笑う犬と私
「男には2種類しかいない。ロリコンとマザコンよ」
この衝撃的な名言を聞いたのは、中学生時分だったと記憶している。
昔、テレビで『笑う犬の冒険』というウッチャンナンチャンが中心のコント番組をやっていた。
その中のイチ企画に『ミル姉さん』というのがあった。
ミル姉さんなる牛女に扮したウッチャンこと内村光良氏が映画のレビューをする、確かそんな内容だったと思う。
上記の名言は、映画『カリオストロの城』についてミル姉さんが語った時のものだ。
曰く、クラリス派=ロリコン、不二子派=マザコンらしい。
今考えると暴論も暴論だが、当時中学生だった私は衝撃を受けた。
ちなみに、私は断然不二子派である。
中学〜高校を通じて、彼女にどれだけお世話になったか数え切れない。
ミル姉さんの言を借りるなら、完全なるマザコンである。
さて、そんな私がどうしてこんなタイトルのエッセイを書いているかというと、単刀直入に言えば困ったからである。
やはり、作家として”ライトノベル”に該当する作品を書いている都合上、幼くて可愛い女の子キャラを描写するのは、避けては通れない道だと思うのだ。
しかし。
中高生という最も下半身で物事を考える時期に、峰不二子にお世話になっていた自他共に認めるマザコンの私には、この”幼くて可愛い女の子キャラ”俗に言うロリキャラというのが今ひとつピンとこないのだ。
もちろん、ただの擁護対象としての幼い子供なら理解できる。
人間だろうと犬だろうと猫だろうと、子供や赤ちゃんという存在は本能的に守りたくなる、可愛がりたくなる、というのが脳にインプットされているらしい。
私もその感覚は理解できる。
だが、ライトノベル的作品世界において求められるのは、”性の対象”として受け入れられる幼女であり、ただ子供であればいい、というモノではない。
これが描写できる気がしなくてほとほと困り果てているわけである。
だから、どうすれば男を惹きつけて止まない愛すべきロリキャラを生み出せるのか、その本質に迫るべく、様々な視点からアプローチを試みることにした。
次話以降、その考察を記すので、暇で暇で仕方がない方は読んでみてほしい。