S35 悲しき悪意
西エイビス平原を歩く事、四時間。青空に映える褐色の山々を背景に遥か彼方まで続く草原の中を進んでいた。途中昼食を取り、それから目的のポイントへと到着した一同は街で購入した双眼鏡を両手に構え、じっと辺りを見渡す。あちこちに数匹の群れで平原を徘徊する真白な毛並みの狼達。その狼達の視線の先には雄雄しき角を生やした水牛の大群が見られた。
「バッファローの群れだ」
「……という事はそれを狙う奴等もこの辺りに自然集まると」
エルツの呟きにタップがそう言葉を被せた。
「左右に三匹の群れ。前方にも二匹発見」
草むらの陰から顔を覗かせてケヴィンはそう呟いた。
「正面の狩るか。用意はいいか」
ケヴィンの言葉に頷く一同。
「今回初めての奴も居るからもう一度軽く説明しとくか。狩り方はさっき説明した通り、白狼は動きが早いからなるべく小回りが利く武器で戦った方がいい。陣形はDouble Triangle(三角双陣)。本当は六人で相手を囲むHexatrium(六角陣)だと敵の逃走を防ぎやすいんだけど、慣れないとターゲットに混乱して自分達のパーティの獲物じゃない敵を攻撃しかねないからな。単純に三人パーティを二組という形でお互い自由に動き回った方がやり易いだろ」
三角双陣か、初めてだけど要はお互い距離を取って三対一の構図に持ち込んでしまえば通常の三角陣と変わらないだろう。三角双陣の真骨頂は今のように3人×2パーティーではなく6人×1パーティーでこそ、その真価を発揮するらしいが今回の場合はパーティー間でお互いの獲物を共有出来ないし、もし混戦になった時は、なかなか制限の厳しいパーティになりそうだ。
「まずはターゲットを分断する」
「その役は自分がやるよ」
ケヴィンの言葉にエルツはそう呟くと弓を片手に前方の白狼達にじっと視線を向けた。
「奴等は鼻が利く。その知覚範囲は大体二十メートルくらいだ。もし先制攻撃を仕掛けたいなら、それ以上の距離から仕掛けないと感づかれるぞ」
ケヴィンの言葉にエルツは頷いた。
――二十メートルか、際どいな――
「ところで、パーティー構成はいかように」
タップの言葉に視線を振るケヴィン。
「お互い気心知れてるメンバーの方がやりやすいだろ。それとも混ぜるか?」
ケヴィンの問いに納得したように頷くタップ。
「それも、そうか。それじゃあ、こっちのパーティの釣り役は俺が」
タップはボイスコマンドを発音し、バロックボウを取り出すと、ふとエルツに視線を振った。
「どちらを狙います」
タップの言葉に視線の先の獲物を今一度見つめるエルツ。
「それじゃ、左の的を狙わせてもらおうかな」
「了解。じゃ、俺は右で」
共に獲物へと歩み始める二人。接近戦は免れられないワイルドファング戦において初手のダメージは重要だ。接近戦の前に与えたダメージが大きければ大きい程、こちらが受ける被攻撃回数を減らす事が出来る。
――あれ、やってみるか――
エルツがふと弓を構えたその時だった。
「さっきのは牽制のつもりですか?」
タップのその言葉にふと動きを止める。
「随分と安い牽制もらいましたけど、あれで俺が引くとでも?悪いけどあの女落としますよ」
その言葉にエルツはじっとタップの顔を見つめる。
ここなら後ろに居るパーティーメンバーには何も聞こえないだろう。あれから、ずっとこうして二人になるチャンスを窺がってたのか。タップは微笑を浮かべながら言葉を続ける。
「単純そうな女ですよね。あんたがどれほど大切に思ってるか知らないですけど、ああいう下手な牽制は逆効果だ。俺をあんまり舐めるなよ」
――これが、こいつの本性か――
初めて見た時の嫌な予感は当たってしまったらしい。
願わくば、あの牽制で引くような小心者である事を祈っていたのだが、この男の性格ならばどちらにせよしつこく今後もユミルに付き纏っていただろう。
「人間性か……」
「あ、何だって?」
脊髄反射でエルツにくってかかるタップにエルツはふっと微笑した。
「人は人間性に魅かれる、って君が言ったんだよな」
「何だ、聞いてたのか。盗み聞きとはあんたも人が悪いな。で、それが何か」
言葉というものは使う者次第で、凶器にも変わる。この男が意味する人間性とは所詮上辺だけの何の意味も持たない言葉だ。人間性が内面から滲み出るなんて、本当によく言ったもんだな。
「何じっとガンくれてんですか。俺を挑発してんのか。お前本当にぶっ殺すぞ」
目の前で起きている彼の言動の全てが本当に悲しかった。
この理想世界にも、こんな人物が居るのかと。どうして彼はこんな酷い事を平気で言えるのか。
同じ、人間として、ただただ本当に悲しかった。
ここまで彼がどんなプレイをしてきたのか、それはわからないが今の段階ではGMに通報しても彼を罰する具体的な証拠がどこにも無いだろう。
「ちなみに、もしこの事他の誰かに喋ったら、お前ぶっ殺すからな」
浴びせられる安い脅迫の言葉。だが、この世界での死という概念を考えれば、自らの死なんて大した問題じゃない。心配なのはユミルだ。この男がどこまで本気かわからないが、性格上実際にユミルを付け狙う可能性は非常に高いだろう。こんな事態になってしまった責任を取るために今自分に出来る事をエルツは必死に考えていた。
そして、俯いていたエルツはふとパーソナルブックを開いた。
「何やってんだてめぇ。GMでもコールするつもりか?馬鹿じゃねぇの。何の証拠もねぇよ」
浴びせられる罵倒の言葉をただただその身に受けながら、無言で指を走らせるエルツ。
「何やってんだって言ってんだよ。あんまり舐めた真似してるとてめぇ本気でぶっ殺すぞ」
パーソナルブックをふと閉じるエルツ。
エルツはふとタップの顔を真正面から見つめると微笑を携えて口を開いた。
「哀れな奴だな」
「何。今なんて言った?」
エルツは微笑を浮かべてタップに言葉を投げ掛ける。
「哀れな奴って言ったんだよ。やっと本音が聞けたと思ったら、出てくるのはこんな脅迫じみた言葉ばかり」
エルツの言葉にわなわなと震え始めるタップ。
「哀れだと……?」
そんなタップに向けてエルツは再び言葉を被せる。
「なあ、タップ。敢えてもう一度言うよ。お前って本当に哀れだな」
その言葉を吐くと同時に突然エルツの身体が弾き飛ばされた。
「殺す」
冷静さを装っていたタップは完全に逆上して倒れたエルツに馬乗りになって殴りかかる。
エルツは殴られながらもずっとタップに対して哀れみの表情を投げ掛け続けていた。勢い留まる事を知らず、力任せにエルツを殴り続けるタップの様子に慌てて飛んでくる仲間達の姿。
「ちょっと何やってるの、止めなよ!」
止めに入ろうとしたユミルの身体をすっと止めるケヴィン。
「何で止めるのケヴィン!エルツさんが死んじゃうよ!」
タップに殴られ赤点滅を始めるエルツの姿。
赤点滅を始めるエルツの姿にユミルはケヴィンの制止を振り切って飛び出し、タップの身体を思い切り突き飛ばす。
「ちょっとどうしたの!やめてよこんなひどい事!」
ユミルの言葉に真っ赤に目を充血させたタップ。
豹変したタップの姿にユミルは動揺を隠しきれない様子だった。
「何があったの!?説明してよ!」
視界に映る光景とユミルのその言葉に冷静さを取り戻したのか、タップは呼吸を整えながら静かにその口を開いた。
「そいつがあんたへの侮辱の言葉を吐いたんだよ」
「え?」
タップの言葉に動揺するユミル。
「どういう事……?」
「そいつ、あんたに気があるらしくてな」
タップの事に動揺の表情をエルツに向けるユミル。
「でも、そいつあんたの事、性行為の道具としか見てないぜ。尻軽そうだから優しくてやればそのうちやらせるだろうって、だから俺に邪魔するなって言ってきやがったんだ。それが許せなかった。あんたら仲間なんだろ。仲間の気持ちを裏切るような真似してあんたを付け狙うこいつが許せなかったんだ」
殴られた身体を起こしながらエルツは身を起こしユミルにただ一言告げた。
「ユミル、僕を信じろ」
悲しいがこれが今ここでの現実だ。理想世界の中にも、こんな人物が存在し得る。それは悲しい事だが、紛れも無い事実だった。
あの時、タップという男の人間性を露にするため、エルツは敢えて挑発的な言葉を浴びせた。それは危険な賭けだったが、タップという男の攻撃の対象をエルツのみに向けさせる事、そして何よりタップという男の危険性を皆に伝える事。パーソナルブックを開いて、エルツはあの時ケヴィンにメッセージを送っていた。その内容は……
――これから何が起きても絶対に手出ししないでくれ――
あの時、エルツはタップに殺されるつもりで臨んでいた。タップという男の確かな異常性に気づいてから、ユミルを守る最善の方法を頭の中で必死に模索していた。そしてエルツは一つの答えを出した。
もし、仮にここで自らがタップという男に殺されれば、そこにPKという揺ぎ無い犯罪証拠が成立する事になる。この世界での故意的なPKはそれだけでアカウント削除、退会処分に繋がるはずだ。タップという人間をこの理想世界から追放するために、エルツは敢えて危険な賭けに出たのだった。だが、それも失敗に終わってしまった。残念だが、この男の咄嗟の機転が状況を悪化させた。極度の緊張状態で根も葉もない暴論を捲し立てられれば、今のユミルのように不安を煽られても仕方が無い。残念だが、現実問題として事実が悪意によって湾曲される事はいくらでもあるのだ。ここで、自分が反論したところで奴は次から次へと暴論を振りかけてくるだろう。そうなればただの水掛け論だ。
「EMERGENCY」
ユミルのその呟きに明らかな動揺を見せるタップとその付き人のケスとゴードン。
「私には真実が見えないから。ちゃんと真実を話してよ……」と涙目で俯くユミル。
EMERGENCYとはその名の通り、緊急事態を意味するGMコール用のボイスコマンドだ。ここでユミルがGMを呼んだ事がどう影響するのか。現在のこの状況で一体何を証明できると言うのか。
一人じっと拳を握り締めるエルツ。
そして、空から舞い降りる一筋の光。一同は静かにその光が降り立つのを見守っていた。