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「あいつらとの出会いは、高校に入学して、間もなくのことだったよ」
瀬堂は視線を遠くに投げながら、落ち着いた静かな口調で話し出した。
俺たち三人は、横槍を入れず、黙って唾を呑み込みながら、聞き耳を立てた。
「地元から少し離れた高校に進学した俺には、入学当時に友達なんて一人もいなかった。元々あまり明るい性格ってわけでもなかったから、友達もなかなかできず、教室で一人で飯を食う日が続いていた。
そんなある日のことだ。あいつらが俺に絡んできたのは。
最初は人当たりの良さそうな感じでやってきてさ。俺も話しかけてくれたのが嬉しくて、仲良くしようと嫌われない様に必死に努力したよ。そうしたら、飯をおごってくれたり、遊びに連れてってくれたりしてさ。ああ、やっと友達ができたって、そう思ってたんだ。
それから少しして、いつものように遊びに出た日のことだ。俺はあの二人から、タバコを勧められたんだ。最初は嫌がってたけど、そうしたら、二人は俺から距離を置き始めた。原因は俺がタバコをやらないからだってわかってた。せっかく出来た友達を手放したくない。そんな思いで、俺は二人にのせられてタバコやアルコールもやるようになったし、クスリにも少し手を出した。そのうちに、万引きまでやるようになった」
「それで、非行の道に走らせた二人が憎くて……?」
英介が恐る恐る訊いた。しかし瀬堂は強く首を振って否定する。
「違う。そうじゃない。それだけだったら、俺も殺す程の恨みなんて持ちはしないさ。あいつらは俺の知らないところで、もっと卑劣な、下衆な、悍ましい行為をしていたんだよ……!」
怒りに身を震わせた瀬堂の声は、自然と鋭くなっていた。普段は事なかれ主義でどっちつかずの、優しげな彼からは想像もつかないようなドスの効いた声が、部屋中の空気を重苦しく振動させる。
「一体何があったんですか?」
八逆が宥めるようにして尋ねたのだが、今の瀬堂には全く効果のないものだった。彼の頭の中では、その当時の忌まわしい記憶が占領し、誰の声も耳には入っていないような、そんな様子だった。
「あいつらは! 俺の母さんを、乱暴してやがったんだ!」
吐き捨てるようにして、瀬堂の口から飛び出てきたその言葉に、俺は耳を疑った。いや、俺だけじゃなく、その場にいた全員がだ。はっと息を詰まらせ、口元を覆う凛。目をぱちくりとさせる乃亜。ぽかんと呆けて口を開けた八逆。
しかし瀬堂はお構いなく、怒りに任せて舌を回し続けた。
「何度か二人に約束をすっぽかされたことがあった。待ち合わせ場所でいくら待っても、姿も見せないし連絡もつかない。仕方なく家に帰ったら、二人が俺の家のほうから歩いてくるのが見えた。何してたって訊いてみたら、へらへら笑いながら『てっきりお前んちでゲームするんだとばかり思ってた』って言ってたよ。けど俺にはそんな記憶はなかった。今思えば、あの時に俺の眼を盗んで、下劣な行為を……」
瀬堂は眼を瞑って、眉間に皺を寄せた。そして例の唇を噛む仕草を見せる。思い出すのも辛く、耐え難い屈辱だったのだろう。
「俺の家は母子家庭だったからな。父親はいないから俺さえ家から離れれば、容易に出来たことだろうよ。
呑気なことに、俺がその事実を知ったのは、母さんが心労で死んだ、丁度二年前のことだったよ。遺品を整理していたら、母さんの日記を見つけてね。そこに、それまでの真実が、洗いざらい書かれてあった。あの二人が、唆して俺にやらせた非行の瞬間を撮っていて、それで母さんを脅していたこと。奴らに屈した事を俺には隠しておこうと考えたこと。最初は一回だけの関係だと確約を得たこと。それが、いともたやすく破られたこと。それから一週間、一ヶ月、一年、期限が延長された約束が次々交わされたが、一度も守られることはなく、ついに耐えられなくなって、精神的に蝕まれていく過程。その全てが、そこに書かれてあったよ」
「酷い……」
乃亜がぼそりと呟いた。その場にいた全員の思いを代弁していたことだろう。
「それで、俺は復讐を決意したのさ。あの二人を必ず殺してやる。虫ケラ以下のあいつらに相応しい最期を与えてやろうってね。大学も芸大を狙っていたけど、敢えてあいつらと一緒のこの大学を選んだ。何にも知らないふりでずっと一緒に行動して、ずっと機会を窺っていた」
「で、でも……兼人は? 兼人は、どうして殺されなければならなかったんですか?」
おずおずと凛が言い出した。
瀬堂が犯行を決意するまでの過程に、不入斗兼人の名は、一度たりとも出ていない。これから何か関係のある話をするのだろうか。
そう思って、瀬堂の顔を見たのだが、途端に彼は言葉を詰まらせ、苦虫を噛み潰したような顔で、凛から目を逸らした。
俺はその時に確信した。
しかしこれを彼女に伝えてもいいものか。だが、隠していたところで、いずれは分かってしまう事だろう。それに、彼女には知る権利もある。
俺は意を決して、瀬堂の代わりに喋り始めた。
「多分……瀬堂は、不入斗くんを殺すつもりじゃなかったんだと思う」
瀬堂がはっとして俺を睨んだ。だが、俺は話を止めなかった。
「覚えているか? あの時、懐中電灯がなくなって、買い出しに行ってほしいと瀬堂が言ったのは……」
「あ、夕月に対してだ」
思い出したように英介が言った。
「そうだ。瀬堂は夕月に行ってほしいと言った。つまり、当初の計画では、自分の死体の代わりになるのは、不入斗くんではなく、夕月だったんだよ」
場が水を打ったように、しんと静まり返った。
耳鳴りがうるさく、居心地の悪い嫌な空間だった。凛の視線が、ナイフの様に俺に突き刺さっている。心がずきずきと痛んだ。
「じゃあ……、じゃあ兼人は、私が買い出しを頼んだばっかりに……?」
痛々しく声が震えていた。
直接手を下したわけではないが、自らの言動が引き金となって、彼の死を引き起こしたのだ。その彼女の心境たるや、絶望というほかないだろう。
彼女は遂に耐えきれなくなって、その場に崩れ落ちた。両手で顔を覆って、嗚咽を漏らす。それが部屋の中に、虚しくこだましていた。
窓の外を見ると、空の彼方が白み始めていた。長い夜がようやく終わりを迎えようとしているのだ。
こうして、契鬼伝説になぞらえた陰惨な連続殺人は、夜明けとともに幕を下ろした。
しかし、この部屋の中はいつまでもいつまでもどんよりと暗く、暖かで爽やかな日光でも払拭しきれないほどの、やりきれない陰鬱な空気が支配し続けていたのであった。




