S3 見返りの代償
夕方になってもギルド前の行列が引く事は無くその日の広場は祭刻に負けず劣らずの人込みに溢れていた。B&Bから出たエルツはそんな人込みを見つめ深く一息吐くと、人込みを縫うようにコミュニティルームへと移動を始める。
天刻は月を飾る最後の刻だ。昼間は喧騒に塗れ、心落ち着かなかったせいか街を彩る世界の変化に気づかなかったが、美しい青空に浮かび上がる光が織り成す多重のヴェール、それは現実で言うオーロラにも似た輝きを放っていた。他にも街の至る所で電飾が輝きすっかり街は様変わりしていたのだった。
「こんな変化に気づかなかったなんて人間て恐ろしいな」
人間という言葉を出して一般化する事で、エルツは自らを安心させていたが、ひょっとして自分だけだろうか。そんな疑問が浮かび上がった所でこの件についてエルツは深く考える事を止めた。
そんな変化は当然コミュニティセンターにも及び、入り口の柱を巻く様に電飾されたその光景は年末を思わせるようで、そんな現実との季節感の差異がエルツにとっては何だか少し歯痒かった。
コミュニティセンターへと入ったエルツはロビーで寛ぐ冒険者達の傍らを通り、階段を上るとWhite Gardenのコミュニティルームへと真っ直ぐに向かう。
「皆居るかな」
ルームの無駄に大きな開き扉に手を掛け中へと入る。
「こんばんはー」
部屋の中ではソファで寛ぐ面々の顔ぶれが揃っていた。
ソファでは大量のお菓子を口に頬張ったウィルがエルツの姿を見るなりとことこと駆け寄って来た。
「あ、えるひゅ。おひゃねひょうだい」
「何言ってるかわかんないけど、却下」
ウィルの事だ。どうせろくな事で無い事は確かだ。イントネーションからおそらく金を遣せと言っているのだろう。傍らでウィルがもごもごと騒ぎ立てる中、エルツはドナテロが座っていた横へと腰を降ろす。
「お久しぶりです、ドナテロさん」
「久し振りだな、相変わらず必至か?」
「久しぶりに会って早々何ですかそのコメント。僕どんな人間だと思ってるんですか」
エルツとドナテロのそのやりとりに失笑するリーベルトとフランク。
「バージョンアップ情報見ました、エルツさん?」
「クエストシステムとクラスシステムが導入されたって話でしょ?」
リーベルトの言葉に頷くエルツ。
「何のクラス選ぶ予定ですか?」
「ソルジャーかな。さっき取得してきたんだ」
エルツの言葉が引っ掛かったのか皆がソファーに凭れていた身体を起こす。
「取得? クエストを請負ってきたって事ですよね」
「ん、いや。取得かな、言葉で言うとやっぱり」
その返答にフランクがエルツに疑問を投げ掛ける。
「取得ってエルツさん、キーアイテム取ったんですか? ソルジャーなら『地鳥の尖爪』が必要になるはずですけど」
「うん、昼間コカトリス狩りしてたら落としたよ」
エルツの言葉に驚きを隠せないフランク。
「あのキーアイテムってコカトリスが落とすんですか? そうか地鳥ってそういう事か。エルツさんどこでその情報手に入れました?」
「ん、いやキーアイテムのネーミングから何となく」
エルツの返答に再び失笑するリーベルト。
「勘……ですか」
そんなリーベルトの含み笑いを他所にブランデーの入ったグラスを口に運ぶドナテロ。
「エルツ、お前なんか知らないがやたらと勘いいよな。超能力者か」
ドナテロのつっこみを無視するように興奮した様子で口を挟むフランク。
「今ならまだ情報回る前ですし、コカ狩りも空いてますよね。明日の朝には情報出回ってるかもしれないし、今からキーアイテム取りに行こうかな。ドナテロさんもし良かったら一緒に行きませんか」
「別にいいけどな。ただどっちにしろキーアイテム取ったところであの行列並ぶんだぞ」
ドナテロの指摘に痛い表情を見せるフランク。
確かにあの行列は最悪だった。何より並んでいる冒険者達が皆必死で殺気立っている。
「ん、あの。もしあの行列並ぶ気があるならキーアイテム多めに集めてきたんで良かったら。ただ三人分しか無いんですが皆ソルジャー志望ですか?」
エルツの言葉に振り向く三人。
「お前、いっぺん病院行ってきた方がいいな。手際が良すぎる。ちょっと知り合いの小児科紹介してやるから今すぐ行って来い」
「……小児科ですか」
ドナテロのボケにリーベルトが含み笑いを被せる。
「ドナテロさん一つのボケに色々詰め込み過ぎですよ。つっこむ身にもなって下さいよ」
「そこはお前の腕の見せ所だろ」
手際が良いとは言われたが正直そんなものとは程遠い人間である事はエルツ自身が何より理解していた。今日だってクラスチェンジの際、バロック装備を取りにマイルームへ戻ったが、バロック装備をスウィフトに譲った事をすっかり忘れていたのだ。結局、バロック装備を買い直す嵌めになったが、もう少し察しが良い人間なら予め用意して行く所だろう。
「そういやお前にはウーピィ装備の借りもあるしな。これ以上借り作ると不良債券になるぞ」
「別にそれはそれでも構いませんよ。元々見返りが欲しくてやってる行為じゃないので」
エルツの言葉に片手にもったグラスをふと口元から外しエルツに向き直るドナテロ。
「見返りを求めてないか、エルツ。俺の眼が節穴だと思ったか? お前は見返りを求めてないと言うが、それは違うなエルツ」
「どういう意味ですか?」
尋ね返すエルツに微笑を浮かべるドナテロ。
「女子供は騙せても俺はそうは行かない。エルツ、お前が求めてるものはズバリ、好感度だ」
ドナテロの言葉に思わず押し黙るエルツ。
「ちょっとドナテロさん。酔い過ぎじゃないですか」とリーベルト。
「いや、いいかエルツ。この際一言、言わせて貰おう」
ドナテロがグラスをテーブルに置くと組んだ手を口元に当てた。
「俺に好感度をくれ」
辺りを一瞬の静寂が支配する。
「金ならいくらでも出してやる。お前の好感度を全て俺に遣せ」
ドナテロの言葉に苦笑いしながらエルツに耳打ちするリーベルト。
「ドナテロさん、貢いでた女に最近振られたんですよ」
「ああ、なるほど。それで。ていうか大体好感度なんて持ってませんよ」
事情は飲み込めたがドナテロの発言はエルツにとって衝撃だった。自分が好感度を買っている、そんな発想は指摘されるまで夢にも思わなかった。同時にエルツは以前スウィフトから指摘された社会人として対等な交渉術を身に付けるべきだというあの言葉を思い出していた。人に与えるだけが思い遣りとは限らない。相手の人がどう思うか、極端な話、受け取る側によってはエルツの行為を偽善と捉える人物だって世の中には存在する。ドナテロの言葉はその重要な課題をエルツに思い出させたのだった。
「気にする事無いですよエルツさん。所詮は酔っ払いの戯言ですから」
「気遣いありがとうリーベルト、だけどこれは自分にとっても重要な事なんだ」
エルツの返答に視線を合わせ首を傾げるリーベルトとフランク。
フランクはふとテーブルのグラスを取ると静かに呟いた。
「オレには難しい事はよくわからないですけど、何ていうか与えるだけが愛じゃない、って事ですか? 恋愛で言うなら」
恋愛と対人関係では多少意味合いは違うが、だがフランクの言う事も近からず遠からず。
恋愛も言うなれば一つの対人関係だ。対等な立場を築くというのは簡単なようで非常に難しい。それが自然に出来る人間は、それはもはや一つの才能と言っていい。
リーベルトはフランクのその発言に視線をエルツに投げた。投げられた理由を一瞬エルツは考えて、そのままその視線をドナテロへ向けて受け流す。
「ドナテロさん、手組んだまま寝ちゃってるな」
「世の中色々大変ですね」とリーベルト。
それにしてもドナテロさんが女に貢ぐなんて少し意外だった。
スタイリッシュな普段のイメージからは想像もつかないが、人間誰にでも穴はあるという事だろう。
「オレ達は女性に騙されないように気をつけましょう」
フランクの言葉に静かに頷くエルツとリーベルト。
それは三人で交わしたささやかな誓いだった。