるために彼には彼なりのタイミングというものを考えていた。
本来ならばこの試合に勝ち大会で優勝してこそ、彼の中では最高の演出が完成していたのだが。
「……こりゃ尻に敷かれるな」
そんな呟きと共に失笑するポンキチを前に、その言葉を聞き取れず不思議そうな表情で彼を見つめるペルシア。
そんな二人のやり取りを見ていたエルツは微笑を漏らすと、そこでアナウンスに入った。
それは次鋒戦の勝者が告げられる瞬間。その言葉に手を取り合う二人の姿。
真剣勝負のその後には淡い恋模様の花が咲いていた。