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しかし、いつまでたっても、一撃は襲ってこない。鈍い衝撃どころか、ほんの僅かな接触さえもない。
何の物音もしない、無の時間。
俺は、恐る恐る目を開いた。
ここは――?
俺は、コテージのベッドの上にいた。
乱れたシーツ。俺はそれにしがみついていた。
掛け布団は床に落ちてしまっている。それなのに、寝間着はすっかりぐしょぐしょに濡れて、絞れば水が滲み出そうであった。未だに、額にもじっとりと脂汗が滲んでいる。
夢――だったのか。
先程の森の中での出来事は、全てがあまりにも生々しい感触で、まるで現実の事のようだった。今見ているこれも、本当に現実なのか分からなくなっている。
荒らげた息を整えて、俺はやっとの思いで起き上がった。
時計を見ると、午前八時少し前。窓からは待ち望んでいた太陽の明るい日差しが差し込んでいる。鳥の囀りも、どこからか聞こえてきている。
実に長閑な森の朝だ。
だが、そこに混じって、何か妙な音が聞き取れた。
焚き火のような音だ。木の爆ぜるような。
こんな朝から――?
俺は、窓に近寄って、朝日を浴びた。
夏の日差しは、既に暖かいというよりも熱い程に皮膚を刺激する。窓の外には、やはり一見すれば長閑なコテージ群や森、そして晴れ渡る空が見える。だが、まるで水色の絵の具に黒を混ぜてしまったかのように、青空の向こうのほうに黒々とした煙が立ち昇っているではないか。メインコテージに遮られてはっきりとは見えないが、火柱もちらちらと見え隠れしている。
まさか、キャンプファイヤーの不始末か?
だが俺はそれをすぐさま否定した。
確かに昨日、消したはずなのだ。あの後で瀬堂を探しに通った時も、火は残っていなかった。
それならば、一体どうして。
俺はとにもかくにも、急いで燃え上がり続けている火の方角へ向かった。
メインコテージの横を通り抜けようとした時、何が燃えているのかがわかって、俺は慌てふためいた。
「嘘だろ……」
それは、キャンプファイヤーではなかった。そのさらに奥にある、この別荘地から市街地への唯一の脱出口、吊り橋だったのだ。
俺が橋の袂に辿り着いたところで、何もすることはできなかった。
一応、コテージから水を一杯にしたバケツを運んできて、火にぶちまけてみたのだが、まるでそれが原因で怒りを買ってしまったかのように、一層火の手が激しくなる。暑すぎて近寄ることもできない。
俺は熱気に晒されて、真っ赤になった顔を手で覆って、燃え盛る炎に気圧されるばかりだった。
ここまで火が広がってしまったら、どうしようもない。バケツの水なんぞ、これでは雀の涙だ。それに消せたところで、どっちみちもう使い物にはならない。
呆然と巻き上がる炎と煙を眺めていると、背後から今起きてきたといった風情の英介と八逆と凛がやってきた。
彼らもまた、この光景に立ち竦むばかり。
「そんな……橋が……」
凛が愕然とした。
見た瞬間に消火しなければならないことを諦めてしまったようだった。そしてそれは、英介と八逆も然り。俺たちは、さながら炎の龍が吊り橋を弄び、噛みつき、そして喰い尽し、満足して煙と共に消え去っていく様子を、ただ黙って見詰めていることしかできなかったのだった。
がらがらと音を立てて崩落した吊り橋の残骸は、無残に谷底へと落下する。そうして後に残されたのは、すっかり炭になった橋の両端のごく一部だけであった。
視界を遮るものがなくなり、対岸の様子が明らかになる。
俺たちが乗ってきたマイクロバスと、その隣に、見覚えのある黒い軽自動車があった。不入斗のものだ。
「不入斗くんの車がありますよ。帰ってきたんですね」
俺はそれを指さして、凛に知らせた。
「ああ、本当ですね。でも、もう、車が戻ってきていても下山することはできないですし……」
彼女は喜んでいいのやら悪いのやら、何とも複雑そうな心境でその車を見ていた。
そこへ、
「一体何の騒ぎだ?」
と、夕月が起きてきたようだった。呑気に欠伸なんぞをしながら、何も知らない様子の夕月だったが、吊り橋の先がないことに気付くと、慌てて傍に駆け寄った。
「おい、これ、どういうことだよ!」
燃え残っていたロープの端を掴んで、俺たちを責めるような口調で問い質す。
「朝起きたら、燃えていたんだよ。もう火の手が回ってて、とても消せなかった」
「そんな……そんなのって有りかよ! 畜生、ふざけやがって!」
彼は目いっぱい土を蹴り飛ばした。咆哮が虚しく山の中にこだましていた。
「一旦コテージに戻ろう。頭を冷やして、これからどうするか考えよう」
俺はそう言って夕月を宥めつつ、みんなをメインコテージへと促した。




