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「そろそろ交代の頃合いじゃないか?」
腕時計を確認してみると、間もなく一時半を迎えようかという頃。
「じゃあ、見張りに行くとしますか」
立ち上がった英介と瀬堂は、僅かに顔を赤らめて、ほろ酔い気分である。しかし、足取りはしっかりしているし、頭もまだ働いているようだった。これで見張り中に眠りに堕ちてしまったら元も子もないが、それはなさそうで安心した。
英介と瀬堂が前の二人に倣って、自分の靴を持って裏口へ向かい、それから少ししたら八逆と凛が戻ってきた。
「あ、大地と凛さんもどう? 一緒に飲まない?」
乃亜は手に持ったグラスを掲げて、二人を誘った。
しかし八逆は、
「僕はいいよ。普通のお茶で」
と言って、構わずに冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し、戸棚からコップを持ち出して、そこに注ごうとした。
「なーによ、いい子ぶっちゃって」
断られたことにぶつくさ文句を言いながら、乃亜は八逆に肩を組んで絡む。
その衝撃で、八逆の手から、ペットボトルがするりと抜け落ちた。
あっ、と思ったが既に遅かった。八逆も床に落下してしまう前に何とか掴もうと手を伸ばしたが、寸前で間に合わなかった。むしろその手が当たってペットボトルの向きが変わり、余計に勢いよく茶が零れだしてしまう始末。
お陰でキッチンはてんやわんやの大騒ぎ。
やれ早く拾え。やれティッシュ持ってこい。やれそれじゃあ全然間に合わないから、タオル持ってこい。
おまけに慌てた誰かがテーブルの上のグラスまでひっくり返してしまう有様。まさしく悪循環だ。
あたふたとみんなで対処して、ようやっと騒ぎが収まった。テーブルの水溜りも床の水溜りも全て拭き取り終わって見てみると、乃亜は流石に悪いと思っているのか、しょぼくれていた。
「すみません……。私、迷惑かけるつもりはなくて……」
声が震えて、今にも泣きだしそうだ。顔が丸めた紙の様にくしゃくしゃになりかけている。
摂取したアルコールのせいで、感情の起伏が激しくなっているのだ。
彼女は悪酔いするといつもこうで、機嫌よく豪快に笑っていたかと思うと、突然ぐちぐちと怒り出し、そうかと思うと今度は泣き出す。所謂、酔うと面倒くさい人間というやつだ。そうは言っても、暴れ出したり、脱ぎだしたりと言った奇行はしないから、天司などよりよっぽど手はかからないのだが。
泣きそうになっていた彼女は急に静かになった。どうやら今度は睡魔に襲われているのか、とろんとした目で船を漕ぎ出している。
こんな状態で、見張りなんて出来るのだろうか。
などと思っていると、振り子のように前後に揺れる彼女の頭部は、どんどん前に傾いていく。最終的には自分の腕を枕代わりに、心地よさそうな寝息を立てて、すっかり寝入ってしまった。
「寝てしまったみたいですね」
時計をちらと確認した凛は、
「まあ、もう二時近いですし、無理もないですよ。そのままにしておいてあげましょう」
と優しく気遣う。
「全く、酔うといつもこうなんですよ。すみませんね。お騒がせしてしまって」
うんざりしたように言って、凛に軽く頭を下げる八逆。
乃亜と彼は、テニスをしないサークルの中で、テニスが上手いという稀有な共通点を持っているせいか、よく一緒にいることが多い。その分、彼は乃亜に振り回されて、ストレスが溜まっているのだろう。
彼女が寝たのをいいことに、普段の彼女の行動に対する愚痴を喋り始めた。
それを、くすくすと笑いながら、絶妙に相槌を打って聴いている凛。彼女が聞き上手なせいもあってか、八逆はいつになく饒舌だった。
言いたいことを言い切ったのか、すっきりした面持ちで、八逆は一つ大きく溜息を吐いた。
「あ、何だかすみません。僕の愚痴ばっかりで」
我に返ったように、また彼は頭を下げた。
「いいんですよ。……っていうか、八逆さんって、もしかして、初刈さんのこと、好きなんじゃないですか?」
「えっ、いや、そ、そそそ、そんな、違いますよ。そんなんじゃないですって」
必要以上に狼狽する八逆は、酷い吃りようである。
これは、図星だろうか。
「わかりやすいですね」
凛がそう言って、またくすっと笑うと、八逆はむきになった。
「何でそう言えるんですか?」
「私と兼人との関係に似てるなって思って」
「ってことは、やっぱり凛さんと不入斗くんは……」
「あ、別に、正式に付き合ってるとかそういうんじゃないの。ただ、昔からの腐れ縁で一緒にいることが多くって、そうしてるうちに、もしかしたら私、兼人のことが……その……」
自分で言い始めて恥ずかしくなったようで、あたふたと忙しなく手を動かし、彼女は語尾を淀ませて誤魔化した。
「でも、さっきこいつに訊かれた時は答えなかったのに、どうして僕たちには……?」
腑に落ちない八逆が、何も知らずにぐっすり寝ている乃亜を親指でさしてそう尋ねてみると、彼女は
「う〜ん、そう言われてみるとなんででしょう。……多分、お二人なら、おいそれと他人に話したりしないと思ったからですかね」
そう言って微笑んだ。
思えば、これまで俺には、二人のように親しい異性が周りにいなかった。羨ましいような、そうでないような。
そう言えば、以前どこか――確か本かテレビだったか――で、学生時代までに彼女を作れなかったら、一生独り身になる可能性が高いとかいう話を聞いたことがある。
まあ、どうせ俺はモテないし、そういう事は諦めている。俺には推理小説があればいい。独り身上等。
俺はグラスに注がれたチューハイを一気に飲み干した。
そこから、三人で他愛もない話を繰り広げた。時折、乃亜がむにゃむにゃと変な寝言を言うものだから、それを聞いて三人で小さく笑い合っていた。




