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翌朝、目が覚めて枕元に置いた腕時計を見ると、まだ午前七時前。夕方の分も合わせれば、十時間近くも寝ているのだから、いくら寝起きの悪い俺でもこの時間に自然と目が覚めたのは無理もない。
昨日別れる前に、朝食は朝の八時であることを聞いていたから、今回はしっかりと髪の毛を整えて、服を着替えてダイニングに向かった。
しかし、今度は逆に少し早すぎたらしい。扉を開けても中には誰もいないばかりか、食事の準備もまだのようだった。
キッチンのほうから慌ただしい足音と、凛の急き立てるような声が聞こえてくる。そして不入斗の不満そうな反撃の声。
どうしようかと逡巡したが、どこかで時間を潰しているうちに、また遅れてしまったら面目ないので、昨日と同じ席に腰を下ろし、じっと待つことにした。
そのすぐあとに乃亜が起きてきた。
眠そうに大きな欠伸をして挨拶を交わすと、彼女もまた昨日と同じ位置に座した。
「よく眠れた?」
そう訊いてみると、また大きく気の抜けるような欠伸をする彼女。
「ふぁあ……、ええ、まあ。まだちょっとぼけっとしてますけどね」
それから、瀬堂に八逆に英介に夕月と、天司以外の全員が八時前にはダイニングに集合し、料理が出てくるのを今か今かと待ち望んでいた。
そして、やっとダイニングの時計が、鐘を八回鳴らした。
「すみません、遅くなってしまって」
凛と不入斗が部屋に入ってきて、慌ててテーブルの上に料理を並べ始めた。殺風景だったテーブルが、豪勢な洋食でたちまち活気を取り戻していく。スクランブルエッグにサラダにベーコン。赤黄緑の三色が揃って華やかに見える。さらにパンとスープ。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
ひと通り準備を終えた凛が、空席を見つけて誰にともなく尋ねた。
「天司さんがまだいらしてないようですけど……」
すると、夕月がぶっきらぼうに答えた。
「あいつ、寝起き悪いから、放っておいていいよ。どうせ腹が減ったら勝手に起きてきて、勝手に何か食べるから」
彼と天司とは昔からの長い付き合いらしいのだが、かなり冷たくあしらっているような気がする。それとも、気心が知れているからこその、この言い方なのだろうか。
「私、一応、呼びに行ってきます」
初対面の凛のほうが、よっぽど心配しているように見える。もっとも彼女の場合は、それが仕事ということでもあるのだろうが。
結局彼女が天司を呼びに向かったのだが、夕月は構わずに朝食を食べ始めていた。
御馳走を目の前に指をくわえて待っているのも、この空腹にはかなりの拷問だ。それに、昨日の夕食の時は、俺が遅れてきたときには、皆既に飲み食いを始めていたではないか。わざわざ天司を待つ必要などないだろう。
俺もまた、夕月に倣って先に朝食を食べることにした。
すると、他の面々も段々と待つのを止めて食事を始めるようになった。
凛が再び姿を現したのは、十分程経った頃だった。天司の姿はない。やはり待たずに食べ始めて正解だったようだ。
「やっぱり、ダメだったでしょ?」
パンを噛みながら、夕月がにやりと含み笑いを浮かべた。
「ええ、電話をかけても出ませんし、ドアに鍵がかかっている上にカーテンも閉まっていて、完全に寝ているようでした」
「本当、いつものことだけど、勝手な奴よね。こういう時くらい時間を守ったりできないのかしら」
乃亜が呆れて小言を吐き出す。
「まあまあ、あいつが朝食に時間通りに来てたら、それこそ雪が降ってもおかしくないんだから、仕方ないって」
英介の言葉は、全くフォローになっていない。いつもは仲裁役を自ら買って出る穏健派な英介でさえもこんなことを言うくらいだから、天司という男がどれ程悪い意味でのマイペースであるかはお分かりだろう。
朝食は三十分程度で終わり、さあ解散だというときになって、思い出したように乃亜が手を挙げた。
「あ、英介センパイ、あのテニスコート使ってもいいですか?」
「勿論。道具は外の小屋にあると思うよ」
「ありがとうございます!」
深々頭を下げる乃亜。その動きはきびきびしていて、手慣れた印象を受けた。高校では礼儀に厳しい弓道部に入っていたというから、その名残だろう。
彼女は振り返って、八逆に目を付けると、
「ほら、大地、行くよ」
と、彼の袖を引っ張った。
「ええ〜、僕?」
面喰って自分の顔を指さす八逆。その顔はあからさまに嫌そうにしているが、既にやる気満々の乃亜には効き目がない。
「他に誰がいんのよ。不入斗さんは忙しいんだし、まともにテニスできるの私たち二人だけじゃない。ほら、こっち」
結局言われるがまま、八逆は乃亜に引っ張られ、強引に外に連れ出されていった。
「俺はちょっと外に散歩にでも言ってくるわ」
夕月もそう言ってナプキンで口を拭うと、外へと出て行った。
凛と不入斗は朝食の片付けでキッチンに向かってしまい、残されたのは俺と英介と瀬堂だけになってしまった。
しかし別段することもなく、戻って屋内で推理小説ばかり読んでいるというのもやはり味気ない。
と言うわけで、英介の計らいで、俺たちはゴルフコースを使ってパターゴルフに興じることになった。
インドア派の俺はパターゴルフなどやったこともない。だからこそ、新鮮な経験に素直に楽しむことができた。だが、芝を読んだりカップとの距離感を掴んだりするのがかなり難しい。ピンに近づけるまではいいのだが、なかなかカップインさせることができずに、ボギーの連発。快晴の夏空の下、汗だくになりながらコースを回り終える頃には、積もりに積もってスコアは三十もオーバーしていたのであった。
腕時計を見ると、間もなく正午になろうかと言う頃合いだった。
身体を動かしたおかげで、良い具合にまた腹も減ってきている。
俺たちはメインのコテージに戻って、昼食を摂ることになった。
しかし、天司はここでも姿を現すことはなかったのである。