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すっかり飲み過ぎてしまった俺は、アルコールの利尿作用のお陰で、急な催しに我慢がならなくなった。
慌ててトイレに行って用を済ませる。間に合ってほっと一息吐くと、顔面が熱くなっているのがわかった。これもまたアルコールの仕業である。
弱いのにこんなに飲んでしまうなんて。少し自重しよう。
などと自らを戒めながらキッチンへ戻る際、L字に折れ曲がった廊下の角から、裏口の様子が垣間見えた。
英介と瀬堂は、裏口に向かって――つまり、俺に背を向ける形で――土間とフローリングとの段差に腰掛け、肩を並べて座っていた。
どうせ、やることもなくて暇しているんだろう。ちょっとおちょくってやるか。
と思いつつ、機会を窺いながら遠目にその模様を覗いていたのだが、どうやら深刻そうな口調で何か話しているらしい。
俺は耳をそばだてた。
「天司の奴さ、確かにウザったい奴だったけど、それでもやっぱり高校時代からの友達だからさ……。これから一緒につるめる奴が一人いなくなったかと思うと、俺は……」
声が震えていた。天司の死に、心底心を傷めているのだ。
同じ照明で照らされた廊下だが、二人のいる場所は何だか薄暗く感じる。二人の背中は丸まっていて、項垂れているようにも見える。とてもあそこにふざけて入りに行く余地がないと察し、俺は早々にキッチンへ退散した。
キッチンに戻って、また二人と話していると、八逆もトイレに立った。それを見送った時、リビングの柱時計が視界に入った。
午前二時三十五分。
時刻を認識すると、途端に眠気に襲われた。霞がかかったように、頭がぼんやりとする。夜更けまで起きていることは多いが、それでも大体一時二時くらいで耐えられずに眠ってしまう体質なので、今の俺の頭は鉛の様に重く、早く横になりたい気分だった。目を閉じたらそのまますんなり夢の世界に移行してしまいそうだ。
乃亜はと言うと、相変わらず気持ちよさそうに寝ていて、起きる気配など微塵もない。凛のほうも、うつらうつらし始めていて、殆ど半目で何とか持ちこたえているような状態だ。
今のところ何も起こっていないようだし、少しばかり眠ってしまおうか。
と、思い始めたその矢先――、
唐突に眼前がブラックアウトした。
最初は、支えきれなくなった重い瞼が自分の意思に反して下りてきたせいで、何も見えなくなったのだと思った。しかし、そうではない。
エアコンの稼働音が停止し、冷蔵庫のモーター音も止まった。
その上、
「えっ、何? 停電?」
と、凛もまた暗転したことを認識している。
「発電機の燃料切れですかね?」
と訊いてみるも、彼女は訝しみながら否定した。
「そんなはずないと思います。夕方頃に入れ替えたから、まだ燃料はたくさん入っているはずなので」
それなら、一体どうして。まさか、犯人の襲撃だろうか。
急に途轍もない不安に襲われた。何も見えない今、背後から急に忍び寄られて、首を絞められたり、あるいは鉈で頭をかち割られたりなどしたら、それこそなす術などない。闇を身に纏った闖入者に、身も運命も委ねてしまうしかないのだ。
早く明かりを手に入れないと。
その瞬間、裏口のほうから、低く呻くような声が聞こえてきた――ような気がした。
何だろう。何かあったのだろうか。
兎に角、まずは明かりだ。
ポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出そうとしたその時、目の前に突如、蒼白い光が浮かび上がり、そこに生白い顔がぼうっと現れ出たので、俺は思わず肝を冷やした。凛が一足先に自分の携帯を取り出し、バックライトを点けたのだ。
しかし、その光はあまりに淡く朦朧として、弱々しい。圧倒的な暗闇の黒さには到底敵うわけもなく、照らされているのは僅かに彼女の首から上だけである。
それ故、立ち上がった彼女の足取りは危なっかしいものだった。それでも何とか目当ての戸棚に辿り着き、その中から蝋燭とマッチを引っ張り出した。
蝋燭に火が灯されると、やはり携帯の明かりだけの時よりもかなりマシである。キッチンのおよそ半分ほどがぼんやりとした橙色に包まれた。
蝋の先のゆらゆら揺らめく小さな炎があるだけで、俺は安堵することができた。取り敢えず何も見えない状況からは脱せた。
凛はキッチンの上方にある、小さなボックスを開けて、中を確認した。
どうやらブレーカーらしい。が、そこには異常がないようで、彼女は頭を振った。
「ブレーカーが落ちたわけではないみたいですね」
「それより、さっき、裏口から変な声が聞こえてきませんでしたか?」
と、凛に確認してみたのだが、彼女は首を捻る。
「さあ……」
「兎に角、俺はちょっと確認してきます」
「一人じゃ危ないですよ。私も行きます」
そういうわけで、二人でキッチンを出た。当然の如く、廊下も真っ暗だ。恐らく、このコテージ全体の照明が落ちてしまったのだろう。裏口へと向かおうとした時、
――みしっ。
前方から、フローリングの軋む音が聞こえた。
びくりと身体が竦んだ。縮みあがるような思いで、暗がりの中に蠢く気配を、ひしひしと感じた。
確実に、誰かがそこにいる。そして、こちらに近付いてきている。一歩、また一歩と。
正面からのそりのそりとゆっくり歩み寄るその気配は、段々と輪郭を得て、黒い人型の影となった。
まさか――。




